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なぜ、ますむらひろしは宮沢賢治の名作『銀河鉄道の夜』を幾度も猫で描くのか

漫画家のますむらひろしさんは宮沢賢治の作品を猫のキャラクターで描くことで知られている。中でも、名作『銀河鉄道の夜』は1983年、85年、そして2020年と3度にわたって描いている。なぜ猫を主人公に描くのか、なぜ『銀河鉄道』を描き続けるのか、お話を聞きました。

本記事も掲載されている、BRUTUS特別編集 増補改訂版 「猫だもの。」は、2023年4月11日発売です!

photo: Kazuharu Igarashi / text: Izumi Karashima

ますむらひろしが猫を主人公に描く理由

「人間を描くより猫を描く方がはるかに楽しいからなんですよ」。宮沢賢治の作品を猫で描き続ける理由を尋ねると、ますむらひろしさんはそう答えた。

「いちばん最初の『銀河鉄道の夜』を出版したとき、一部の熱心なファンから“宮沢賢治を冒涜している”と反発されたこともあったんです。でも、賢治は、あらゆる生き物を主人公に物語を書いているし、生きとし生けるものには命があり、その重さは平等で、人より動物が劣っているというものの考え方自体がおかしいと。だから、賢治のことをきちんと理解していれば、主人公のジョバンニやカムパネルラが人でも猫でも関係ないとわかるはず。

そもそも、そんなことで損なわれるほど賢治の物語はヤワじゃない。読み込めば読み込むほど、それを忠実に描けば描くほど、謎は深まり、新たな発見も多いんです。だから僕は40年以上研究し続け、何度も描く。そういう意味でいえば、僕の方が“賢治原理主義者”かもしれないね(笑)」

ますむらさんが宮沢賢治の本に出会ったのは1971年、18歳のとき。グラフィックデザイナーかイラストレーターになりたいという夢を抱き山形県米沢市から上京、夜間のデザイン学校に通っていた頃だ。

「東京暮らしに馴染めず鬱々としていたんです。折しも世の中は自然破壊が進み、公害問題が起きていて。特に、水俣病問題には衝撃を受けました。水銀に汚染された魚を猫に食べさせる実験を行い、猫が激痛で飛び跳ねる映像をテレビで観たんです。なんと残酷なと。人間の傲慢さへの怒り、社会への怒りとともに、じゃあ、僕は何をすべきかと。商業デザイナーやイラストレーターになることが果たして素晴らしいことなのかと疑問を持ち、夢を持てなくなってしまった。

そんなときにふと、賢治の本を手に取った。当時好きだった漫画家・鈴木翁二さんの作品が“宮沢賢治の世界観を彷彿させる”という作評を読んだのがキッカケで。それまで教科書でしか賢治の作品を読んだことがなかったんです」

まずは短編集『注文の多い料理店』から読み始め、宮沢賢治の不思議な世界にどんどんハマっていった。

「僕もそうだったけど、賢治といえば『雨ニモマケズ』のようにコツコツ生きるイメージが強いじゃないですか。聖人君子のような人なんだと。もちろんそれも賢治の一面だけど、一方では、社会の常識やシステムを拒否するパンクな人でもある。例えば、彼は学校の先生でしたが、教室には窓から出入りし、生徒たちに泥棒の体験をさせるためにスイカを盗ませる(笑)。もちろん代金は農家に払っているんですが、とにかく自由な発想をする人なんです」

しかし、そんな賢治だからこそ、彼の物語は読めば読むほど奥深くて難解、最初のうちは登場人物や主役の動物たちになかなか感情移入ができなかった、とますむらさんは言う。

「そんな中、僕の中に棲み始めたのが『猫の事務所』に出てくる“かま猫”でした。かま猫は、何も悪いことをしていないのに事務所の先輩の三毛猫や虎猫にいじめられる。その原因の一つが、彼がかまどの煤で汚れているから。彼は皮が薄いせいで寒くてたまらず、ついついかまどの中に入ってしまうんです。それは都会の路地裏の狭い部屋で布団を被りながら賢治の文庫本を握りしめる僕の姿そのもの。

そのとき、かま猫の悲しみと社会への怒りが重なり、“ああ、これだ”と。日本中の猫たちが集まり、自分たちが生きていくためにはこの国の人間たちを滅ぼそうと会議を開く、そういう話を描こうと思った、それが僕の人生初の漫画『霧にむせぶ夜』でした」

金目当てで手塚治虫賞に応募すると審査員だった筒井康隆氏がますむらさんの作品を気に入り、二等賞に入選。そして、漫画家デビュー。1972年、20歳のときだった。

「ごとんごとん」じゃなくて「ごとごと」なんです

©ますむらひろし
ジョバンニとカムパネルラを乗せ「ごとごと」と走る銀河鉄道。2020年の最新版はボックスシートではなくロングシートに変更した。窓の外は「桔梗色(ききょういろ)の空」。

その後、ますむらさんは豊かな自然が残る千葉県野田市へ移住。今度は、猫と人間が闘うのではなく、平和的に共存する世界が舞台の『アタゴオル物語』を描き始める。それは、宮沢賢治の心象世界の中の理想郷「イーハトーブ」への返信だった。

「東武線の愛宕(あたご)駅に住んでいたから『アタゴオル』と(笑)。主人公は大酒飲みの巨漢猫ヒデヨシ。彼はあらゆる法則の外側で勝手なことをして生きる猫。働かず、毎日酒を飲み、イヤなことがあっても笑っている。僕の憧れとして描いたんです」

