愛のために駆けていく美しい名場面。「愛って、疾走」な映画20選
強い愛は時に人を走らせる。愛する者同士の疾走や、愛のために駆けていく美しい名場面のある作品から、仲間とともに走り抜けた青春を描く友情モノまで。対象が何であれ、何かのために懸命に走る愛のシーンは、それだけで胸を打つのだ。
illustration: Yoshimi Hatori / text: Satoshi Furuya, Fumi Suzuki
若者の愛の怯えを映す、稀有なフィルム・ノワール
荒野を疾走するオープンカーの空撮で幕を開ける本作。脱獄囚の青年は出会った少女との真っ当な生活の夢に向かって、闇夜に車を走らせる。しかし育もうとした愛の夢は、永遠の静止とともに潰えていく。簡易結婚式場に向かう2人の不安げな後ろ姿が忘れられない。
低予算ゆえの、荒々しいアウトローの愛と逃避行
拳銃に魅入られた男と女の逃避行。2人の愛はただお互いの不安を埋めるようだが、ラストの霧の立ち込めた草むらで怯える姿には、そのようにしかいられない者たちの切なさがある。車の後部座席からのワンカットで描かれる銀行強盗のシークエンスが圧巻。
愛に怯える若者たちのチキンラン
親から愛されない、あるいは親を愛せないことに苦悩する若者たちは、その行き場のない気持ちを払拭するかのように、暗闇の中を崖に向かって車を走らせる。映画史に名高いこのチキンランは、度胸試しにしてはあまりにも暗く、そしてとても物悲しい。
愛なき世界に愛を求めて
親や社会に見放され、孤独に走る少年は、それ以上先に行くことができない海に辿り着く。映画史上に残る、悲しい疾走とその結末。アントワーヌ・ドワネルものと呼ばれるシリーズ第1作の本作はこのように終わる。これ以降、彼はシリーズを通して、愛を求めて走り続ける。
ジャンヌ・モローたちが駆け抜ける美しい時間
陸橋を3人で全力疾走するシーンが有名だが、自転車の疾走もあれば、セーヌ川に飛び込むシーンもある。本作においては、愛し合うから疾走するというより、疾走するために愛がある。物語を動かすために躍動する人物たちが、トリュフォーの作品世界を立ち上げていく。
その絶妙なランニングが奏でる愛のラプソディ
失ってから愛に気づくこともある。なんとも愚かな人間は、だから今さら、走って愛を取り戻そうと試みる。ずっとフラフラしていた男が、今まさに旅立ってしまう女性の元へ、ようやく走る。しかも速くも遅くもない。ゆるい速度がこれまた人間的でとても良い。
女性の人格を持ったアメ車が抱く恐怖の愛
いじめられっこのアーニーは手に入れた車にクリスティーンと名前をつけて可愛がるが、彼は次第に車に意識を乗っ取られていく。アーニーのガールフレンドに嫉妬し、闇夜に炎を上げて迫り来るクリスティーンが恐ろしい。ジョン・カーペンターのアクションの手腕が光る。
失った愛への悔悟の念を湛えたロードムービー
別れた妻を探してアメリカの荒野を車でさまよう父と子。やがてテレクラで妻を見つけ、受話器越しに手繰り寄せる失われた愛。「I'm sorry.」。ただそれだけの言葉の響きが、淡いランプの明かりやナスターシャ・キンスキーの着る赤いニットとともに観客の記憶に深く残る。
弛緩した生を肯定する、行きずりの疾走
ベッドで死にゆく老人、ビーチでのまどろみ、永遠のようなカジノでのアルバイト。停滞し、弛緩した時間が羅列されているかのような本作。でも、たった一人で生きてきた女は最後、行きずりの男の車に乗り、走り去っていく。その疾走を愛と呼んだっていい。
「走って」の一言が人生のスターターピストル
