驚異の音楽劇『アネット』を
レオス・カラックスが語る。
BRUTUS
『アネット』はこれまでに観たことのない、創造性に満ちたミュージカル映画です。
レオス・カラックス
発端はロックバンド、スパークスのアイデアだ。彼らが提案してきた20曲ほどのデモとストーリーの中に、ある男女が出会い、カップルになって、子供が生まれるという物語があったんだ。
そこに自分が興味を持つテーマ、恐怖や不安、苦悩といったものを取り入れ、以前から作りたいと思っていたミュージカルの形式に落とし込んでいった。悪い父親というテーマも加えてね。
BRUTUS
ミュージカル映画を作るというアイデアは長いこと温めていたんですか?
カラックス
映画を作り始めた時からだね。監督3作目『ポンヌフの恋人』をミュージカルにしようかと思った時もあった。だけど大きな問題があって(それは大きな後悔でもあるけど)自分では作曲できないんだ。
しかもどうやって作曲家を選び、一緒に仕事をすればいいのかわからなかった。だから躊躇していた。ミュージカルは映画を、ほぼ文字通り別次元のものにする。時間、場所、そして音楽、それによって素晴らしい自由が生まれるんだ。
『アネット』はダンスのないミュージカル作品だけど、音楽と歌のおかげですべてがいつもとは違う動きになっている。体も車も木も踊っているように見えるんだ。
BRUTUS
他に類を見ないものを創造することはリスクを伴うことだと思います。あなたはそのリスクを冒して、このように大胆な映画を作り上げました。
カラックス
いままで映画を撮ってきて、恐れを抱かなかった企画はないと思う。23歳で1作目『ボーイ・ミーツ・ガール』を撮り始めた時、僕は映画の学校に通っていたわけではないし、映画の現場を経験したこともなかった。それが初めての映画製作だった。
同様に、毎回これが初めてで、もしかしたら最後になるかもしれないと思いながら映画を撮っている。映画と恐れは深く結びついているんだ。恐れの中にはインスピレーションをもたらしてくれるものもあるしね。
BRUTUS
『ボーイ・ミーツ・ガール』から『ポンヌフの恋人』までの初期3作と、本作や前作『ホーリー・モーターズ』との間には明らかな感触の違いがあります。その違いをどう自覚していますか?
カラックス
初期3作は男女が出会うという、とてもクラシカルなストーリーの基盤を持っている。ただ転換点ということだと、2作目の『汚れた血』を撮った時に、過去の映画に抱いてきた愛という借金を自分は払い終えた気がしたんだ。
そこで自由になれた気がしたので、『ポンヌフの恋人』では日中の光のもとで撮影したりとか、それまであまりしなかったことをしている。
次の『ポーラX』は小説のアダプテーションでもあるし、また別のカテゴリーの作品だね。『ホーリー・モーターズ』は『メルド』(オムニバス映画『TOKYO!』に収録した短編)からの影響が大きかった。初めてデジタルで撮影したのは大きな転換点だった。
最近の2作品に関しては、『ホーリー・モーターズ』が少し小さい規模で、『アネット』はバジェットのより大きな作品だけど、どちらも実験映画的な側面があると思うね。2つの作品では僕と娘、あるいは飼い犬と一緒の場面から映画が始まる。ある意味、ホームムービーみたいな側面もあるんだ。
BRUTUS
たいていの映画作家は、キャリアを経るごとに成熟していきます。でもあなたの映画は、近年の作品の方が奔放だし、なにか狂暴な勢いを感じさせます。あなたは寡作で、この40年間に長編は6本しか撮影していません。本数を撮らないことで、ほかの監督とは異なる進化の過程を歩んできたと思いますか?
カラックス
君の言う通り、寡作であることは影響しているかもしれない。一本撮って、自分の中に変化を感じられないと、次の作品に向かうことができないんだ。
これまであまり多くの映画を撮れなかった理由には、僕自身の問題だけでなく、ファイナンシャルの問題やキャスティングの問題もある。キャストをイメージせずに作品を作ろうとして、キャスティングがうまく決まらなかったこともあった。仮にそういう問題がなければ、あと4本くらいは撮れたかもしれない。
でもライナー・ヴェルナー・ファスビンダーみたいに、37年間の生涯で44本もの映画を撮ることはできなかったと思う。僕は一本の映画を撮るだけですごく消耗するからね。