発見の喜びこそミッドセンチュリーの魅力
親世代のダサい家具、とアメリカ人の誰もが見向きもしなかったミッドセンチュリー。マーク・マクドナルドがNYに家具ギャラリー〈Fifty/50〉を開いた1983年当時、イームズもネルソンも、年配層にとっては「とっとと捨てたい家具」だった。だがマークと仲間の狙いは、まさにこのミッドセンチュリーの真価を広く知らしめることにある。〈Fifty/50〉のこけら落としは『イームズ展』。チャールズとレイの名を併記し両者ともに評価したのはこれが世界初というから驚きだ。
NYのトップギャラリーで修業を積んだ辣腕(らつわん)アートディーラーとしての才覚と、誰よりも強いデザイン愛。マークはミッドセンチュリーの美しさと奥深さを、顧客にこんこんと説き続ける。
毎日通っては必ず何か買っていくアンディ・ウォーホルやロバート・メイプルソープ、ジュリアン・シュナーベルなどのアーティストをはじめ、ハリウッド俳優や美術館関係者などあらゆるビューティフル・ピープルがマークの元に通って教えを授かり、ミッドセンチュリー家具を高値で買い求めていった。そう、若い世代はミッドセンチュリーそのものに馴染みが薄く、新鮮な目で感動できたのだ。
しかしレイ・イームズには当初毛嫌いされた。大衆に手の届く価格で広く提供するのがミッドセンチュリーの精神なのに、このNYの悪徳ディーラーがブームなんぞを起こして勝手に値をつり上げるとは……!「だが、うちの顧客だったロルフ・フェルバウム(現・ヴィトラ会長)の説得で、このブームはイームズの真価に目覚めた市場から自然に起きたものだとレイも納得し、誤解が解けた。
86年、NYの美大で熱烈な歓迎を受けた彼女は、自分たちの業績が正当に評価されているのを初めて目の当たりにし、大層感激した。これを機に打ち解けてくれ、生涯親しくさせてもらったよ」。レイの没後は、遺族の依頼を受けて資産鑑定の査定を手がけたほど。ほかにもイサム・ノグチが自作品を買いに来た話など、マークと巨人たちとの交流エピソードは尽きない。
マークは、発見の喜びこそミッドセンチュリーの魅力と語る。「大衆的な家具として膨大な数が流通する中、同じモデルでもさまざまなバージョンや、微妙に違うフィニッシュが見つかる。量産品の中に見出す、微妙な差異とそのストーリーに心を奪われるね」。
ちなみにマークがミッドセンチュリーに目覚めたのは、同業者が仕入れたイームズのレッグスプリントを見た時だ。「戦時中のアイデア商品という先入観を覆す、まるでブランクーシの彫刻を思わせる美しさに感激した」。マークの審美眼が射抜いたタイムレスな洗練美。ミッドセンチュリーがいつの時代も人々を惹きつける理由の一つがここにある。