愛するジェニーの「走って、フォレスト」という言葉で、フォレストは人生で初めて走ることを試みる。この瞬間から彼はずっと走り続け、疾走で人生を切り開いていく。走ることがアイデンティティの一部となり、愛する人の一言が彼の人生の可能性を無限に広げていく。
疾走感に満ちたカメラと、散漫な恋する惑星たち
疾走するカメラが捉えた世紀末香港の勢いと駆け回る恋人たちに、物語の整合性が押し切られていく。勝手に他人の部屋に上がり込んで掃除を始めるフェイはよく考えたらヤバい人だが、それすらも恋する惑星の公転運動なのだと言うかのようなネアカなノリの快楽。
うまくいくまでとにかく走れ
恋人を助けるためにベルリンの街をとにかく走る。失敗しても時間を戻してまた走る。なぜ時間が戻るのかの説明は不要だ。気の利いた上手な展開もどうでもいい。そんなことを考えてるとスピードが落ちると言わんばかりに、愛をガソリンにして全力で駆け抜ける快作。
珍プレーを好プレーへと変える愛
愛する人を取り戻すため、メジャーリーグの試合真っただ中のグラウンドに降り立ち、警備員の制止も振り切り、疾走する。周りから見れば不審者であり、あまりにも馬鹿げた珍プレーだ。でもだからこそたまらなく美しいその疾走は、笑って泣ける愛の好プレーになる。
ホーム・エクスチェンジから始まる愛の行方
始まりに描かれる、ネット上でのやりとりのみで、瞬時に国さえ飛び越え居場所を変える現代的な感覚と、ラストの愛する人の元へ、ヒールで雪道を懸命に疾走するC・ディアスの姿の対比が愛を浮かび上がらせる。息切れするも、すぐまた走りだすところなど実に最高。
魚の子による愛の氾濫
魚の女の子ポニョが大好きな少年・宗介に会うために波の上を大疾走し、大波から我が子を守るため、宗介の母親リサは車で崖の上まで大爆走。画面いっぱい縦横無尽に繰り広げられる波と車のこの生命力に満ち満ちたカーアクションには、大洪水のごとく愛が溢れている。
愛することと走ること
老いることがなくなり、通貨が時間=寿命となった近未来。ゆったりとくつろぐ富裕層に比べて貧困層の人々は、愛する人と生きる時間を稼ぐために働き、時間の節約で走り回らなければならない。愛する人と生きることは文字通り走って走って走りまくることなのだ。
はみ出し者たちの夜の疾走
車の荷台に立って、大きく手を伸ばし、全身で夜風を受け止めながらトンネルを疾走するその姿は、まるで夜咲く花のように、ほんのひととき自分の生きる場所はここだと主張する。それは、居場所を探し求めるはみ出し者たちに訪れたひとときの親密な愛の瞬間だ。
戦火の中を駆け抜ける一頭の馬・ジョーイ。彼が、最初の飼い主を捜して疾走するひたむきさに胸が打たれる。塹壕戦(ざんごうせん)や毒ガスといった第一次大戦の悲惨さを綿密に描くのもスピルバーグならでは。有刺鉄線に絡まったジョーイを助けるイギリス兵とドイツ兵の交流にも涙。
社会が変動する予感に満ちた、新しい愛の疾走
フェミニズムへの関心を強める15歳のジェイミーを中心に彼を取り巻く周囲の女性たちが魅力に溢れている。新しい「家族愛」を模索する母と子の人生を祝福するかのような1979年のサンタバーバラの光と風。それを目いっぱい浴びて疾走するスケボーのシーンが素晴らしい。
悪ふざけの疾走の先にある、愛そのものの疾走
悪意のバイクレース。トレーラーが斜面を滑り落ちる危機。さまざまな疾走に満たされた本作で、ある男たちの葛藤を知り、利害の犠牲になる彼らの恋心に思いを寄せたアラナ・ハイムが、自分自身の恋心を呼び覚まされ、走りだすクライマックスに涙が溢れる。