楢原真樹
日常会話も漫才も「いかに伝えるか」が大事!そういう点で言うと、くるまは表現力がすごいじゃない。どういった工夫をしてるの?
髙比良くるま
しゃべくり漫才(*1)と漫才コント(*2)ではまた違うんですが、しゃべくりだと、生の人間が話してる3次元的なリアルさを意識してます。唾が飛んだ方がいいくらいの勢いでしゃべるとか。でも漫才コントの場合は芝居だから、2次元的に動くようにしてます。
例えば、普通に相方の方を向いちゃうと、お客さんには横顔しか見えないから、顔は観客の方を向いたまま目だけギョロッと動かすとか。そこで3次元的な動きをしちゃうと、お客さんは後ろのセットとか照明とかパネルとかも、全部気になっちゃうんですよ。目線が散っちゃう。それ、芝居を観てもらううえでのノイズじゃないですか。
楢原
なるほどね。そこまで考えてやったことなかったわ。
くるま
〈ヤーレンズ〉さんはめちゃくちゃ丁寧ですよ!観てると、自然にやってる。だから天才なんです。〈テンダラー〉さんとかもそうだけど、どれだけ速く動いても観てる側のピントが合うというか。計算せずにやってるのが、逆にすごい。
楢原
〈ヤーレンズ〉は、2人でちゃんと架空のセットを決めてやるようにはしてるよ。ラーメン屋だったら、どこにカウンターがあって調理場やレジがどのように配置されているのか。ネタが進むにつれて、「なんかレジの場所ズレてない?」ってことには絶対ならないように。観る方は気になっちゃって、伝わらなくなるから。
くるま
よくあるのが、タクシーの漫才コントをやる時に相方が助手席に乗るじゃないですか。でも、横に座るのって普通は変だから、あれをどう処理するかで漫才師の品が出る。〈千鳥〉さんはちゃんと「後ろにおっきい荷物載っけてるんで」とか言うんですよ。あの一言があるだけで、観てる人に対する優しさが全然違うなって思います。経験値が出るところ。
楢原
分かる。リアリティの問題だよね。たまにある、「屋根あったんかい」とか「二段ベッドだったんかい」っていうボケとか、ちょっとズルいなと思っちゃう。役に入ってるなら、本当は屋根も二段ベッドも、もっと早くから見えてるはずじゃない。僕らは、そういうのはできるだけしないように気をつけてるかな。
くるま
それも流派がありますよね。〈NON STYLE〉さんとか、ツッコミが入らない人たちだったら別にいいわけで。
楢原
そうだね。くるまは2024年『M-1グランプリ』決勝でも色んな役をちゃんと演じ分けてたね。2本目の『タイムスリップ』のネタ。
くるま
あんなに人数が多く登場するネタは、コントだったらできないわけで。漫才コントの究極は、無限に出オチ(*3)が作れるということ。俺が一人でやってるからこそ、さっきまでいた人が勝手に消えてくれる。自分はそういうのが好きなんだと思います。
でも人がたくさん出てくるからこそ、声色や表情、仕草をちゃんと変えて伝える意識をしました。声だけ変えるってパターンもあると思うんです。でもやっぱりそこで長い髪を少し触る仕草を入れると女性っぽく感じられるし、肩に力を入れて首を伸ばすと、それも女性っぽくなる。そのあたりは、ピラティスをやって学びました。
楢原
ピラティス⁉
くるま
関節を動かしたり背骨を伸ばしたり色々試しながら、体で伝えるというのは大事ですよ。でも、それをたった4分とか短い時間でやるのは難しいですけど。『M-1』でも、1つ前の役の口角のままで次の役を演じてた、みたいなことはある。「やばいやばい」ってすぐ直すけど、『タイムスリップ』とか、本当にクタクタです。
![高比良くるまと楢原真樹が話している](https://media.brutus.jp/wp-content/uploads/2025/02/1ac031e32369b6bac93117f9d20f812d-1.jpg)
相手の感度に合わせていかに伝え方を変えるか
楢原
笑いが伝わるかどうかって、相手がどれだけ理解しているかを見極める力も要るよね。観る側との相性がすごく大切で、感度の高い人たちなのか否かで全然違う。例えば賞レースの予選を観に来るお客さんは笑いたくて来てるけど、大きな寄席とかだと、どこで笑えばいいかわからない人も多い。
『M-1』での〈霜降り明星〉は、そういった人に特化した笑いの究極をしてたと思う。笑いたい、でも笑うところがわからない、という人たちに、粗品が前を向いて「笑うところ、ここですよ!」と示すという。それだけで安心して笑えるよね。
前にファミレスで知らないおじさんが「お笑いライブ行きたいんだけど、皆が笑ってないのに俺だけ笑うのが恥ずかしいんだよね」って言ってるのを聞いたことがあって、そういう気持ちがあるんだ!?と思った。〈霜降り明星〉はそれに応えたということ。「笑いどころ」を伝える力がすごい。
くるま
賞レースのボケのテンポに、革命を起こしましたよね。ボケとツッコミのやりとりって省いてもいいんだって。込み入った上方漫才(*4)の技術競争がやりすぎなくらいのレベルまで進んだからこそ、あれが効いた。
