吉田 羊(女優)
最初に「瑠璃色の地球」と出会ったのは、まだ小学生の時でした。それ以前の聖子さんの曲も大好きでしたが“明けない夜はない”という一節は、私だけではなく、多くの人に勇気を与えると感じたんです。そんな言葉を初めて耳にして、子供ながらに“苦しいことがあっても、いつか終わりがくる”という、前に進む大きな力をもらった記憶があります。
「瑠璃色の地球」は、旧知のメンバーとカラオケに行く時限定で歌います。なぜなら、歌っている私自身が感動してぐっときてしまい、知らない人だと余計な心配をかけてしまうので(笑)。この曲に限らず、聖子さんの歌は基本的に“なり切る”ことが大事。少し甘えたような、それでいて芯の強さを感じるような歌い方がいいと思います。
堤 幸彦(演出家、映画監督)
好きな曲を挙げればきりがありません。はっぴいえんど「十二月の雨の日」「春よ来い」「朝」、大滝詠一「雨のウェンズデイ」、近藤真彦「スニーカーぶる~す」、松田聖子「瞳はダイアモンド」、太田裕美「木綿のハンカチーフ」、寺尾聰「ルビーの指環」……無数にありますが、最も好きなのは鈴木茂さんの「サマー・ワイン」。
1970年代の終わり、6畳のアパートで擦り切れるほど聴いたアルバム『Caution!』の一曲です。「~過ぎ去った日が見えた」のフレーズに、うまくいかない自分の人生を重ねていました。今でも落ち込むと聴きます。10代から20代と、松本さんの詞(うた)が私の人生の栄養でした。「春よ来い」を聴かなければ、そもそも東京に出てこなかったし。
曽我部恵一(音楽家)
恋人のいる部屋。この歌は、いつか自分がいた風景。恋はいつも“好き”とか“愛してる”の言葉じゃなしに、こんなまぶしい光や透明な匂いを纏(まと)って、そこにいる。強い気持ちが宿るその部屋は、とても平和で静かだ。それは、僕にふと「永遠」という概念を想い出させる。この言葉たちを歌った歌手が、大滝詠一で、本当に良かった。このようなコード進行とメロディが、ともにあってよかった、とも思う。
さて、この後、この歌に出てくる2人はどこへ行ったのだろう。どうなったのだろう。果たして、どこから来たのだろう。いや、恋は物語の中にはいない。恋人の髪が翻る瞬間に、それはある。そして、その瞬間の中にしか永遠はない。2人はずっと、この風景の中にいるのだ。
山下敦弘(映画監督)
松本隆さんと最初にお会いしたのは、監督した『リンダ リンダ リンダ』が公開された時。確か松本さんは、主演したペ・ドゥナの隠れファンだという話をされていたと思います。松本さんの詞の中では、「Woman“Wの悲劇”より」も好きですが、一番というと「探偵物語」。聴いていても、歌っていても気持ちいいですよね。カラオケなどで歌える女性がいたらリクエストするし、スナックなどでは自分で歌っちゃいます。
僕にとって歌詞とは、「音楽」というものを体感するうえで、人間の想像力を無限に広げてくれる装置みたいなもの。そんな詞を生み出す作詞家の中でも、松本さんは「言葉」を「匂い」や「空気」や「風」に作り替えてしまう、魔術師みたいな人です。
ミッツ・マングローブ(女装家・タレント)
「硝子の少年」に登場する思春期の男の子は、脆さと弱さを兼ね備えていて、その苛立ちに立ち向かっていく強さがある。それが10代の男の子が持つ、本来の魅力だと思う。ちゃんと青春して、彼女を振り回し、傷つけてしまうような恋。そんな青春時代を過ごせなかった私にとっては、いつ聴いてもコンプレックスとファンタジーを掻き立てる曲です。
この曲に出会う前、数ある松本隆作詞の恋の歌で、私を妄想させていたのは、女性歌に登場する男性像でした。斉藤由貴さん「卒業」に出てくるような、彼女もいるけど、少しチャラい男の子だったんです。そんな男性像をKinKiの2人がズバッと歌った分、衝撃が大きかった。このフレーズが好きなのは、逆さま系に弱い、私の性分からかもしれません。
渡辺康啓(料理家)
この曲に初めて意識して触れたのは大人になってから。友達がカラオケで歌っていたのを見て、度肝を抜かれたんですよね。すごい歌詞だな!と思って名前を見たら松本隆だったんです。1994年だから、まだバブルの余韻が残ってる時期。
いろいろなことを乗り越えた大人の明菜と一番ノリにノってる小室哲哉、それにいろんなものを超越している松本隆の詞──この奇跡の布陣にまずやられましたね。歌詞は、どこも好きなんですけど「愛さないでね 愛してないから」「許さないでね 許してないから」……この複雑な気持ち、理解不能です(笑)。「触れれば触れるほど 遠ざかる身体」でも「タッチミースルーザナイト」なんですよ。そんな両極の感情をするっと入れてくるところにドキッとしてしまいます。