2人のボーカリストと1人の映画監督、再生までの日々
2022年4月。THE YELLOW MONKEYのボーカリスト・吉井和哉が声帯ポリープの治療でライブ活動ができなくなる……ならばソロアルバムを作ろう、という時に、そのアルバムに付ける特典映像ぐらいの予定でエリザベス宮地による吉井の密着撮影がスタート。
吉井の地元・静岡の、彼をバンド活動の世界に導いたボーカリスト、EROの住み処(か)を2人は訪ねる。脳梗塞の後遺症でギターを弾くこともできない彼と、吉井が、それぞれまたステージに立つまで撮り続けようと決めた宮地だが、その半年後、吉井が喉頭がんに。そんな彼らを3年以上追った記録が、ドキュメンタリー映画『みらいのうた』である。吉井が喉頭がんであることを、宮地が知ったのは、本人からのLINEだという。

「でも“放射線治療に通うことになりますが、気にせず撮り続けてください”と添えてあって。あの時がいちばんゾッとしましたけど、吉井さんがそう言うなら、2人が再びステージに立つまで撮るという目標は変えずにいこうと決めました。そこで僕が感情的になるのはやめようと。撮る側が感情的になっていいことって一個もないので。自分のメンタルを整えて、何が起きてもカメラを回し続けようと思ったんです」
吉井のがんは回復したが、その後も喉のコンディションは思わしくなく、日本武道館での復活ライブは中止に。代わりに4ヵ月後の東京ドームでの復活が決まったが、それまでに吉井がライブ1本を歌いきるコンディションに戻れるのかどうかは、誰にもわからない。EROも、仕事中の負傷もあり、歌えるようになる見通しが立たない。先の見えない状況で、映像を作品として公開できる保証もないまま、宮地はカメラを回し続けた。
「どんな時でも吉井さんは、カメラを回すことを受け入れてくれたし、僕の居場所を作ってくれた。編集が終わって映像を観てもらった時も、吉井さんも事務所の方も“ここは変えてほしい”といった要望はゼロ。よっぽどの覚悟でこの作品に向き合っていたんだな、と思いました」
表現者としての己が終わるかもしれない日々と闘い続けた吉井とERO。しかし、そんな2人を撮り続ける宮地も、実は同じ時期にそれに近い状況に陥ったのだという。
「一時期、この映画と、東出昌大さんの『WILL』の編集、BiSHや藤井風くんのライブツアーの撮影を並行して行っていて。それらが落ち着いたある日、目覚めたら突然、記憶が繫がらない状態になった時がありました。病院に行っても異状なしという診断なのに、数分前の出来事を全く覚えてないという状態が2週間ぐらい続いたんです。その時は、自分の全部がこれで終わるのか、と思いました。
EROさんの脳梗塞も突然だったそうだし、“ああ、こういう感じだったのか”と。吉井さんとEROさんのせいじゃなくて、自分のせいで映画を完成させられないかもしれない……という。ただ、EROさんと吉井さんは意識はしっかりしてるけど体が動かない。僕は体は大丈夫だけど意識や記憶がはっきりしない。EROさんと吉井さんの方がよっぽどつらいよな、と。あの経験で、身をもって吉井さんとEROさんのことがちょっとわかった、というのは大きかったと思います」
監督:エリザベス宮地/THE YELLOW MONKEY吉井和哉と、最初に彼をバンドの世界に導いたERO。その2人の、病気によるライブ活動休止から、再びステージに立つまでの3年以上を追ったドキュメンタリー映画。12月5日、全国公開。
『みらいのうた』と一緒に観たい、監督推薦作
『ニューヨーク・ドール』
米パンクの帝王、ニューヨーク・ドールズの再結成ドキュメンタリー。密着を撮るにあたり、吉井が宮地に「観ておいてほしい」と推薦した作品。「メンバー2人の関係が、吉井さんとEROさんに近いんです」
『WILL』
東出昌大の狩猟生活を宮地が追った一作。「作中で服部文祥さんが“人間は地球にとってのがん、でも良性腫瘍になる方法もあるはず”と言ってて。この作品と『みらいのうた』が“がん”というテーマで繫がってたんです」
『パンドラ ザ・イエロー・モンキーPUNCH DRUNKARD TOUR THE MOVIE 』/『オトトキ』
イエモンの1998~99年のツアーと、2016年の再結成時のドキュメンタリー作品。「こんなに赤裸々なドキュメンタリーはない、普通ここまで見せない。今回の映画のテーマは、この2作を超えられない、ということだった」