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燃え殻「明けないで夜」:恥をかきたくないとか、うまくいかなかったらどうしようとか

小説家でエッセイストの燃え殻が綴る夜の周辺。J-WAVEの番組『BEFORE DAWN』と連携して、著者本人の朗読とともにお届けします。

illustration: Tomoko Hara / text: moegara

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恥をかきたくないとか、うまくいかなかったらどうしようとか

ビジネスホテルに泊まると、いつも若干体調が悪くなる。乾燥と微妙な空調、こもった空気と風量が定まらないドライヤー。とにかく不調になる原因が多すぎる。朝起きると、必ず薄っすら喉が痛い。ここ数日も仕事で、静岡沼津のビジネスホテルに泊まっていて、体調がすこぶる悪い。今朝方も眠りが浅かったらしく、うなされるような夢を、立てつづけに幾つか見てしまった。

まず見たのが、亡くなったはずの祖母と、前の日にひとりで食べた餃子を一緒に食べているという夢。「やっぱり美味いね」と僕が言うと、祖母は「美味いねえ。お前はこの餃子について、原稿を書かないとダメだと思うよ」と返してくる。祖母が現在の僕の仕事を知っているという設定の夢だった。「そうだね。書いてみるよ」。僕は餃子を頬張りながらそう答える。

普通、夢を見ていると食べ物を口に入れる寸前で目が覚めると言われるが、今朝方見た夢では、僕はムシャムシャ餃子を食べることができた。そして気づくと、沖縄石垣島のビーチにビニールシートを敷いて座っている夢に移り変わっている。

横には女性が座っていて、沖のほうを見ながら微笑んでいた。夢だから仕方がないが、それにしても脈絡がない。子供連れの親子と大きなゴールデンレトリバーが波打ち際で遊んでいるのが見える。彼女の顔をたしかめると、五年前に亡くなった、よくイベントなどに来てくれていた読者の方だった。

彼女は、新宿で行われた僕のトークイベント前日に都内の病院に緊急入院した。子宮がんだった。「明日のチケット取ったんですが、入院することになってしまって行かれません。席が空いてしまいます。本当にすみません」という内容のメッセージを僕に送ってくれた。文面の最後には、病院名と病室の番号も記載されている。「お気になさらず。お見舞い、行きますよ」と僕は返した。

次の日、トークイベント前に顔を出すと、「本当に来た!」と彼女はベッドの上でゲラゲラ笑い転げていた。そのあと、病状がかなり深刻なこと、たくさんの後悔、本当はしたかった様々なことを、彼女は話してくれた。

検査もあり、水しか摂ってはいけなかったので、一緒に病院の売店まで行って、ミネラルウォーターを彼女に奢った。「はい、誕生日プレゼント」と言って僕がミネラルウォーターのペットボトルを渡すと、彼女は笑顔で受け取ってくれたが、「焼酎のソーダ割りとかを奢ってほしかったなあ」なんてぽつりと言ったのが忘れられない。

彼女はネットでたまに詩を発表していて、将来一冊の本にするのが目標だと語っていた。南の島でいつかサーフィンをしたい、という夢も教えてくれた。毎年検査をするべきだったという後悔。兆候が少しあったのに、生活にかまけてしまったと、自分のことを責めていた。

「いつか、わたしのことを書いてください」とベッドに戻って、掛け布団で口のあたりまで隠しながら彼女が言う。「必ず書くよ。読んでね」。僕は彼女とそう約束をした。

最後に彼女は、「恥をかきたくないとか、うまくいかなかったらどうしようとか、本当はどっちでもよかったんですね。だって、生きて、自分がやるべきことができていたら、もうそれで十分幸せですよね?」と涙をいっぱい溜めながら言う。僕はなんて返しただろう。正直思い出せない。でも、きっとうまく返せなかったと思う。

彼女はそのあと半年がんばった。その間に僕はもう一度だけ、彼女を見舞うことができた。ふたりで病院のエレベーターを一緒に降りて、ミネラルウォーターを買いに売店まで行く道すがら、「絶対言わないでね」とこれまで誰にも言わなかったことを僕に教えてくれた。それに関しては、僕は一生誰にも言わない。

今朝起きると、薄っすら喉が痛かった。ビジネスホテルの生活はいつまで経ってもなかなか慣れない。眠りも浅く、変な夢ばかりを見てしまう。でもそんな日々なので、久しぶりに彼女と夢の中で再会をした。

僕は相変わらずいろいろとミスをしながら、なんとか原稿を書いて生きている。特別褒められるわけではないが、生活に困るほどでもない。恥をかきたくないとか、うまくいかなかったらどうしようとか、そんなことはどっちでもいいと思っている。だって、生きて、自分がやるべきことができていたら、もうそれで十分幸せなのだから。

サーフボードを持った女性のイラスト

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