漫才分析の鍵となる
3層をなすフレーム
「フレーム」の議論をもう一歩先に進めてみましょう。この「フレーム」は3つの階層に分かれているというのが私の考えです。それぞれ「発話機能フレーム」「発話内容フレーム」「言語形式フレーム」となります(図2)。
「発話機能フレーム」というのは、イギリス人言語学者ポール・グライスが1976年に提唱した「人間は会話をするときに協力し合っている」、もう少し難しく言うと「会話には公理がある」という考え方のことです。
グライスは4つの公理を提案しました。
1つ目は「相手に言われたことに答えなければいけない」という「質の公理」。
2つ目は「相手の欲しがっている情報量で提示しなければならない」という「量の公理」。
例えば、「新宿駅に行くにはどうしたらいい?」と聞かれて、「12番線に13時57分から出るモハ2000の前から2両目に乗ってください」と答えてしまうのは、「量の公理」に違反しているといえるわけです。
3つ目は、「相手にふさわしい言葉遣いで対応しなければならない」という「様態の公理」。
つまり、目上の人には敬語を使うとかいうことです。
4つ目は「文脈に関係することを言わなければいけない」という関係性の公理です。
人間の会話は、この4つの公理に基づいて成立しているとグライスは考えたわけです。
グライスのこの理論は非常に便利な一方、笑いを分析する上では不十分でした。なぜなら、聞かれていることにも答えているし、量も適当だし、様態も違反していないし、関係性も備えているのに、説明できないボケがあったから。
ボケというのは限りなく「その手があったか」という言葉遣いです。ある意味では、言語の隙を突いてきているともいえるでしょう。前後の文脈に合っているんだけど、そこで言うべきじゃないこと。そういったものに分類されるのが「発話内容フレーム」。「言語形式フレーム」というのは駄洒落とかですね。
厳密に言うと「お父さんが許してくれるまで僕はあまりここを動きません」も言語形式フレームをズラしたボケなんです。本来は「ここを動きません」と言うべきなので。
漫才はこの3つの階層から分析しなければなりません。ボケを分析する人は、とにかく「発話内容フレーム」ばかりを検討しがちですが、それでは「なぜ昭和のいる・こいるが面白いのか?」問題を解決することができません。(例4)
例えば、のいるさんが「不景気で寄席の客が少ない。なんで不景気かわかるか?」と問うているのに、こいるさんは「ああ、そうだそうだ。そりゃそうだな」としか言いません。聞かれていることに同調も否定もしないで、ただ自己肯定だけをしているだけです。このとき起きている笑いは、「発話内容フレーム」違反ではなく、「発話機能フレーム」違反によってなのです。
「発話機能フレーム」をもっと細分化していくと、「すべての会話は隣接応答ペアになっている」という考え方に行き着きます。つまり、情報要求に対しては情報提示で返すとか、同意要求では同意で返すとかいうことです。
のいる・こいるは、これも違反している。彼らの笑いは、この2つの階層の違反から成り立っているといえるでしょう。
宮川大助・花子もそう。花子さんが「うちの主人の大助にも一言言わさして新年のあいさつ」と言い、「では……」と大助さんがしゃべりかけたところで、花子さんが「これもこない言うてます」と割って入ってしゃべらせない。
しゃべらせないというのも、内容でボケているわけではなく、「人の話を遮ってはいけない」というコミュニケーションの違反。
なぜかベテランの漫才師には、「発話内容フレーム」より「発話機能フレーム」の違反によって笑いを生む方々が多いんですよね。もしかすると、後者的な笑いの方が永続的に受けやすいのかもしれません。
2000年代に勃発した
ツッコミの技術競争
ここまでおおよそボケ的な部分について語ってきましたので、ツッコミ的な部分についても語りましょう。2000年代に入ると、M-1の影響もあってか、ツッコミ技術競争が激しくなり、“笑いもとるツッコミ”が増えます。
先にも挙げたナイツがそうです。塙さんが「風の谷のナウシカ」を「風邪の谷を治すか」といい間違えたのに対し、土屋さんが「それヤワラちゃんの仕事だろ」ってツッコミを入れる。
南海キャンディーズもそう。手術をしているというシチュエーションで「汗!」って山ちゃんが言うと、しずちゃんは彼の脇の下にデオドラントスプレーをかける。
これ対し、山ちゃんが「ゴメンとしか言えないわ」とツッコミを入れる。こうして“1ボケ2笑い”というパターンが出来上がってくるのが2000年代。
ツッコミということで言うと、ハライチも面白いプログラマーです。(例5)
ツッコミの技術の一つに、ノリツッコミというものがありますね。ボケた人の文脈にいったん乗っかりつつ「って、おい」とツッコミを入れるというものです。ハライチの発見は、このノリツッコミからツッコミを外してノリだけにしているところです。実際、澤部さんは岩井さんのボケをひたすら再現しているだけ。ツッコミを入れるのは、ネタの最後で「て、バカ」という一度きりです。
ノリツッコミに関しては、色々な芸人が「何かできないか?」と模索していたんですが、その技術競争にピリオドを打ったのがハライチ。あれ以降、ノリツッコミ開発はなくなりましたね。
という具合に色々と語ってきたのですが、説明がつかないコンビもいます。POISON GIRL BANDです。(例6)
もはやあの2人はこの世の常識の延長線上にない世界で語り合ってしまっているというか、火星人同士の会話を聞いているみたいなんですよね。扱われる話題もまったく観客のフレームを活性化しません。
だから「漫才といえばボケとツッコミだ」という共同幻想を持っている観客には「わからない」とか「シュール」という言葉で片づけられてしまいがちです。
しかし、あの2人こそ談志師匠が言っていた「イリュージョン」を体現しているのかもしれません。研究者としては、こちらの分析をはね返すようなコンビこそ本当にクリエイティブだと思いますね。
「○○風のネタ」として挙げた例の出典:サンキュータツオ著『サンキュータツオの芸人の因数分解』(GetNavi特別編集)