時に実体のない対象へと向けられることがある。「愛って、幻。」な映画20選
愛は時に実体のない対象へと向けられることがある。自身の愛する気持ち自体が幻のように揺らいでくることもある。愛にはさまざまな形があるからこそ、激しく強烈な思いだけでなく、そこにあるようなないような不確かな愛の表現も胸を打つのだ。
illustration: Yoshimi Hatori / text: Fumi Suzuki
絢爛なテクニカラーに宿るヴィスコンティの世界
リヴィアに歩み寄り、のらりくらり彼女を幻惑するフランツ。怠惰な人間へと堕(お)ちゆく彼を振り切り、終盤リヴィアは最後の決断をする。黒衣のドレスを引きずって、兵士のうごめく夜の街路をさまよい「フランツ!」と彼の名を叫ぶそのリヴィアの後ろ姿に慄然とする。
国と国の利害の駒とされても、見出そうとする愛
満州皇帝・溥儀(ふぎ)の弟の妃・愛新覚羅浩(あいしんかくらひろ)はいつしか戦乱に呑み込まれ、国家の思惑の波に溺れていく。彼女の結婚は初めから国と国との政略だった。それでも浩は人生の愛を家族との記憶に見出そうとする。京マチ子の着こなす日本、中国それぞれの衣装の華やかさも見どころ。
愛が消え、人間が消え、孤独な風景だけが残った
婚約者と別れた女が証券取引所で若い青年と出会う。2人は逢瀬を重ね、やがて「明日も明後日もその次の日も会おう」と言葉を交わすが、彼らはいつしか画面から消え、寂寞(じゃくばく)とした風景だけが残される。愛も株式売買のような幻のやりとりにすぎぬと言うかのように。
愛を引き裂かれた母と子の悲しいカットバック
娼婦だった女は息子との真っ当な生活を試みるが、悪しき腐れ縁から逃れられない。母と子の愛が貧困の中で潰(つい)えてゆく。モノクロームの画面で捉えられた街灯の灯るローマの舗道は幻想的で、そこを行くチンピラや娼婦たちの愛の儚(はかな)さを具現化したかのようだ。
人間と狐の婚姻の運命の果てに残る、愛の情念
人形浄瑠璃『蘆屋道満大内鑑』を題材に、趣向を凝らした舞台立てで繰り広げられる映画絵巻。人間と狐の許されぬ恋と、母狐の慈愛を描く「葛の葉子別れの段」を再現したシーンに陶然とする。ラストカットは、情念という愛の幻影だけがそこにあるよう。異形の傑作。
円熟の演出力で描く、メロドラマの巨匠の遺作
交通事故で夫を亡くした妻と加害者の青年。不可能な恋に堕ちゆくふたりが周囲の視線を気にしながら、雨に濡れぬよう傘を渡す渡さないで迷うシーンは、加害者と被害者の間で幻のように揺れる不安な心理の揺れを画面に定着させたかのようで目が離せない。
巨匠フェリーニによる、好色男カサノバの一代記
舞台は18世紀のヨーロッパ。好色男が繰り広げるめくるめく乱痴気騒ぎ。仮面舞踏会や瀉血(しゃけつ)というモチーフが妖しい雰囲気をもり立てる。女に肉欲を求めるうち、やがて求めるものは女の姿形だけになり、女の機械人形と踊る哀れなカサノバが物悲しくも幻想的。
シュミットとファスビンダーが描く、愛の幻影
弱々しく、他人に身を任せることしかできぬ人々にとって、愛は常に利害に置き換わる。だから娼婦リリーは卑劣な男たちの食い物にされる。劇中2度、リリーは男たちの腕の中で背中のけぞらせ崩れ落ちる。その一瞬が、繊細な魂が見せる愛の幻であり「天使の影」なのだ。
爆発音と黒煙で映画に幕を下ろした異端者の遺作
コンチータという女を2人の俳優が「二人一役」で演じる。観ているうちに彼女たちがいつ入れ替わったのかわからなくなり、コンチータに欲情するフェルナンド・レイのあいまいな欲望を観客も追体験するかのよう。そして愛や欲望の不確かさをあざ笑う唐突なラスト。
ブラームスの調べに乗せた、訣別のための再会