そして、『アタゴオル』がますむらさんの代名詞となり始めた頃、賢治の話を漫画化したいと思うように。「担当編集者に相談したんです。描き下ろしでやらせてくれないかと。『銀河鉄道の夜』と『風の又三郎』と『グスコーブドリの伝記』と。ちょうど賢治の没後50年という節目でもあったので、挑戦してみたかった。すると彼は、“じゃあ、登場人物を全部猫で描いたら?”と。僕はそんなふうに考えていなかった。え?猫で?(笑)でも、編集者の直感に乗ってみようかなって」

直感は当たり。1983年に刊行した『銀河鉄道の夜』は大ヒット。

「名作を漫画でカバーすると、みんなそれぞれイメージをしながら読んでいますから、この作品の主人公はこんな顔じゃないという拒否反応は絶対にある。だったらいっそ猫で描いた方が、という思いもありました。ただ、あまりにもヒットしてしまい、逆に、“猫が主人公の話なんだ”と子供たちに刷り込んでしまった部分もあったかもしれません」

しかし、ますむらさんの『銀河鉄道の夜』はここで完結しなかった。1985年に2度目を描き、約30年後の2016年、3度目に挑戦。2020年、その第1巻が発売され、21年には第2巻も発売。83年版は107ページ、85年版は193ページ、今回は全4巻600ページの予定だ。

賢治の謎に迫るため繰り返し読んでいる『宮沢賢治全集』。真っ黒になるまで使ってバラバラに。このちくま文庫は3冊目。

「そもそも賢治は生前に評価されることのなかった作家。『銀河鉄道の夜』も死後書籍化されたんです。彼は亡くなるまで推敲を重ね、計3回書き直していて、その“第4次稿”が最終形と考えられていますが、多くの謎は残されたまま。僕が何度も描くのはその謎に迫りたいからなんです。

83年版は“わからないものはそのままでいい”と思いましたが、時間が経つとまた思いが募る。それがこの話の不思議なところであり魅力なんです。例えば、賢治は列車の音を“ごとごと”と書いた。“ごとんごとん”じゃない。それはつまり、線路の幅も狭く車両も小さいから“ごとごと”なわけで、軽便鉄道という小さな列車であることを示しているんです。すると、最初はボックスシートで僕は描きましたが、軽便鉄道はロングシートで、これは描き直さなきゃいけないな、となる。

ほかにも、銀河鉄道の窓から星が見えるはずだと思って最初は描きましたが、“夜空にはたくさんの星が”というような言葉は実は賢治の文章には出てこない。“桔梗色(ききょういろ)の空”という言葉だけなんです。でも、それからずいぶん時間が経って、ある日の夕方、自分の家で空を眺めていたら、日が落ちて空が青くなり暗くなる一瞬前、空が桔梗色になったんです。そのとき、星はほとんど見えなかった。

ああ、これだと。そこに星があっても見ることはできない、だから、わざわざ“桔梗色の空”と賢治は書いたんだと。こういった謎を一つ一つ検証していくと答えがだんだん見えてくる。ここから本当は何が見える?賢治は何を見た?って」

そして、ますむらさんの最大の発見は、天気輪(てんきりん)の柱のある丘に登ったジョバンニが空を眺めたのは何月何日だったかを割り出したこと。

「ああ、そうか、これは旧暦のお盆の出来事だと。賢治はそんなことは一言も書いてないんです。ヒントは“六時がうってしばらくたったころ”にジョバンニがバイト先の印刷所を出る、その1ヵ所だけ。とすると、8時前後に丘に到着し、北斗七星が北にあり、頭上にはこと座が見える、そこで星座盤を合わせると、8月22日もしくは23日のことだったんだと」

ジョバンニが働く「活版処」の様子
ジョバンニが働く「活版処」の様子。ますむらさんは宮沢賢治が当時想像していた風景に寄り添うため、大正時代に使われていた印刷機を探したり現存する活版所を訪れ取材して作画にあたった。

子供の頃、猫は好きじゃなかった

ところで、ますむらさんの猫歴はいつからだろう。野田に住み始めた頃から現在に至るまで、「実に適当に(笑)」30匹近くと暮らしてきた愛猫家だ。猫を描き、猫に憧れ、猫に自分自身を投影し、感情移入をするのは、やはり子供の頃から猫が身近な存在だったからだろうか。

「実はね、ちっとも好きじゃなかった(笑)。というか、興味がなかった。うちはもともと魚屋で、昔だからネズミを獲るために猫を飼っていたこともあったんです。でも、かわいがるとか、そういうことじゃなかった。ただ、賢治の本に触発されて漫画を描こうと思ったとき、我々の社会システムとは関係なく生きる猫という存在を通して描くことが、僕には合ってるなと。編集者に“きみは人間を描くのがうまくない”とも言われましたしね(笑)」

現在、ますむらさんの家にいるのは3匹。サル顔のモン(メス)、困り顔のコマ(メス)、しっぽがクエスチョンマークのハテナ(オス)。先代猫モミ(メス)が17歳で亡くなった後、家族に迎え入れたという。

2020年11月に発売された『銀河鉄道の夜 四次稿編』第1巻のカバー裏に、ますむらさんはモミへの思いを込めこう記した。

猫も亡くなったら銀河鉄道に乗る。今夜モミが乗る座席の隣の席に、俺の心の化身が乗るだろう。そうなのだ、『銀河鉄道の夜』は愛おしい死者を、離れたくない心が「どこまでも送っていく」物語なんだ。

もしかして、モミを投影したキャラクターが『銀河鉄道の夜』にも?

「いいえ。自分ちの猫は描かないようにしているんです。いなくなっちゃうとやっぱり悲しいからね」

自宅には広大な庭がある。モン、コマ、ハテナは庭と家を自由に行き来しながらのんびり暮らす。庭の隅には歴代の猫たちのお墓も。「それがまた植物となり命が循環する。人間よりも幸せです、ここで眠れるのは」とますむらさん。