節分の鬼払いの元祖は、ここにあった
京都の吉田神社は「節分詣(まい)り発祥の地」といわれており、毎年節分前後から3日間にかけて行われる『節分祭』は室町時代から続く伝統ある神事です。
中でも見応えがあるのは「追儺式(ついなしき)」という儀式で、黄金の四つ目をした方相氏(ほうそうし)の面をつけた大舎人(おおどねり)が、盾矛を手に、侲子(しんし)と呼ばれる子供たちを多数引き連れ、疫鬼を追い払います。まずは陰陽師が祭文を奏し、その後、方相氏が大声を発しながら盾を3度打ち、最後に上卿(しょうけい)や殿上人が桃弓で葦矢(あしや)を放ち、疫鬼を追い払うのです。
この追儺式、別名「鬼やらい」が全国に広まり、節分の日に鬼を払う行事が行われるようになりました。吉田神社の節分祭では、追儺式で使われる方相氏、赤鬼、青鬼の面を模した紙製の面が特別に授与されます。この時期、日本中で鬼のお面が販売されますが、この姿こそが元祖です。