寒々しい冬の海辺や、誰もいないホテルだけが映る。かろうじて画面に現れた兄と妹は、恋も愛もその他のあらゆる情動も無分別だった楽園のような若き日々の記憶を葬り、訣別するために再会する。過去の愛を語る朗読が冷たい風景に響く時間の悲しい心地よさ。
女の幻に導かれ、生死の境をさまよう男の幻想譚
見知らぬ人妻に出会い彼女との逢瀬を重ねるうちに、湧き立つ幻想にとらわれていく劇作家の男を演じる松田優作。髭面の松田が大正時代のセットに人形のように佇む摩訶不思議なカットの連続。女への執念が幻であるかのように、陽炎座が崩れ落ちる無音のシーンに見惚れる。
恋愛という幻の入口に立つまでの戸惑い
デルフィーヌはさまざまな理想を語りながらも、気軽に男たちと付き合う気にはなれない。バカンスに来ても孤独で、風に揺られる木々の葉を見て急に涙がこぼれる。そんな彼女の元にも、ある男性が現れる。一瞬で幻のように消えていく「緑の光線」の奇跡とともに。
熱帯病のような、命懸けの恋の鞘当て
2部構成の本作。前半の青年同士の曖昧にうずく恋心が、後半のジャングルで虎と対峙する兵士の物語に転写される。タイの森の暗闇に目を凝らすうち現れるのは、木々に集まる光る虫の大群や、青白い虎の姿。不可思議な夢を見ているような画面の連続に幻惑される。
若き熱情が、「淡い初恋の幻」に変わるまで
軽やかな自転車の疾走で幕を開ける本作。成熟の末、恋愛すらも社会性を伴う「選択」に変わっていき、序盤の何も知らない若者同士の恋の熱情が、「淡い初恋の思い出」になっていく切なさ。めちゃくちゃいろんなバイトをする主人公の姿も見逃せない。
人間の欲望を虚無的なまでに凝視する異形の物語
無感情に地球人の男を捕食する女。彼女は女の姿をしているが、人の形をした装置にすぎない。一皮剥けば、人間はただの骨。なのに美にとらわれ、肉欲に溺れる。でも、その虚しさを知る男に出会い、彼女に感情が芽生える。寒々しい森林地帯をさまようラストが悲しい。
消えた恋の幻の迷路を千鳥足でさまよう男
バラバラになった手紙の順番で語られる、他者との出会い、ただ酒を飲むこと、感情を爆発させること。独特の設定を借りて、思い通りには届かない人間の感情を観客も体感するよう。恋する女を求めて、迷路のようなソウルの路地裏をさまよう加瀬亮が情けなくもキュート。
愛する人の思いを求めさまようシーツを被った幽霊
交通事故で死んだ死者と残された生者が、受け渡し損ねたお互いの愛を探すように、どちらも等価に画面の中をさまよう。家に差す七色の光、窓ガラスの反射、雨風、点滅する電球。一つ一つの描写が、一人で家にいる時に感じる誰かの「気配」を映像化したよう。
愛を求めてさまよう、人生の漂流者たち
フィリピン系移民のトランス女性が生きる現代のアメリカ。彼女は食肉処理場の男と恋に落ちるが、彼は彼女の出自を知らない。愛や性の確からしさが幻のように揺らぎ、過酷な生を生きる2つの魂が不安の中でたゆたう95分間。鏡の描写なども凝っている。
女の姿をした「水の精」と潜水夫の幻想的な恋
ベルリンの曖昧な陽光の下で繰り広げられる現代に蘇った「水の精」のおとぎ話。突如砕け散る水槽の水を浴びた男女の出会いなど、登場人物の置かれた事態と情動が常に急展開する。ビージーズの「ステイン・アライヴ」を歌いながら行われる人工呼吸シーンが可笑(おか)しい。
それが幻と知るため、見なければならなかった夢
映画監督・飛坂は、左頬にあざのあるアイコを見初め、彼女を題材にした映画を撮りたいとまで思う。2人の恋は、美醜をめぐる葛藤のメロドラマだ。しかし、その恋の夢が幻だと自覚し、ただ一本の電話によってある決着をつけるアイコの横顔にこそ目が離せない。