坂本美雨
まだ独身だった当時、保護猫のサバ美を迎える前に、本当に幸せにできるかと悩みました。でも親友が「みんなで育てればなんとかなる」と背中を押してくれて。その後かけがえのない存在になる「ネコ親戚」ができていきました。
相談事、病院や治療費などの情報交換、鍵を預け合って留守の際には猫のお世話をし合い……。独身時代は特にそうやって助け合っていましたね。ちなみに動物と暮らすには医療費などお金がかかるので、500円玉貯金なんかもしていました(笑)。
麻生要一郎
介護生活といっても、始まりはわからないものですよね。
坂本
そう、いつの間にかやることが多くなって。サバ美は多い時で6種類ほど投薬があり、毎晩の点滴が何ヵ月間か続いて、気づいたら「あれ?私、介護してる?」って(笑)。
麻生
猫はものを言わないし、痛みを隠す傾向があるので、どこが悪いかは具体的にはわからない。体が弱ると食欲がグッと落ちるので目安はやっぱり食。逆にちゃんと食べられているうちは大丈夫だと思えますね。
半年前に訪れた、最初の覚悟の時
坂本
2022年に肝細胞癌の大きな手術を乗り越えて、しばらく落ち着いていたんです。でも24年2月にてんかんで倒れて2日ほど生死をさまよい、その時いよいよ覚悟をしました。娘にも伝えると、夜中に一人で号泣しながらサバちゃんに手紙を書いていて。「8年間一緒に育ってくれてありがとう」と。普段は見せない娘の思いを知り、彼女なりに家族の絆があったのだと嬉しく思いました。
麻生
夜中に連絡をもらい、ネコ親戚でお別れに行きましたね。最期は心置きなく過ごしてほしかったので、その夜は帰って翌朝連絡をしたらなんと、「まだ息をしてるよ」って。
坂本
いつもの病院に駆け込むと、意識朦朧としたサバ美を診て先生が、「いや。サバ美はまだいける!」と判断して。栄養ミルクを口に当てると、急にハッと覚醒してぐびぐび飲み始め、信じられない蘇りを見せてくれたんです。麻痺があった脚を引きずりながら歩いて自分でトイレにも行き、2日ほどでいつものサバ美に戻りました。
麻生
本当に奇跡の復活でしたね。
坂本
そこからお別れまでの半年は、ギフトタイムだったと思います。
麻生
我が家のチョビと「サバちゃん元気になってね」と一緒にお祈りしました。コムタン(ネコ親戚の猫)とサバちゃん、身近な子たちが8月に相次いで旅立ち、チョビも数日間そわそわしていたので何か感じていたと思う。僕にもいずれその時が来るけれど、ここまでいろんなことを一緒に乗り越えてきて、果たして自分が耐えられるかと。だからこそ、残された時間を精いっぱい一緒に過ごしてあげたい。
坂本
その時が来たらと、怯えながらも話してきましたよね。これまで保護活動なども通して死を身近に感じてきましたが、様々なケースが知識として入っているのは大事だと思います。最後まで幸せにしたい、悔いのないように、とずっと考えてきて、体験記を読んだりもしてきました。
中でも支えになったのが猫沢エミさん。愛猫の看病、看取り、その心情をSNSにリアルタイムで綴っていたのを、いつも思い出して勇気をもらっていました。もちろん予想外の出来事はあるし、“百聞は一見にしかず”。でも、見聞きしていたことがすごく支えになりました。
麻生
美雨ちゃんと長年過ごしてきただけあって、サバちゃんのその後の段取りは完璧でしたね。
坂本
とにかく最期の瞬間そばにいたかったので、数ヵ月そのことだけずっと気を張っていましたね。8月の最終週は仕事が休みだったので一緒にいようと決めていましたが、完璧なタイミングを選んでくれました。
麻生
最期、美雨ちゃんの腕の中で看取られたことはサバちゃんにとってもとても幸せなことだったと思う。
坂本
こうして看取れたことは、私自身のこれからの人生においても、とても重要な出来事だと思います。






