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「ガブリエル・シャネル展 Manifeste de Mode」ジェンダーレスの原点を100年前のスーツに見る

丸の内の三菱一号館美術館で開催中の「ガブリエル・シャネル展 Manifeste de Mode」では、130点以上のアイテムを通して、現代ファッションの原点を見ることができる。アヴァンギャルドを体現してきたガブリエル・シャネルの仕事には、ジェンダーを超えて興味を掻き立てる魅力があった。

photo: Keisuke Fukamizu / text: Jun Ishida

ガブリエル・シャネル展の内観

東京・丸の内の三菱一号館美術館で「ガブリエル・シャネル展 Manifeste de Mode」が始まった。シャネルの創業者であるガブリエル・シャネル(1883-1971)がデザインした、130点以上のアイテムが集結した展示では、リトル・ブラック・ドレスからベージュと黒のバイカラーシューズ、「2.55」バッグ、そして香水「シャネル N°5」と、現在もなおシャネルのアイコンであり続けているアイテムの「原点」が並ぶ。

ジェンダーレスを先駆けるスーツの登場

中でも注目したいのは、「シャネルのスーツ」だ。動きやすさを重視し作られた服は、現代的な女性像の象徴であり、女性が男性的なアイテムを着用する、いわば現代のジェンダーレスなファッションの先駆けでもある。「シャネルのスーツ」は、ブランドの原点であるだけでなく、現代ファッションの原点でもあるのだ。

展覧会では、制作年の異なる複数の「シャネルのスーツ」が展示されている。歴史的には、ガブリエルがファッション界に復帰し(1944年にクチュール・ハウスを一度閉じている)、最初に行われた1954年のコレクションで発表されたテーラード・スーツが「シャネルのスーツ」の始まりであるが、1920年代からその原型となるツーピースのスーツをすでに制作している。

「デイ・アンサンブル」(1927年頃)
「デイ・アンサンブル」(1927年頃) キャリア初期から独自の素材開発を試みたガブリエル。アンサンブルに用いられたジャージーは、芸術家でジャージーデザイナーのイリヤ・ズダネーヴィチ(通称イリヤズド)と協働で開発した。 (神戸ファッション美術館所蔵)

展覧会に登場する1927年の「デイ・アンサンブル」はその一つだ。ベージュとネイビーを基調としたアンサンブルはあくまでシンプルで、首元の大きなリボンが目を引きつける。素材はカシミアウールのクレープとシルクジャージー。シルクジャージーは、男性用下着に用いられていた素材だったが、ガブリエルは1915年に自らのクチュール・ハウスを開いた当初から、ジャージー素材のコレクションを発表している。

ガブリエルは、男性服の素材やディテールとされていたものを率先して女性服に転用した。男性のカントリーウエアの素材として知られていたツイードを、女性服の素材として用いたのも彼女が最初で、1924年に初めてツイードのスーツを発表している。

コルセットから女性が解放され、活動的になったこの時代は、「ギャルソンヌ」と言う少年のような女性のスタイルが流行するが(そしてそれから約80年後に、「少年のように」と言うブランド名を掲げるコム・デ・ギャルソンが、男性がスカートをはくスタイルを打ち出すのだが)、シャネルはまさにその象徴的な存在であった。

著名人が愛したシャネルのスーツ

会場内の「スーツ、あるいは自由の形」と名付けられた部屋は、「シャネルのスーツ」に捧げられたものだ。1956〜1957年秋冬に発表されたものから1971年春夏まで、10体のスーツが展示されている。

ツイードの生地、縁を飾るガロンブレード、裏地に付けられたチェーン、複数のポケットなどが「シャネルのスーツ」を特徴づける要素だが、ここにはその豊かなバリエーションが広がっている。

例えば1958〜1959年秋冬のスーツは、シンプルなデザインにアクセントを加える華やかなガロンブレードは施されず、代わりに通常は隠される生地の細い耳の部分が表に出され、装飾として機能している。

