三宅純という音楽家の名前を聞いたことはあるだろうか?
1976年にジャズマンとしてキャリアをスタート。作曲家として活躍するうちに、80年代後半あたりからCM音楽の帝王と呼ばれる。異種交配のスタイルを確立し、欧州の音楽批評家大賞を連続受賞。パリの百貨店ギャラリー・ラファイエットのイメージキャラクターに起用され、舞踏家ピナ・バウシュに愛され、リオ五輪で君が代を編曲し、世界的な映画作品のサウンドトラックを手がける。
これは彼の歩んだ軌跡のごく一部である。三宅純を知ったきっかけは、United Future Organizationとして世界で名を馳せたDJ、松浦俊夫が「たぶんキミはコレが好きだと思う」と教えてくれた1枚のCDだった。
数々の偉業を成し遂げた
異邦人の足跡を辿って
ミステリアスなゴーストのビジュアルと、“Stolen from strangers”というタイトル、それに「ジュン・ミヤケ」という日本人の名前が刻まれていた。ここから僕の “異邦人・三宅純”を知るための旅がはじまったのだ。
先立ってGoogleで検索すると、「日本を代表するトランペッター日野皓正に見出され、バークリー音楽大学に学んだ」「CM音楽の帝王と呼ばれる」「デビューアルバムに収められた2曲が、アンディ・ウォーホル出演TDKのCMに起用された」「2005年以降はパリを拠点にしている」「2009年にはパリの有名百貨店ギャラリー・ラファイエットのキャンペーンのイメージキャラクターに起用された」
いくつかの逸話を知るだけでもクラクラするような来歴である。
拍車をかけるようにタワーレコードのアヴァンギャルド・コーナーで手にした『Stolen from strangers』は音楽好きを自負する自分にとって、かつて耳にしたことがないような、あらゆる音楽的要素をひとつにまとめ上げた歴史的名盤だった。これが個人の思い込みでないことは、欧米の各メディアが以下のようにこのアルバムを称賛したことでも裏付けられた。
もっと三宅純のことが知りたい!という思いは募るばかりで、今回、彼の全履歴を追った書籍『MOMENTS / JUN MIYAKE 三宅純と48人の証言者たち』を、3年余の歳月を費やして編纂した。
フランスが世界に誇る
クリエイターとの邂逅
その過程で、ジャン=ポール・グードを取材する機会も得た。身に余る光栄である。というのも、彼は「エゴイスト」をはじめとするシャネルの広告作品や、80年代グレイス・ジョーンズの画期的なアートワーク、フランス革命200周年祝賀パレードの演出などで知られるイメージ・メーカーだからだ。
先述の『Stolen from strangers』のアートワークを手がけたのも、2009年にギャラリー・ラファイエットのMan of the Yearに三宅を選んだのも他ならぬジャン=ポール・グードだ。
2005年に三宅がパリに拠点を移してから、彼の音楽・スタイル、そして佇まいにたちまち魅了されたというジャン=ポール。二人の親交はその後も変わることなく、三宅のライフワークとなった「Lost Memory Theatre」シリーズでも彼は三宅のために作品を提供し、今も友好を温めている。
Lost Memory Theatreシリーズ
ファッションと音楽、
両方で感覚を共有できた
ジャン=ポールが三宅を「自分と同じ感覚を有するアーティスト」と評したことがある。この証言を裏付ける決定的な一枚の写真がこちら。まるで示し合わせたようなくるぶし丈のパンツが二人の共通項なのだ。
ジャン=ポールが着用するブランドは不明だが、三宅はもう生産されていない〈ヨウジヤマモト〉のパンツをオーダーメイドで仕立ててもらい、はき続けている。トレードマークであるツーブロックのヘアスタイルも合わせて、80年代から貫かれる普遍的なスタイルだ。
そして、交友録はジャン=ポールだけに留まらず、ファッションデザイナーにも広がる。
三宅の音楽のファンで毎回パリコレに招待してくれる山本耀司。パリで知り合った三宅の音楽を愛聴してくれていた生前の高田賢三。また80年代に西麻布にオープンさせたジャズ・クラブ〈BOHEMIA〉の音楽プロデュースを三宅に託した菊池武夫。2012年のフレグランスキャンペーンで楽曲制作を依頼、2014年に21_21DESIGN SIGHTで開催した「イメージメーカー展」でジャン=ポールと三宅純のコラボを展示した三宅一生。さらには、コレクションに楽曲提供を依頼したジャン=ポール・ノットやドリス・ヴァン・ノッテン。水泳仲間だというイザベル・マラン。その出会いも関わり方も多様だ。昨年はシャネルのCM曲「Boy de Chanel」に楽曲提供もしている。
独自のライフスタイルを持つ稀代の音楽家、三宅純。この後は映画や舞台の世界で際立つ功績にクローズアップする。