誰かに愛を伝えたい時、強い表現の一つだ。「愛って歌」な映画20選
誰かに愛を伝えたい時、歌は強い表現の一つだ。ミュージカルでは恋する気持ちが音楽に託され、ラブストーリーでは相手の気を引くために熱唱する主人公も。もちろん音楽への一途な愛だって、たびたび映画のテーマとなってきた。
illustration: Yoshimi Hatori / text: Satoshi Furuya
ミュージカル映画史上に輝く、抑え切れない愛の表現
たとえ雨だろうと、歌を口ずさみステップを踏みながら、道路にある水たまりに足を突っ込んでバシャバシャと水を飛ばしてみたり、街灯にひょいと飛び乗っておどけてみたり。そんなことをたまらなくしてみたくなる気分のことを映画は愛と呼ぶのだ。
時空を超えた愛の歌
過去に飛んだ青年は、プロムで演奏することで自分の両親をくっつけることに成功する。歌によって成就したその愛を祝福するかのように、今度は青年はまだ存在していない未来の「ジョニー・B・グッド」をカバーする。そのなんともゴキゲンな演奏と歌唱といったら!
80年代の歌と愛のカタチ
男は女性の家の前でラジカセを掲げて大音量で音楽を流す。時間は真夜中、しかもプログレだ。これだけ聞くと悪質な嫌がらせだが、これが後世に残る名場面となるのだから、愛とは実に紙一重だ。音楽ストリーミングサービスがなかった時代の愛のカタチである。
歌声が心と心をつなぎ、すべてを包み込む愛となる
型破りなシスターは、非行に走る生徒たちと、歌で心を通わせる。大きな声で「ラララ」と歌い、生徒たちも「ラララ」と続く。いつの間にか彼らの心は近づき、歌声は大きなうねりとなって、学校を愛で包み込んでいく。歌うことでしか感じることのできない愛がある。
誰もがヒースの瞳に恋してる
若き日のヒース・レジャーが意中の人をデートに誘うために、渾身のダンス付きで「君の瞳に恋してる」を熱唱するシーンはもはや伝説。青春映画史上、最高に可笑(おか)しくてキュートな愛の歌が爆誕した。さりげなくジョセフ・ゴードン=レヴィットも高校生役で出演している。
少女たちは言葉にならない感情をレコードに乗せる
思春期の5人姉妹と男子たちが、電話越しにレコードを掛け合い、まだそれがどんなものなのか知らない愛について、言葉なく語り合う場面は壊れるほどに美しい。トッド・ラングレン、ギルバート・オサリヴァン、そしてキャロル・キングからビージーズの流れに落涙必至。
人間は醜い。されど愛は美しい
豪華絢爛な享楽の夜の王国ムーラン・ルージュにあっては異質の、清く伸びやかな歌声が、貧乏な作家志望の若者と高級娼婦でムーラン・ルージュのスターの運命を変えた。パリ・モンマルトルで起きた美しく切ない愛の物語。その幕開けの合図である。
受け継がれる音楽の教え
破綻している両親のもと孤独に道を切り開いてきた兄を支えたものは音楽だった。兄はそんな自分を支えた音楽を弟に教える。悲しみの中にも幸せを見つけること。その教えは、弟から愛する女性へと引き継がれ、この閉じた世界から外へと向かう道を照らし出すのだ。
40回も愛を告白し、歌い続けた男の物語
愛を告白するように歌い、歌うように愛を告白するカントリー歌手のジョニー・キャッシュと彼の2番目の妻ジューン・カーターについての伝記映画。彼と彼女の思いは、13年もの長い年月を経て、憧れから厚い友情を経て、愛へと変わっていくのだった。
一曲の歌を作ることは2人の愛を作ること
一人が歌詞を書き、もう一人はメロディを奏でる。作詞と作曲の共同作業を経て、ついに完成したその曲をデュエットする時、2人はラブソングとともに愛を育んでいたことを理解する。2人の距離、息遣い、照れ、ハニカミ……そのすべてが愛おしい!
