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松任谷由実「ムッシュこそ、私の東京らしさ」 Vol.3

東京らしい男との、東京らしいエピソード。フッと現れてはフッと消えてしまう、とてもチャーミングな男。誰からも愛された“ムッシュ”こと、かまやつひろしさんとの思い出を、大の仲良しだった松任谷由実さんに教えてもらいます。ムッシュって、一体どんな方だったんですか。

photo: Mie Morimoto / hair&make: Naoki Toyama (Iris) / text: Natsuo Kitazawa / assist: Masaki Morita / special thanks: Hitoshi Okamoto,COMPLEX UNIVERSAL FURNITURE SUPPLY

泣きながら運転した夜の中央高速

ムッシュは、『セブンスターショー』で「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」も歌っている。当時は誰からも評価されなかったと本人は述懐するが、この曲をリアルタイムで聴いたユーミンはどう感じたのだろう?

「似合いすぎていて、取り立てて格好良いというものでもない格好良さ。普通に“らしくて”いいね、という受け入れ方ですね。歌詞の乗せ方も毎回違う、そういう姿勢。ロックで言うところのアティテュード。ムッシュの魅力って、東京の粋が洋楽とかヨーロッパの洗礼を受けて、さらに違うものになっているような感じなんです。

あとは、ムッシュにはカントリー&ウェスタンの要素も入っているところがまたいいですよね。戦後間もない頃の一番お洒落な学生の坊ちゃんたちは、ウェスタンかハワイアンだったらしいんです。そして、父ティーブさん直伝のジャズはもちろん。ムッシュはそういうものを全部持っていて、総合的に本当にお洒落。60年代という一番格好良かった時代が生んだヒップスター、ともいえるのでしょうね。

ムッシュのセンス=東京のセンスと思える一番の理由ですか?

押しつけがましくない、そして飄々としている。だけど、世の中に怒る時は本気で怒るところ。ムッシュにはピュアさといい加減さの粋の両方があった。きっちり決めてなくて、フローしてる。でも涙もろかったり、純粋なの。とにかく〈男の子〉でしたよね。その男の子たちと悪だくみとかイタズラの話をする時が一番嬉しそうだった。

99年にやった還暦の会の翌年に、キャンティに8人くらいで集まって反省会のようなことをしたんです。その時、泉谷しげるさんと吉田拓郎さんがなぜか急に殴り合いのケンカを始めてしまって、いつの間にか泉谷さんが拓郎さんの上に馬乗りになってるから、森山良子さんが止めに入って、“あんたたちケンカするなら外でやって!”と冷水を浴びせたりして。

やっぱり良子さんは大人だなって思いつつ、私が“ムッシュ、これは良い思い出になるよね”と言ったら、すごく喜んで、“あれ、寸止めだったよ。ケンカするほど仲が良いんだな”っていつも言っていました。自分の会で本当は仲が良い〈男の子〉たちを見るのが、すごく嬉しかったみたい。

ムッシュは音楽のことを“ピンコロピンコロやってきたぜ”とか言ったりしていたんです。だから年齢とか関係なく、男の子たちで“ピンコロピンコロ”やっているのが、一番好きなんですよ。そして、それを女の人に目撃してほしかったんじゃないかな。私はそれにおあつらえ向きな女性ミュージシャンだったのかもしれないですね。音楽と離れていたら目撃って感じではないし、音楽的にあまりにも遠くても違うんでしょうし」


これほど通じ合う2人の共作が1曲しかないのは不思議だが、ムッシュが音楽を手がけた斎藤耕一監督の映画『渚の白い家』(78年)の主題歌「12時の讃歌」――ユーミンが作詞、ムッシュが作曲、加橋かつみが歌ったこの曲をユーミンは覚えていなかった。サントラ盤をポータブルプレーヤーに載せ、針を落とす。歌詞カードのフレーズを辿りながら、じっと聴き入っていたユーミンが、ふいに顔を上げて「いいじゃない!」とつぶやいた。

『渚の白い家』
『渚の白い家』
1978年、音楽に造詣の深い斎藤耕一監督の依頼を受け、浅丘ルリ子主演、オールハワイロケのサスペンス映画の音楽をムッシュ・スクランブル名義でプロデュースしたオリジナルサウンドトラック盤。加橋かつみのメランコリックな歌唱が冴える主題歌「12時の讃歌」は作詞:松任谷由実、作曲:かまやつひろし、編曲:林哲司という豪華な組み合わせ。


「(涙を拭って)今、これを聴いていたらとっておきの出来事を思い出したんですけど……昔、ムッシュが大失恋したことがあって。私はその時、ピアノがある八王子の実家で1週間、曲を書く期間を取っていたら、実家に電話がかかってきて、“すぐ迎えに行くからさ、付き合ってよ”と言われたんです。いいよ、って答えたら夜遅く22時頃にミニで来て、中央高速を走って、車だから飲めないんだけどキャンティに向かったんです。

ミニ好きだったムッシュはさまざまなクルマを愛した。

運転しながら泣いてるのね。それでお茶だけ飲んで、また八王子に送ってもらったことがありました。ピンポイントの話はしないように、よもやま話をして。ただ行って、帰ってきただけ。その時に、一番友情を感じているんだなって思った。だから、男と女の友情は存在します、絶対。それに男同士だと話せないことってきっといっぱいありますよね」

ムッシュとユーミンの50年に及ぶ交友の中心には、いつもキャンティがあった。今回のインタビューも当初はキャンティで収録する予定だった。しかし、最終的にその案は流れた。


「どんな時にもキャンティは私にとっては社食みたいなものだから、ツアー中に東京に戻ってきて、自分の中に〈東京感〉を持ちたい時はキャンティに行くんです。でも、ムッシュが亡くなった去年の3月頃は、悲しくてお店自体に行けなかったし、いつも一緒に座っていた席は思い出してしまうから嫌だった。でも今年の1月11日に行った時はたまたまその席が空いていて……ムッシュはふっと現れて、その場を盛り下げないようにふっと消えるのが得意だったから、いないっていう感じが本当にしなくて、その後だと、今日が一番いない感じがしました」

キャンティ、お店の中の様子
いつものあの席で。どちらからともなく連絡を取り合って、飯倉片町の〈キャンティ〉で食事をし、話をした。地下フロアのいつもの席で。「ムッシュはミラノカツレツが好きでしたね。私にとってキャンティとは、“凝縮された東京”です」

そして最後の最後、撮影の合間に、ユーミンはこんな秘話を打ち明けてくれた。

「『宇宙図書館』のツアーで『GREY』という曲を本編のラストにやったんですけど、タバコの煙の歌だから、ムッシュの『ゴロワーズを吸ったことがあるかい』とわかる人にはわかるように重ね合わせていたんです。この曲は私がプロデュースした小林麻美さんのアルバム『GREY』(87年)に入れたもので、当時ムッシュが激賞してくれて“なんでもっとプロモーションしないんだろう?”って熱心に言っていたのを思い出して、ツアーの途中からセットリストに組み込んだら……ムッシュと一緒にあちこちを巡っているような気持ちになりました」

小林麻美 『GREY』
小林麻美 『GREY』
1970年代よりモデル、女優、歌手として活躍。84年、イタリアの男性歌手ガゼボの「アイ・ライク・ショパン」に松任谷由実が日本語詞をつけた「雨音はショパンの調べ」がシングルチャート第1位を獲得。アルバム3部作の掉尾を飾る『GREY』(87年)はユーミンがほぼ全曲を作詞・作曲・プロデュース、全編曲を後藤次利が手がけたオブスキュアな名盤。