『川上』に見える、人間国宝という生き方
94歳にして今も舞台に立ち続ける人間国宝の狂言師・野村万作。舞台に朗々と響く声は今も実に魅力的だが、意外にも若い頃そんな自分の声に不満を感じていたことがあったと言う。
「実は、しゃがれ声に憧れたことがありましてね。ただ美しい声だと、深みのない、単細胞に思えた時があって。それが僕は嫌でね。僕より一回り年上の大蔵流の茂山千作という人が、ガラガラ声だったんですよ。ところが、それがとても味わいがあって良いんですね。人間的な良さが出てくる。だから、わざと声をからすようなことをしたこともありました(笑)」
90年以上の芸歴を誇る狂言師・野村万作の初のドキュメンタリー映画『六つの顔』が間もなく公開される。2023年に万作が文化勲章を受章した際の記念公演を、万作をはじめ、息子の萬斎や孫の裕基らのインタビューなどを交えながら収めたものだ。監督は、田中泯のドキュメンタリーも撮った犬童一心。
その公演で万作が演じるのは『川上』である。盲目の夫が川上の地蔵に祈ると、目が見えるようになるのだが、その代わりに妻と離縁するように迫られるという物語だ。

万作に、まず出来上がった映画を観た時の感想を聞いた。
「映画に出るのは初めてでしたので、自分が出ている姿を観て大変感動いたしました。また、『川上』の舞台となる奈良県の川上村で撮影した山々の風景が忘れられません」
万作は、なぜそれほど『川上』にこだわりを持っているのか。
「狂言は、能の荘厳さに対して、おかしみを表現したものと言われますが、『川上』はどちらかというと悲劇ですよね。狂言は600年くらい前にできているわけですけれど、そう考えると、狂言はシェイクスピアにも劣らない演劇の古典ということになりますし、大事にしていってほしいなと思っているんです」
最後に、『川上』以外にも、これからも力を入れていきたい曲目があるか聞いた。
「例えば、桜の枝を盗もうとして捕らえられた男が見事な歌を詠んで許される『花盗人』のような、人と人とが許し合う、“和”と言ったらいいでしょうか、そういう狂言が好きですし、これからもやっていきたいですね」
野村万作の現在と過去を追ったドキュメンタリー映画。映画の中で、万作はライフワークでもある『川上』を演じる。監督は犬童一心。アニメーションパートは山村浩二が担当。8月22日、全国順次公開。