「ペイル・ブルー・アイズ」が愛を暗示する
「ときどきとても幸せで、ときどきとても悲しいんだ」と歌うルー・リードの憂いを帯びた歌声が車中に響く。恋人未満の若い男女はその時、何を思ったのだろうか。J・アイゼンバーグの淡いブルーとC・スチュアートの透き通るような瞳は、まだ見ぬ愛を探し求める。
台なしの世界で愛を求めてアガるギャルたち
マイアミのギャングに、羽目を外して仲間入りした女子大生ギャルたちは、夕暮れ時の海辺に置かれたピアノで、ブリトニー・スピアーズを弾き語り、踊る。それと同じような仕草で強盗を繰り返す彼女たち。この壊れた世界で愛を踊り、愛を強奪する彼女たちの野蛮な切なさ。
言葉ではなく歌で伝えるからこそ、清く響く愛
主人公のグレタは、元彼を死ぬほど愛してた気持ちを、その愛ゆえの苦しみを、詞と曲に込めて歌い、彼の留守電に残す。「それでも愛してた」と言葉にしてしまえば、きっと言葉以上のものにはならない愛が、歌になることで深く強く清らかに心に響き渡っていく。
愛は途切れることなく再生される
主人公のクイルは、母の形見のカセットテープで歌を聴く。もうこの世にはいない母の愛を確かめるように、何度も何度もリピートする。物語の始まり、愛する人との急接近、次の冒険への旅立ち。歌は重要な場面でいつもそばにいて、彼の一部となり、共に旅をするのだ。
2人のかすかな不協和音が終わりを予感させる
夢追い人のミアとセブ。愛し合っていたはずの2人は、少しずつすれ違う。関係がほころび始めた局面で歌われる、デュエット曲が切ない。調和の取れたその歌は、しかし夢や恋人への愛と現実の間で揺れる心模様を映し出し、なぜだか観る者に愛の終わりを予感させる。
勇敢な足音とともに歌う自分への愛
人と違う見た目をしているという理由で、社会からのけ者にされてきた人々。そんな彼らが「これが私」と自分を愛し肯定する気持ちを、高らかに歌い上げ、町を行進していく。痛切な心の叫びにも似たその歌は、聴く者たちに勇気を与え、自己を愛する気持ちを分け与える。
歌うことで初めて心の奥深くにまで届く
世界的ロックスターのジャクソンと歌手を夢見るアリー。ジャクソンが初めて暗い身の上話をすると、アリーは即興の歌で応え、ジャクソンの心に寄り添い、そっと包み込む。気休めの取り繕った言葉では、相手の心には触れられない。歌は魂の奥深くにまで愛を届ける。
女子高生はカラオケで愛を呼ぶ
高校卒業前夜のパーティで、意中の女性からカラオケに誘われた優等生女子エイミーが「You Oughta Know」を大熱唱。しかしそこで感じた愛は幻。儚(はかな)く消えるも殻を破った彼女の元にはすぐに次の愛がやってくる。かくもティーンエイジャーは忙しい。
振動する喉を伝い音なき父娘の愛は共鳴する
高校生のルビーは天性の歌声を持っていたが、耳の聞こえない家族にはそれが伝わらない。父は娘の才能をなんとか理解しようと、歌う彼女の喉に手を当て、かすかな振動を感じ取る。歌声は父の耳には聞こえないが、たしかに父の瞳は、歌う娘を慈しむ愛で溢れていた。
友情を超越した愛を携え歌い踊る2人の魂
異形の姿で猿楽の一座に生まれた犬王と、琵琶法師の友魚(ともな)。2人はお互いを信頼し、同じ感性で深層へ潜り、拾った亡霊の声を歌にして歌う。深い愛でつながった2人の歌は、どこか神性を帯び、畏敬の念さえ感じさせる。そしてその歌は、死者を重んじる愛の歌でもある。