「テーラードのジャケットとスカート」(1958-1959年秋冬)
「テーラードのジャケットとスカート」(1958-1959年秋冬) ルシュール社のツイードを用いたスーツ。縁にガロンブレードが施される代わりに、通常は隠される生地の耳の部分が表に見え、装飾としても機能しているのが珍しい。 (パリ・パトリモアンヌ・シャネル所蔵)

マレーネ・ディートリッヒが着用していた1970〜1971秋冬のスーツは、白い立ち襟、取り外し可能なカフス、金ボタンと男性の制服を思わせるデザインが施されているが、紋様とフリンジをあしらったウール・ジャージーが禁欲的なデザインにグラマラスな雰囲気を漂わせる。

「テーラードのジャケット、スカートとベルト」(1970-1971年秋冬)
「テーラードのジャケット、スカートとベルト」(1970-1971年秋冬) ビュコル社の飾り撚糸のウール・ジャージーを用いたスーツ。ガブリエルは男性の制服や軍服のディテールを取り入れることも好んだ。男性性と女性性を併せ持つスーツはマレーネ・デートリッヒにふさわしい。 (パリ・パトリモアンヌ・シャネル所蔵)

ダイアナ・ヴリーランドがオーダーした1963年春夏のスーツは、ヴリーランドのリクエストに基づきポケットが表には出されず裏に付けられている。

「テーラードのジャケット、スカートとブラウス」(1963年春夏)
「テーラードのジャケット、スカートとブラウス」(1963年春夏) 黒、白、赤とともに、ピンクもガブリエルが多く用いた色。ネイビーを合わせシックな印象に。20世紀ファッション界に君臨した伝説のファッションエディター、ダイアナ・ヴリーランドがオーダーしたもの。 (パリ・パトリモアンヌ・シャネル所蔵)

ガブリエル・シャネルのマニフェストとは?

シャネルのアーカイブを管理する部門のスタッフは、ガブリエルが何よりも動きやすさを重視していたことを強調する。身体にフィットするように肩パッドや硬い芯地を用いずに作られたジャケットは、裏地につけられたチェーンが動いたときにも常に美しいシルエットを保つために機能する。

袖は、肘の部分にダーツを入れ、腕の形に合わせて角度をつけることにより動きをスムーズにし、七部丈の長さがアクセサリーをつけた手首を美しく覗かせる。そして手を入れやすい高さにつけられたポケットは、男性のように手ぶらで外出することを女性にも可能にした。

男性のジャケットのように、つけられたポケット。
男性のジャケットにつけられたポケットを、女性ものにも転用したガブリエル。ポケットはガロンブレードで綴られ、ボタンがあしらわれることによりデザインとしても機能する。(パリ・ガリエラ宮所蔵)

ガリエラ宮パリ市立モード美術館に始まり、メルボルンのヴィクトリア国立美術館を経て東京にやってきたこの展示には、「ガブリエル・シャネル展 Manifeste de Mode」というタイトルがつけられているが、「シャネルのスーツ」はガブリエルのマニフェスト(声明)を象徴するアイテムでもある。

彼女がファッション界に復帰し、「シャネルのスーツ」を発表した1950年代は、ニュールックに代表されるウエストのくびれを強調した女性的なシルエットの全盛期だった。

ガブリエル・シャネルのポートレート
カンボン通り31番地メゾンシャネルの大階段にて。ガブリエル・シャネルこそ、シャネルの女性像を体現する最高のマヌカンでもあった。セシル・ビートン撮影《テーラード・スーツ姿のシャネル》1965年。

しかし、ガブリエルが打ち出したのは、彼女が1920年代から変わらず作り続けてきたストンとしたシルエットのシンプルなスーツ。流行と正反対をゆくコレクションは、発表後、すぐに人気を博したわけではなかったと言う。

ガブリエルは時代の流れを理解した上で、あえてこのスーツを打ち出したのだろう。シンプルなデザイン、動きやすさ、ディテールへのこだわり……。「シャネルのスーツ」には彼女の服作りへの信念が凝縮されている。だからこそ、「シャネルのスーツ」はガブリエル・シャネルのマニフェストであり、現代の女性像、そしてファッションの「原点」なのだ。