モノクロの映像美で世界を映し出す、彼の新しい監督作が公開
疑似的な育児経験を通じ、ジョニーは子育てについてだけでなく、社会や世界について学ぶ。そして自分自身についても。「子供から学ぶことはとても多い」。1児の父であるマイク・ミルズは実感を込めて言う。美しく、温もりに溢れたこの映画で彼が提示するのは、他者に好奇心を持ち、他者を理解することの大切さだ。
BRUTUS
『人生はビギナーズ』で父親を、『20センチュリー・ウーマン』で母親を描いてきたあなたにとって、今回子供を描くことは必然でしたか?
ミルズ
いや、自分にとって予想外の展開ではあったけど、2012年に子供ができて、彼を観察していたら、彼がどのように世界を見て、どのように僕に影響を与えているか、関心を持つようになったんだ。
それがこの映画の発端だね。長く築いてきた親密な関係を通して、何か素敵なストーリーを伝えられるんじゃないかと思ったんだ。
BRUTUS
劇中のジョニーと同じように、あなたも子供からさまざまなことを学んできた?
ミルズ
社会や世界について、それから自分自身の内面について、子供から学ぶことはとても多い。子供ができる前の僕は、どこにもつながりを持てず、浮遊しているような感覚だった。
でも子供が生まれ、僕を必要とする存在ができたことで、地に足が着き、良いことも悪いこともすべて考え直すようになったんだ。世界をどのように理解し、それをどう子供に伝えていくか、意識しなければいけなくなったしね。
時間の有限性に執着があるんだ。
BRUTUS
ジョニーはあなたと違い、伯父という設定になっています。
ミルズ
伯父という設定にしたのは、子育てを知らないキャラクターが戸惑う様子を描きたかったからだ。何をしていいかわからず、恥をかくことは精神衛生的にも、対人関係的にも大切な要素だと思う。恥をかくことによって、ポジティブになれる場合もあるからね。
この間、1971年の映画『ハロルドとモード/少年は虹を渡る』を観ていたら、人生では誰しも手に負えないものがあるんだと改めて感じた。バスター・キートンやチャップリンの映画で描かれるのも同様だね。
この映画のなかでも、そういった誰もが経験する困惑する状況を描き出したかったんだ。
BRUTUS
──ホアキン・フェニックスとの仕事は、これまでの俳優たちとどう違いましたか?
ミルズ
監督の仕事は、一人一人異なる俳優の不安や弱みを読み取り、彼らが求めているものを与えてあげることだと思うけど、ホアキンの場合、何よりも彼が求めていたのは友情や笑いだった。作為的な演技を嫌う点では、僕は彼と同意見だね。
ジョニーがジェシーの家を初めて訪れる場面で、ホアキンがジェシー役のウディ・ノーマンと会うのは2度目だった。そういうリアルな瞬間を描き出すことを、ホアキンとはどの場面でも心がけたよ。
BRUTUS
本作は単に子供と過ごす時間を描くだけでなく、観る人をより深いところへ連れていきます。それは本作が時間の流れについて、そのはかなさや未来への展望について、観る人に強くイメージさせるからです。
ミルズ
僕自身、思い出や過ぎゆく時間、時間の有限性というものにとても執着があるんだ。時間がいかに速く流れていってしまうか、時間をつかみ損ねないことがどれだけ大事か、そういったことを僕はこれまでの作品でも描いてきた。
そもそも映画は、時間を捉え、フリーズさせるのに最適なメディアだと思ってるんだ。だから映画を通して、そのようなテーマを好んで描くのかもしれないね。
BRUTUS
本作において、あなたは“聞く”という行為を重視して描いていると思いました。ジョニーは聞くことにより、ジェシーの考えを理解していきます。それが立場の異なる人を理解する、重要な手段だというように。
ミルズ
ああ、ジョニーが気づくのは、聞くことが“親”になる最短の道だということだ。ジェシーをより理解したいと思ったとき、彼はジェシーの遊びに参加し、その話に耳を傾けるようになる。それは僕自身の経験に基づくものだよ。
映画作りは自分の世界観を示すことのできる、とても贅沢な手段だと思うけど、僕が観る人に示したいのは、周りの人たちに好奇心を持つこと、そして周りの人たちを理解することの大切さだ。夢見がちで、理想主義的な考えかもしれないけどね。
でも僕がどの作品でも中心的なテーマにしているのは、そういったことだよ。とても大事な問題だと常に感じているんだ。