伝説のパンダ、永明
日中共同繁殖研究を目的に、世界初のパンダのブリーディングローン制度で日本にやってきた永明。2001年から20年までの間に梅梅との間に6頭、アドベンチャーワールドで生まれた良浜との間に10頭と、計16頭の子供を残している。
日本の動物園にパンダが来日して50年間の歴史を通しても、これほど子孫をつないだ個体はいない。繁殖実績としても、中国以外では世界最多となっている。驚くのはそれだけではない。2022年9月には、日本で暮らしたほかのパンダのなかでも最高齢の30歳に。
元気に節目の年を迎えただけでもすごいのだが(人間なら90歳相当)、2020年に楓浜のお父さんになったというのが、またまた驚くべき功績。パンダのオスの生殖年齢が20歳までと考えられていた常識を遥かに超え、さらに飼育下で自然繁殖できる個体がわずかななか、その世界最高齢としての記録を更新している。
大家族を持つグレートファーザーも、こんなに無邪気な男の子だった!
永明から始まる大きな成果、パンダファミリーの物語
ジャイアントパンダの自然繁殖が難しいのには、いくつかの理由がある。まず、繁殖期が1年に2〜3日しかないこと。成獣になると単独生活をするため、飼育下ではこの短い数日を逃さないよう交配を行わなくてはならない。自然交配の場合は、オスとメスの相性やタイミングもあるため、この見極めがさらに難しい。
交配がうまくいっても、赤ちゃんは体重100〜150g、体長15~17cmと、とても小さく未熟な状態で生まれてくるので、無事に生育するまでなかなか気が抜けない。45%ほどの確率で双子が誕生するが、通常は1頭しか育てることができず、双子の生存率は特に低かった。
しかし、アドベンチャーワールドでは03年、飼育下で初めて、永明と梅梅との間に生まれた双子の同時育成に成功。この時の経験に加え、06年からは入れ替え方式で母乳を飲ませるノウハウも取り入れ、以降も4組の双子を育てている。
07年からは、良浜とのお見合いも行われ、08年に2頭の間に初めての赤ちゃんが誕生。最初は母乳をうまく飲ませることができなかった良浜も、出産を重ねて次第に育児上手に。08年、10年に続き桜浜と桃浜が生まれた14年にも、2頭ともを立派に育て上げた。また、その後の18年、わずか75gの低体重で生まれ、命が危ぶまれた彩浜も、飼育スタッフの力を借りて、その危機を乗り切った。
長年にわたる中国との研究、繁殖や飼育のための様々な努力もあって、「浜家(はまけ)」の愛称で親しまれる世界的なビッグファミリーを生み出した永明。2023年2月に中国に渡った永明、桜浜、桃浜のほかに、これまでに11頭を返還し、その子供たちがまた父や母となり、永明にルーツを持つファミリーは、今や世界で40頭以上にも上る。
永明と一緒にアドベンチャーワールドのパンダラブやブリーディングセンターで暮らしていた7頭のファミリーは、現在4頭となったが、永明が残してくれた伝説を継いで、新しい軌跡を描いてくれるに違いない。