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読んで書いて潜り込む。“マルジナリア”という古くて新しい読書術

本を読む。書き手に問いかける。補助線を引き、リンクを張る。頭の中にマップを作る。本の奥深くへ潜り、使い倒し、複製物である書物を自分だけの特別な一冊へと進化させる。博覧強記の読書人にして稀代のマルジナリアンである山本貴光さんが、危うくも美しいマルジナリアの世界をナビゲート。

Photo: Erina Takahashi / Text&edit: Hikari Torisawa

読むだけじゃもったいない

「マルジナリアというのはラテン語から来ている英語で、マージン、つまり本の余白に書き込みをしたものを指します。でも、そう呼ばれるようになる前から、人はマルジナリアを使いながら本を読んでいました。

日本では遣唐使が持ち帰った漢籍を読み下すために記号を書き込んだりしていましたし、ヨーロッパでも、活版印刷が登場する15世紀より前、手書きで写して本を作っていた時代のものを見ても、読み手の施した修正や、メモや落書きが残されているんです。

現代からは想像しづらいことかもしれませんけれども、かつて本というものは非常に貴重なものでした。だから本を手に入れたなら、繰り返し読み、書き込みもして、使いやすいようカスタマイズする。こういうことが洋の東西を問わずあったようです。かの夏目漱石も、筆記用具を片手に持たないとうまく本を読めない、ということを書き残しているんですよ」

文字で書かれた本に、なぜ人は、さらなる文字を書き加えるのだろうか?

「言うまでもなく、本というのは他人が書いたもの。他人の言葉遣いと思考の流れが記されたものですから、時としてとてもわかりづらい。それでね、書き手はこういうことを言おうとしているんだろうな、と馴染みのある言葉に言い換えてみるんです。

西周『百学連環』を例にとると、何しろこれは150年前くらいの日本語で、さらに正字体で書かれていて読みづらい。そこで、漢字の読みや単語の意味から始まって、わからないことを調べて書き込んでいく。マルジナリアの権化とも言えるのが索引です。

フェルナンド・ペソア『不安の書』の見返しに索引を自作したのですが、我ながらこれはやばい(笑)。本を読みながら、後からアクセスしたい言葉と、その言葉が登場するページ数を書き込んでいきました。こういったメモや索引を、さらにマッピングしてみることもあります」

手書きの文字や図には、印刷とは違う質感がある。マルジナリアは読み手の記憶にどう働きかけるのだろう?

「本の中を行ったり来たりするとき、文字や図を書き込んだページは記憶から引き出しやすい。手を動かして書き込むことが、頭の中に本のマップを作るための補佐になるという、いわゆる記憶術の一種ですね。

写本の時代の本を見ると、1文字目を大きくしたり、草や花を生やしたり、なぜかドラゴンがいたりもするでしょ?あれは単なる装飾ではなく記憶のための手がかりなんです。

ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』じゃないけれど、本が貴重だった時代には、ある場所に1冊しかない本を、現地まで訪ねて行って読むなんてことも少なくなかった。だから、いかに記憶しやすくするかというのがブックデザインの課題だったんですね」

書物は常にペンとともにあり
マルジナリアンの読書の形

「その本を象徴するような言葉や表現にはどんどんマーキングするので、家でも外でも移動中でも、左手に本、右手にペンを持つのが読書の基本スタイルです。書き込みは認識しやすいように赤いペンで書いていきます。ただ、繰り返し読んでいるうちに書き込みのレイヤーが混じってわからなくなってしまうので、途中から青に替えたりもし、赤、青、シャープペンシルのほかに淡いグレーと茶のマーカーも愛用しています。

文芸批評をやるようになってからは小説さえも書き込まねば読めなくなってしまいました。小説の場合は、人物が出てくるたび名前を囲み、何人目の登場人物か、誰であるか、前に出てきた人との関係も書き出してみる。

小説でも学術書でも、知らないことを知るために読む本は1度読んだだけでは到底済まなくて、重要だと思えば2度読み、2度読む本は3度も読む。漱石の『文学論』のような本になると、10年、20年読んでもわからないので、ずっと読み続けることになるわけです」

読みながら思考のための補助線を引く。その読み方は『文学問題(F+f)+』や『「百学連環」を読む』などの著書に受け継がれ、山本さんのマルジナリアが読者を新しい知の場所へ導いていく。

ちなみに山本さんが本に書き込みをするようになったきっかけは?

「大学に入って難しい本を読むようになると、途端にわからないことが増えたんです。最初のうちはノートにメモしていたけど、そうすると本文とメモがまずバラバラだし、そのうちノートもどこかへいってしまったりして。小さな情報端末ツールを使ったりもしましたが、端末の生産が終了して、壊れたらデータも取り出せない。そんなふうに泣き別れたメモ書きがいっぱいありました。

いろいろ試した揚げ句、本の余白に書くのが一番だ、と最もシンプルなやり方に辿り着きました。本自体がどこかへ行かない限りは書いたことも残るので、探し物をするうえでもこのやり方が効率的なんですよ」

最後に、本を読み、本に書き込み、本と一緒に眠る山本さんにとっての、読書の魅力とは何かを聞いてみた。

「他人が考えたことを何十万もの文字で読み、黙って受け取るというのは実は相当に変な行為だと思うんです。だけど、違う人生を生きて異なる経験をした人が見たものや考えたことを、その一部でも受け取りたい。そしてそんなふうにして本を読んだ前と後では、人は別人になってしまう。

自覚があろうとなかろうと、読み手の記憶は書き換えられてしまうわけで、それこそが読書の危険さであり魅力だと思います」

赤字、青字に図も登場、
25年来読み続ける文学論

漱石の問題意識はどこにあり、使う語は何を指す?目次、扉から奥付までほぼ全ページに山本さんの書き込みが躍る。怒濤のマルジナリアから『文学問題(F+f)+』が生まれた。

用語の意味も問いながら
見返しを埋める赤い文字

466の断章を読みながら「倦怠」「不安」などの気になる語やページ数を書き出した猟奇的な手作り索引。几帳面に並ぶ小さな文字とは対照的に、付箋の貼り方はワイルドだ。