菊池亜希子(女優)
高校生の時、はっぴいえんどの曲を通じて松本隆さんの歌詞に出会いました。両親がフォーク世代で、子供の頃からかぐや姫や伊勢正三さんを聴いてきたので、シブくて、哀愁があって、優しくてみたいな世界が好きだったんです。だから、はっぴいえんどにはすぐハマりました。
小坂忠さんの「しらけちまうぜ」は、松本さんが詞、細野晴臣さんが曲を書いている一曲。ソウルフルなメロディラインに別れの詞が乗っていて、カッコつけてるのにどこか哀れな男の世界が描かれています。「泣いたらもとのもくあみ」というフレーズから浮かぶのは、本当は泣きたいし、すがりたいのに、その思いを内に秘めたまま別れていく男女のドラマ。こういう男性像や男女の関係性に憧れますね。
穂村弘(歌人)
女の子が初めて恋に落ちた時の、非常に捉えがたい気持ちや空気感が、具体的なシーンの移り変わりだけで表現されているんです。冒頭では2人の関係がまだ見えないんだけど、だんだん関係性の非対称、相手が強いことがわかる。そしてサビの「愛ってよくわからないけど 傷つく感じが素敵」っていうところで主体は若いことがわかり、傷つくことが素敵という矛盾──若さの本質が浮かび上がる。
そして前の歌詞をすべて受けた決め台詞(せりふ)が最後に。「昨日の」の使い方が絶妙で、優等生だった殻の中にいた自分が今日は恋をして混乱して傷ついていて、でもその方が綺麗になったことを自分で知ってるという。背伸びしているんだけど、大人よりも本質を突いてしまう、そんな作中の少女への愛を感じるんです。
髙城晶平(ミュージシャン)
僕が「指切り」と出会ったのは、高校3年生の時(2003年)。当時の J-POPの歌詞は、今も変わらないけど“泣ける”や“元気になる”といったように、いかに聴き手の感情を揺さぶることができるか、という点に重きが置かれていました。そんな音楽に疲れ始めていた時、初めて「指切り」を聴き、その言葉に扇情的な響きのないことが、本当にありがたかった。
今は自分でも歌詞を書きますが、作詞の際、安易に聴き手の感情を揺さぶらない、という点に気をつけています。それに松本隆さんの歌詞は、言葉として読むだけでも楽しい。詩と詞は違うものに感じますが、その断絶を松本さんは繋いだと思う。自分でもそんな音楽が作りたい。そういう意味で、僕は松本さんから大きな影響を受けてると思います。
奇妙礼太郎(ミュージシャン)
松本隆さんの書く歌詞は、一瞬聴いただけでは理解し切れない。何なんだ⁉もっと知りたい!と思わせる余韻が素敵だと思います。例えばこの、「渚のバルコニー」。イントロ部分、「渚のバルコニー」「ラベンダーの」って何だ?と惹き付けられ、次のフレーズで、あぁ、夜明けの海の色を表現しているのかとわかる。からの「そして秘密」って。
え〜!!!どういうこと⁉という具合に。歌詞を追うだけでなにやらドキドキしてしまい、楽しいのです。そして、「キスしてもいいのよ」だなんて、急に大人っぽいやつを放り込んでくる。決して説明的ではないのに、海辺の2人の情景が目に浮かび、どんどん好きになっていく恋の高まりが伝染し、男がもてあそばれている感にグッときてしまいますね。
羽海野チカ(漫画家)
『マクロスF』の挿入曲「星間飛行」や薬師丸ひろ子さんの「メイン・テーマ」のように、松本さんの世界には小さいトゲを持っている女の子が出てきます。私はそれを見つめるような描写が好きです。最も好きな歌詞は、「Woman“Wの悲劇”より」の「ああ時の河を渡る船に オールはない 流されてく〜」の一節。発売当時にシングルを買い、それから30年の間ずっと、レコード→カセット→CD→MD→iTunesと、いつもすぐ聴けるところにこの歌があります。
つい先日も、夜、星空の河べりを描く時、一晩中この歌を流していました。悲しいのに怖いくらい綺麗──それがこの歌のイメージです。そして私にとって、それこそが今生きているこの世界のイメージです。
竹中祐司(アートディレクター、スタイリスト)
9歳からほぼ洋楽しか聴いていないので、心に残る邦楽は実は少ないのですが、C-C-Bの「Romanticが止まらない」だけは別格。 最も好きなのは「友だちの 領域から はみだした 君の青い ハイヒール」というフレーズ。若い2人の微妙な関係性と、思春期から大人になっていく刹那な感じが見事に表現されていて、それがなんとももどかしい。
ほかにも「壁のラジオ 絞って」や「走る涙に 背中押されて」といった抽象的なフレーズに、子供ながらに大人の世界を覗き見したような感覚を覚えた記憶があります。それ以降、このフレーズたちの本当の意味を我が身をもって知ることになるんですが(笑)。当時流行っていたA-haを彷彿させる、軽快なテクノポップ風のサウンドと詞が融合した名作だと思います。