独創的な茶会は、どのような背景から生まれたのか
絢爛豪華な桃山文化に育まれた千利休の茶の世界。その流祖である村田珠光(じゅこう)が「藁屋(わらや)に名馬を繋ぎたるがよし」と残したように、侘び寂びは、栄華やハレの場があってこそ引き立てられるのかもしれない。これを、現代の茶人・松村宗亮さんが解釈すればどうか。金箔瓦の天守閣や極彩色の障屏画は、色とりどりのネオンに彩られたデコトラや、LEDが映し出す銀河の宇宙に変わる。
伝統を重んじつつも、昔ながらの形にとらわれないその茶会は、非日常に振り切れている。松村さんが茶道を始めたのは20代前半。学生時代に放浪したヨーロッパがきっかけだったという。
「日本を意識せざるを得なくなって、帰国後に始めたのが茶道と華道と習字。中でも面白さと可能性を感じたのがお茶でした。もちろん、最初はお点前を覚えるのも大変だし、足も痛かった。でも勉強するにつれて、ルールやフォーマットに則(のっと)ったもてなしの選択肢が無限大で、自分の美意識や価値観を表現できることに楽しみを覚えたんです。
たぶん原形は、友達や彼女にカッコいい部屋だと思われたかったという、言ってみればしょうもないことなんですけど(笑)。最初の衝動は、そういうのに近かったと思います。自分しか知らないお菓子や飲み物を、しかもカッコよく出せたらな、みたいな気持ちは高校生の時からありました」
〈SHUHALLY/文彩庵〉
守るものが根底にあるから、振り切った演出ができる
その道のりは順風満帆ではなかった。流儀や道具を代々受け継ぐことが多い伝承文化に、名も実績もない初代として切り込むのには苦労もあった。
「専門学校には、茶道に携わっている家の人たちが多かった。自分には家に伝わる古い茶道具もなければ、稽古場もない。周囲より不利な条件があると感じていました。でも、そんな逆風の中、30代で教室を始めた。ハンデが自分の独自性に繋がったんです」
“ない”なら、作らなければならない。それが逆にオリジナリティとなった。陰翳礼讃的な美しさに感動したという原体験を基にした真っ黒な茶室、3Dプリンターで再現した茶入れ、スタッズに覆われた抹茶茶碗、自由な床の間のしつらえも、形式的なお茶の世界から解放してくれるものとなったのだ。
その時々で、ヒューマンビートボクサーが所作に合わせて歌ったり、緊縛師がいろいろなものを縛り上げたり、時に最先端のテクノロジーも取り入れたりして行われる茶会の風景は、前衛的で奇抜にも映るが、茶の湯の本質からは、決して逸脱していない。
「人が集い、湯を沸かし、茶を出すということだけで茶会は成立するとも言えます。基本のお点前の上に様々な演出をするというのは、昔から行われていたことですよね。千利休の時代の感覚で言えば、明日死ぬかもわからない戦乱期の戦国大名たちが、束の間の安らぎを得ようと、まさに一期一会でとんでもないことをやっていたわけです。
もちろん型も重要ですが、それよりも、利休の時代からの茶の湯というものの創造性や精神性、爆発力みたいなものを、自分の中に忘れずに持っていたいという感覚がありますね」
振り切った演出の茶会を行う一方で、古典の道具や、いわゆる伝統的な茶会に今でも心ときめくという松村さん。
「守るものがないと、それを打ち破ることはできない。両方を行き来しながら、お茶の楽しさをもっとみなさんと共有できたらと思います。今後はメタバースなどバーチャルな空間でお点前を教えたり、茶会を開いたりもしたい。
どこまで技術が進化しても、ヒリヒリするような茶室の空気感は作れないと思うので、それが浸透すればするほどリアルの価値が上がり、戦国時代のような気合の入った茶会ができる。茶人の人口が増えれば、それぞれの茶風が広がって多様性も出てくる。今そういうことにすごくワクワクしています」
松村宗亮の次を生み出す仕事術
1:茶の湯の創造性、精神性、爆発力を持つ。
2:お稽古では、お点前をきちっと教える。
3:伝統を守りながら、個性や美意識を出していく。
4:その日一日の流れを想像して準備する。
5:まずは、自分がワクワクすること。