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燃え殻「明けないで夜」:お好み、どうよ?

小説家でエッセイストの燃え殻が綴る夜の周辺。J-WAVEの番組『BEFORE DAWN』と連携して、著者本人の朗読とともにお届けします。

illustration: Tomoko Hara / text: moegara

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「お好み、どうよ?」

「普通にしなさい」それが母の口癖だった。「なんで普通のことができないんだ」。二浪までして大学に入れなかった僕に、父がため息交じりにそう言ったのを憶えている。

横浜郊外の「中の中」という感じの新興住宅地で、僕は学生時代を過ごした。僕の育った場所は「理由などなくとも大学には行くものだ」という地域だった。友達の母親同士は仲が良く、たまにみんなで集まって食事会などもしていたと思う。母親同士が話し合って、僕も友達も全員同じ塾に通った。同じ塾でも勉強ができる子と、できない子ではクラスが分かれる。母は、そのクラス分けに関して、かなりセンシティブになっていた。

一度、クラス分けが載ったプリントを、人差し指で確認しながら読んでいる母を見たことがある。そのとき母は、「あぁー……」と肺にあった空気を全部出すかのごとく、ため息を吐き、僕を一瞥してから夕飯の支度をしはじめた。そして母は無言になり、わかりやすく天を見つめる。僕の名前は、できない子のクラスにあった。子どもながらに気を遣って、「本屋のおじさん、入院したって」などと話を振ってみるが、トントントン……と包丁の音しか返ってこない。

台所に立つ母の近くまで行ってみると、母は野菜を千切りにしながら、涙をはらはらと流していた。そして包丁を使う手を止め、唇を震わせながら、「恥ずかしくて明日からスーパーに買い物に行かれないわ」と言った。僕は犯罪でも犯したかのようにショックを受け、涙を流すこともできずに呆然としてしまった。この先自分が生きていても、両親をがっかりさせてしまうことばかりをやってしまいそうで、心底怖くなった。

その日は八月の終わりで、家の近くでたまたま祭りが執り行われていた。テープレコーダーのお囃子の音が、遠くから微かに聞こえる。ときどきマイクを使って、大声で誰かを呼んでいる声も聞こえた。僕は家にいることがいやで、財布も持たずにそのまま玄関を出て、神社のほうに走った。

夏の夕暮れ、浴衣を着た女性が何人も行き交う。神社の境内までは、まだだいぶあったが、屋台が道沿いに先の先まで並んでいたのを憶えている。綿菓子の甘い匂いがした。金魚すくいの金魚は色とりどりで、座っている子供たちが、なにがおかしいのか、大袈裟に笑い転げている。焼きそばが鉄板で焼ける音。威勢のいい掛け声。りんご飴を舐めながら歩く若者たち。僕は行くあてもなくずんずん歩いて、境内近くの、お好み焼きの屋台の前を通り過ぎる。

茶髪と黒髪が混じったお姉さんが、一通りお好み焼きを作り終え、椅子に座ってタバコをふかしていた。「ふー、いる?」とタバコの箱を出して、僕をからかう。僕は思わず足が止まってしまう。「お好み、どうよ?」と笑顔で言う彼女。「すみません、いまお金なくて……」と返すと、「そう」とそっけない。そして、また彼女はタバコをふかす。僕はそのあと神社まで行って、とぼとぼ帰宅したはずだ。戻ってきた僕に、母は「夕飯できてるわよ」とだけ言った。

次の日、小遣いを持って、もう一度祭りに向かうと、昨日で終わりだったようで、はっぴを着た大人たちが、提灯などを外している真っ最中だった。道もキレイに掃除がされていて、あれだけあった屋台は跡形もなく消えている。

茶髪と黒髪が混じった彼女のお好み焼きの屋台も、もちろん跡形もない。きっと僕の知らないどこかの町の祭りで、今日も一通りお好み焼きを作り終えたら、またタバコをふかしているに違いない。彼女からあのとき一本タバコをもらって、そのままどこか知らない土地まで、一緒について行きたかった。

祭りが終わって、いつもの町がいつも通りに戻っていく様子を見ながら、そんなことを考えていたことを、僕は憶えている。

タバコに火をつける女性

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