1957年のミッレミリアと愛しのディーノ
「ジャガーはクルマを売るためにレースをする。私はレースをするためにクルマを売る」
エンツォ・フェラーリ。元レーサーであり、カーデザイナーでもあり、第二次世界大戦後にスクーデリア・フェラーリを立ち上げ、「イタリアの宝石」と言わしめる自動車メーカーへと成長させた男である。マイケル・マン監督の新作映画『フェラーリ』はこの男の「1957年」にフォーカスを当てた映画だ。
マンは大のクルマ好き。プロデューサーを務めた80年代の人気刑事ドラマ『マイアミ・バイス』シリーズではデイトナ・スパイダーやテスタロッサなどを登場させ、自身も何台も所有するフェラーリフリーク。エンツォ没後(1988年没)からずっと彼の人生を映画にしたいと30年以上にわたって構想していたという。
57年はエンツォにとって「我が生涯の最悪の年」。クルマを量産せず特別な顧客だけに造って販売するスタイルのまま、レースには際限なくお金を突っ込んでしまうので、会社の経営は逼迫(ひっぱく)、倒産寸前に追い込まれていた。さらにその前年には、跡継ぎだった一人息子ディーノことアルフレードを24歳の若さで亡くし、会社の共同経営者でもある妻ラウラとの仲は冷え切っていた。そんな中、イタリアの公道自動車レース『ミッレミリア』で起死回生を狙うのだが——。
クライマックスのレースシーンは圧巻。ベンツやポルシェなど57年のミッレミリアを走ったレジェンドカーがゾロゾロ登場。さすがにフェラーリ335Sなどメインカーの実物は使用できず、オリジナルを3Dスキャンしてレプリカを製作。時速200㎞オーバーで田舎道をぶっ飛ばしたという当時の状況を再現している。
エンツォは冷血漢だと映画を観るまでは思っていた。が、自家用車はプジョー403で、毎朝ディーノの墓へ行くのが日課、妻と愛人の間を行き来しつつマンマの機嫌も取っていた。情に厚いイタリア男であり、『ゴッドファーザー』のドン・コルレオーネのようでもあり。そんなエンツォを演じたアダム・ドライヴァーのすごさよ。マーロン・ブランドよろしく恰幅のいい59歳に成り切っていた。
小型のV6エンジンの開発をしていたディーノ。彼の研究が実を結んだのも57年だった。