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ジャズピアニスト・大江千里が書いた、松田聖子さんとのレコーディング秘話

音楽に夢中になるきっかけはいつだって、テレビの中でスポットライトを浴びながら歌うスターたちだった。その輝きはいつまでも色褪せない。作曲を担当したジャズピアニスト・大江千里さんが自ら書いた、松田聖子の名曲「Pearl-White Eve」の制作秘話。

Text: Senri Oe / Illustration: Naoki Ando

聖子さんとのレコーディングは
魔法のような瞬間でした

文・大江千里

80年代後半、当時僕のシンガーソングライター時代のアルバムを一緒に作っていた、作曲家編曲家の大村雅朗さんが、聖子さんを同時期制作されていたこともあり「千里の作風は聖子に合うよ」。そういう身にあまる推薦をしていただき、この夢コラボが実現しました。松本隆氏&呉田軽穂氏の「赤いスイートピー」に代表される作品群があまりにも素晴らしすぎていざ曲を書くとなると、あーでもないこーでもないと迷ったことを思い出します。

でも自分がなりきるしかないと松田聖子になった気分で作りました。そうして最初のアルバムへの提供曲「雛菊の地平線」が完成。現場から「トップ音が今まで歌唱した聖子さんの音を半音超えている」というご指摘があったそうです。するとなんと大村さんが「これは松田聖子にとってのチャレンジに必要な音」と言って、聖子さんも快くオッケーしてくださり、「雛菊の地平線」は採用となったのでした。

その後、クリスマスが近かったのでホリデイな雰囲気でのシングルをという抜擢の話になり「Pearl-White Eve」「凍った息」を提供しました。自分の仕事でロスに行く途中、成田空港でその知らせの電話を取ると全身が震えたのを覚えています。実際に当時のソニーの信濃町スタジオでのレコーディングに僕は駆けつけました。

スタジオ入りの時に、後からエレベーターに乗り込もうとする僕に「開」をずっと押して冗談を言いながら、待っていてくださった気遣いの方、それが、松田聖子さんです。スタジオに松本隆氏から「Pearl-White Eve」「凍った息」の歌詞がFAXで送られてきます。僕はそれを千切り、手に持って急いでピアノのところへ行き、聖子さんに「歌詞をこんな風にメロディに乗せればいいのでは?」と弾き語り始めました。

即彼女はそばに来て僕が歌う世界で初めての「Pearl-White Eve」「凍った息」を真剣に真似て歌い始めます。何度か練習を2人きりでやったのですが、驚いたことが。僕の緊張で1番と2番の歌詞の譜割りを間違えて歌ったのです。その歌唱をそのまま耳コピした聖子さんに僕ははっと気づき、すぐ謝り、同時に「ものすごく耳がいい」とびっくりしました。

耳から入る情報を瞬時正確にそのまま表すので、こちらはうかうかしてられない。「聖子は3回以上歌うと上手になりすぎちゃいますので」とソニーで現場を仕切っていた当時のディレクターの方は笑って早々その日のボーカル録音を切り上げました。まさに「ざっくり」、そんな感じで、細かく直したりするのが一切ありませんでした。

彼女のすごいなあと思うところは楽曲の魅力を瞬時に嗅ぎとり自然と流れるようにゴールへ導く力だと思います。天性のバランス感覚というか曲に寄り添う感覚です。

歌っているとどうしても自分が強く出すぎたり、すでにある世界観に沿うのは加減が難しいのです。この日見た景色は僕がこうなればいいなと描いていた理想形が、あれよあれよというまに現実に叶っていく魔法のような瞬間でした。息を呑むような。日本で彼女はすでに大スターですが世界へのチャレンジを何度もされています。和製バーブラ・ストライサンドのような円熟した世界観が似合う年齢になられているので、是非また、世界のスタンダードになるサウンドを日本発で発信して頂きたいと願います。

つい最近のことのように覚えているレコーディング風景。宝物です。

Senri’s Favorite

「Pearl-White Eve」

1987年リリース。作詞:松本隆、作曲:大江千里によるクリスマスソング。透き通った冬の世界が広がるようなイントロ、イノセントさと強い意志が共存する詞、優しく温かなメロディに、今もファンが多い名曲。