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マルタン・マルジェラ、アーティストとしての顔を追う

〈メゾン マルタン マルジェラ〉の創設者にしてデザイナー、その革新的なコンセプトとデザインで、文字通り一世を風靡したマルタン・マルジェラ。2008年のコレクションを最後にブランドを手放し引退、表舞台から退いた彼が、新たなる第一歩を踏み出したのは、コンテンポラリー・アートの世界だ。現地に赴いた写真家・梶野彰一が詳細レポート。

Photo&Text: Shoichi Kajino

今はアーティストとして活動している、マルタン・マルジェラによる初の個展が、パリのアートスペース「ラファイエット・アンティシパシオン」で開催されている。本来は昨年の春に披露されるはずだったものの感染症拡大の影響で延期されていたものだ。10月20日の夜、そのオープニング・パーティが行われた。おそらくご本人もその場に姿を現したかもしれない会場で、マルタン・マルジェラのアーティストとしての顔を探った。

マルタン・マルジェラ初の展覧会の会場となっている「ラファイエット・アンティシパシオン」はマレ地区にある。有名デパート「ギャラリー・ラファイエット」が運営するアート施設だ。

オープニング・レセプションが開かれたこの日は、夕方まだ明るいうちから多くのゲストが殺到しカクテルで賑わっていた。やはり気になってしまうのは、この会場のどこかにマルジェラご本人も紛れているのではないのかということだ。

マルタン・マルジェラの
強烈なオブセッション。

ギャラリーの中庭を抜けて、階段を上り展示を見せていただいた。まず最初に目を引くのが’60~’70年代の古雑誌の表紙を飾るカトリーヌ・ドヌーヴ、ミレイユ・マチューなど女優や歌手の顔を毛髪で覆った作品。

そしてガラスケースに収まった赤い毛髪で覆われた頭のオブジェが現れる。また少し先の部屋には、5つの異なる色の毛髪で覆われた頭のオブジェがガラスケースに整然と並んでおり、これは人生の5つのステージによる髪色を並べたものだという。

かつてのランウェイやルックブックでも、ヘアを思いっきり顔面に垂らしてモデルの顔を覆い隠してきた〈メゾン マルタン マルジェラ〉の流儀をすぐに想起させる。強いオブセッションに溢れた表現に久しぶりに直接触れたような気がして、うれしくなってしまう。

それは果たして単なる毛髪へのオブセッションなのか、あるいは最も個性とパーソナルな特徴を持つ「顔」という部位を覆い隠し、個人をアノニマスな肉体の塊にしてしまいたいというオブセッションなのか。

覆い隠される
アートピースたち。

鎮座する茶色のレザーのオブジェは何かを覆い隠しているが、中に何を隠しているかは分からない。またフェイクファーで覆われた巨大なバスストップがガラスの向こうに置かれている。しばらく覗き込んでいると、ガラスは突如、曇りガラスになって作品をゆっくり鑑賞させてくれないという仕掛けが施されている。

いくつかの作品の横には係員(残念ながら白衣は着ていない)が付き添っていて、監視のためかと思いきや、時々壁の作品を外したり、スライドで巻き上げたり、展示してあるオブジェを布で覆ったり、移動させたりしている。

これは、訪れた曜日や時間で、見える展示作品が異なるようにというマルジェラの指示による仕掛けなのだという。
まさか展示会を見に来ても、作品が「覆い隠されて」見られないこともあるだなんて。

もうひとつのオブセッションは「身体」ということだろうか。プラモデルの部品のように形成された身体の一部もあれば、身体をブロック状に抜きだしたような彫刻作品も並べられている。絵や写真といった平面での表現でも、拡大した身体、皮膚と毛をモチーフに固執している。これらは極度に拡大することで、個性を消失させて。衣服を脱いだ人間、身体、これこそマルタン・マルジェラ自身のメタファーかも?という僕の思いつきは、きっと考えすぎだ。

2つのフロアにわたる展示は、壁で仕切った部屋を回廊のようにめぐって鑑賞するという流れ。最後にはフォトジェニックな巨大な赤い爪があり、短いムービー作品もある。マルジェラの作品への意図を探りながらゆっくりと歩を進めていると、20点を超える未発表の作品はなかなか見応えがあった。

デオドラント製品に込められた
マルジェラのメッセージとは。

今回の展覧会全体を支配しているイメージは制汗デオドラントのスティックの商品写真だ。商品ラベルは黒塗りして貼られている。エントランスにはもちろん、中庭の大きな壁面にもこのデオドラント・スティックを引き伸ばしたイメージが飾られてゲストを迎えているし、会場で見ることのできる映像作品の途中には、動画サイトのスキップ可能な広告動画を模した形でデオドラント・スティックのイメージを挟み込んでくるという具合。

市内のバス停やメトロの駅に貼られている広告もこのデオドラント・スティックのポスターで、それがアートの展覧会の告知と気づかない人も多いかもしれない。

プレスリリースによれば、「デオドラントこそ、現代の衛生的な強迫観念や、あらゆるメタモルフォーゼを支配しようとする身体への処置の象徴で、それはエロティックな象徴にもなり得る」のだとか。さすがの洒脱のエスプリというか、さて、ここは笑うべきところだったのだろうか。

実際、ギャラリーに併設されたショップではこのデオドラント・スティックがガラスケースの中で回転しており、750ユーロ(≒99,500円)で販売しているという仕掛け。

新しい表現の舞台がアートになったと聞いても、マルタン・マルジェラのファンなら納得こそすれ、驚く人は少ないはずだ。そもそも氏は、ファッションという分野で名を上げてはいたが、そのアプローチはショーやデザイン、イメージのコントロールまで、アートのマナーそのものだったのだから。

完全な匿名性を貫き、ユニークで決してぶれることのない感覚で、価値観を常に刷新してきたマルタン・マルジェラの表現は、衣服というキャンバスを捨てて、アートの世界へと拡張したのを実感し堪能した展覧会だった。

*ブランド名は当時の表記を採用。