購入者:デザイナー、コーディネーター・増子由美、デザイナー・米谷ひろし
「これさえあれば、ほかは要らない。20年でも30年でもそう思い続けられるものが、私たちにとって人生最高の買い物なのだと思います」
そう話すのは、〈アーティゾン美術館〉の空間デザインでも知られる〈トネリコ〉のデザイナー、米谷ひろしさんと増子由美さん。都内にある自宅マンションは、白で統一されたミニマルな空間だ。2人暮らしに必要十分なスペースと最低限の家具。生活道具は何ひとつ表に出ていない。

「ものがない空間が好きなのは、景観的にも精神的にも快適だから。完璧に収納することも重要ですが、この家への引っ越しの際、洋服や器も、3分の1くらいまで減らしました」と米谷さん。
そんな2人の「これさえあれば」は、例えば白い飯茶碗。戦後日本の食器の歴史を変えた陶磁器デザイナー、森正洋の名作だ。

「30年使い続けて、これ以外のご飯茶碗を欲しいと思ったことがない。ウチの永久定番です」(増子)。長崎県波佐見町にある〈白山陶器〉のシグネチャー。口が広く大ぶりで、現在は色柄が200種類以上ある。
「1992年に発表された時、2つだけ買ったんです。シンプルで美しいとか持ちやすいとか魅力はいっぱいありますが、何より驚いたのは、ご飯が圧倒的においしくなること。器で味が変わると教えてくれた最高の買い物。ほかの茶碗は考えられません」と増子さん。
一般的な飯碗よりも大ぶりで平べったい形は、おいしく見える器を模索し続けたデザイナーが辿り着いた唯一無二のフォルムだとか。米谷さんは言う。
「20年前から毎年買い続けている〈モレスキン〉の手帳も、同じモデルばかり色違いで持っている〈ジャックデュラン〉の眼鏡フレームもそうですが、これしかない、というデザインの在り方に惹かれます」
その究極が、モダニズムの建築家、ミース・ファン・デル・ローエの「MRシェーズラウンジ」。大きな窓のあるこの部屋に住むと決めてから、最初に買った長椅子だ。
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「家に帰ってきた時、この美しい姿が目に入ると背筋が伸びる。自分を高めてくれる椅子でもあるんです」(増子)。モダニズム建築の巨匠が1932年にデザイン。片持ち構造を取り入れ、快適な座り心地を実現した。
「ミースがデザインの指標としていた“less is more(少ないことは、より豊かなこと)”は、私たちの理想の一つ。ただ少なければいいということではなく、そぎ落とした先に残る“これしかない”が心地いいんです。正直、長椅子がなくても暮らせます。でもここに寝そべって窓の外を眺める時間は何物にも代えがたいし、これがあるから空間のクオリティが高まる。買ってよかったと心から思います」(増子)