小泉今日子のEP盤BOXをプロデュースしたスチャダラパーの「余談」
Bose
キョンキョンがデビューしたのは1982年3月21日。そのときの僕らは、というと。
ANI
ちょーど春休みだ。中2から中3になる頃。
Bose
てことは、僕は中1から中2だ。
SHINCO
僕は小5から小6デス。
Bose
当時は『ザ・ベストテン』全盛期だったじゃない。キョンキョンは、中森明菜、シブがき隊、松本伊代、早見優、堀ちえみなんかと同期の「花の82年組」。(松田)聖子ちゃんの次の世代が出てきたぞ!ってカンジだったんだよね。
ANI
初めて観たのはなんの番組だったかなあ。
Bose
『8時だョ!全員集合』?
ANI
いや、『TVジョッキー』かも。
SHINCO
『ヤンヤン歌うスタジオ』じゃない?
ANI
『たのきん全力投球』ってセンもあるな。
SHINCO
てか、うちは毎週、アレ観てたじゃん。
ANI
『パリンコ学園No.1』ね(注:82年10月から83年3月まで放送されていた歌とコントのバラエティ番組。松本伊代、小泉今日子、堀ちえみ、山田邦子などが出演)。
Bose
うわ、出た、『パリンコ学園』(笑)。
SHINCO
あの番組はメインが伊代ちゃんだった。
ANI
伊代ちゃん、うちの兄貴が大好きでさ。
Bose
ANIとSHINCOの松本家長男ね。
SHINCO
だからうちの猫の名前は松本伊代。
一同
ガハハハハ。
Bose
ただ、1年目は方向性がちょっとボンヤリしてたね。髪形は聖子ちゃんカットだったし。
ANI
「コイズミ」前夜だったもん。
Bose
だから、いまのキョンキョンのベースとなっているのは、デビュー2年目「まっ赤な女の子」(83年)からになるんだよね。
ANI
満を持してのショートカット。事務所に内緒で髪を短く切っちゃったっていう、伝説の。
SHINCO
ちょっとかわいすぎねぇか?って。
Bose
めちゃかわいい。だから僕、それまでずっと聖子ちゃん派だったんだけど、キョンキョンになっちゃったもん、いちばん好きなアイドルが。
SHINCO
筒美京平さんの曲との相性がバッチリ合った、というのも大きかったと思うなあ。
Bose
やっぱさ、歌声が独特じゃない。ちょっとフラットがかかって京平先生好みの歌声で。
ANI
まっ赤な~まっ赤な女の子~♪でアガる。
SHINCO
京平先生、さすがだなと思うのは、流行りの音を意識した歌謡曲になってることで。
ANI
テクノポップだもんね。
Bose
だから、正直、それまでは印象が薄かったけど、曲の面白さと歌唱法とショートカットが相まって、比類なき「新しさ」を感じたんだと思う、子供ゴコロに。聖子とも明菜とも違うなって。
ANI
このへんから一人称も「コイズミ」になったし。フッ切れたんだね、キョンキョン自身も。
SHINCO
自己プロデュースが始まる。
ANI
あの頃、クリエイター連中と原宿あたりで遊んでる感じもカッコよかったじゃん。芸能界のど真ん中にいつつ、サブカルチャー界にも通じてて。だからこそ、メタ的な視点で「なんてったってアイドル」(85年)を堂々と歌えるっていう。
SHINCO
で、『オリーブ』少女の憧れの的に。
Bose
でもさ、いまでもそうだけど、厚木出身のやんちゃな感じもあるんですよ、ずっと。
ANI
そこがいいんじゃな~い(笑)。やっぱさ、近田(春夫)さんプロデュースによるガチのハウス「Fade Out」(89年)を『ザ・ベストテン』で歌い、「あなたに会えてよかった」(91年)でミリオンヒットを出すという、その振れ幅はキョンキョンだからできる“所業”なんだよね。
Bose
よく、いまの時代のアイドルでキョンキョンみたいな人はいるかなって考えるんだけど。
ANI
いや、キョンキョンはキョンキョン。令和のキョンキョンなんてどこにもいないんですよ。
一同
結局、キョンキョンしか勝たん!