楢原
2018年だったから、というのはあるよね。2015年から2017年にかけて技術革新が起きすぎた気がするからさ。でも、伝える際に相手の感度に合わせるという意識は本当に大切で。当然『M-1』よりも寄席のお客さんの方が、お金を払って普段からたくさん漫才を観てる人が来るからネタを理解するスピードが速い。だから『M-1』では、もっとゆっくりしゃべらないといけないんだけど……。
くるま
すべてを置き去りにしてしまう〈ヤーレンズ〉さんね(笑)。
楢原
そう。『M-1』のお客さん相手にも、フルスロットルでしゃべってしまう(笑)。でも、そのスピードが速すぎることが逆に心地よく聞こえる時もあるから、すごく難しいんだよ。
くるま
〈ヤーレンズ〉さんは、2023年の『M-1』決勝の1本目でそれがバチッとハマってましたよね。「なんだこの置き去り感は」というテンポの速さが、観ている方もだんだん気持ち良くなってくるという。
楢原
正直あれって、運なんだよね。
くるま
そうですよね。それまでお客さんがどんなネタを観たかという流れもあると思います。2024年の『M-1』は、小ボケではなく大ボケでスピードが速いパターンでしたよね。
楢原
刺激が強すぎたんだろうね。あの速さでボケも大きいと、ついていけないという人が多かった(笑)。
くるま
俺にとっては、あの速さが面白かったです。でも皆「握り海峡飯景色」くらいまではギリギリついていけてたけど、「それ坂本冬美です」のツッコミの速さは、さすがに難しかったかもしれません(笑)。
楢原
僕らのネタ、時間ぎっちぎちで作ってるからテンポを落とせないんだよ。決勝1本目のネタも、最初は15分くらいあったのをギュッと短くしてるから。
くるま
その戦法がすごいですよね。普通は、そうなったらボケをいくつか削ぐじゃないですか。〈ヤーレンズ〉さんはそうしないんですから。
楢原
純粋に速くするという方法で乗り切ろうとする(笑)。
くるま
おかしいですよね。ウケないところを削いでいくんじゃなくて、「僕たちのボケ」を宝物のように、全部見せてくれるという(笑)。
楢原
そうね、宝物は全部見せたいからね。だから、スピードを上げてとにかく全部伝えるしかない。そうなると、あとはもうしゃべりの技術だけになっちゃう。いかに丁寧に、速くしゃべれるか。
くるま
それって、関東弁の強みでもありますよね。方言が入ると、「~やねん」のような語尾の言葉がついて、その分の容量を食っちゃうし。関東弁はイントネーションも一定だから、次々と固有名詞や新しい言葉を言うことができる。ただ全部を言える分、何を選んで詰め込むかという選択が重要になってくるから、諸刃の剣でもありますけどね。
楢原
だね。あと関東弁の弱点は、言葉に力が乗りづらいところ。でも自分たちみたいなスピード感だったら、確かに関東弁の方がいいんだろうね。
くるま
「伝える漫才」という観点だと、これは絶対にやらないということもあって。〈令和ロマン〉は、感情で振り回す系のネタはやりません。相方の(松井)ケムリはお金持ちだからなのか、プライベートでも焦ったり慌てたり怒ったりしないんですよ。そういう性格だから、やっぱり漫才でも感情が乗らない。
楢原
うちの相方(出井隼之介)も感情が乗らないタイプ。だから漫才を関東弁にしたところもある。あと、ディベート系の漫才だと、「人」が見えないと面白くなりにくいよね。「こいつは今どの感情で言ってるんだ?」というのがわからないと。本当に馬鹿で勘違いをしているのか、馬鹿なフリをしているだけなのか。ツッコミも同じで、おちょくって訊(き)いてるのか、本気で訊いてるのか。それを伝えるのって、時間がかかるんですよ。
そういう系統で一番うまいのは〈ブラックマヨネーズ〉さんだよね。わかりやすく面白いことは言ってないのに、その人柄から発せられそうな一番最上級の言葉を次々に展開していく。「人」を伝えながら笑わせる能力がすごい。最後は無茶苦茶言うんですけど、それが不自然で急な展開ではないから、最後までお客さんの気持ちが離れない。あの手の漫才師は今量産されてますけど、皆「人」のリアリティで勝てない……。
くるま
基本的に、皆本来の性格と漫才中のキャラクターはギャップがない方がいいと思ってます。「人」が出ているから強いというより、出ていないと弱くなってしまう。でも稀にそれを演技でカバーできる人もいて、それが〈和牛〉さん。川西(賢志郎)さんはプライベートではあんまり怒らない方だと思うけど、そこに女形を入れて被害者っぽく慌てるキャラを成立させてましたよね。でも、あれは本当に例外かもしれない。〈和牛〉さんはすごすぎますから。
楢原
川西さんは語気を荒らげずに怒るというトリッキーなこともできるからね。顔だけで怒ってみせるという。
くるま
2016年の『M-1』決勝、〈和牛〉さんの2本目。花火大会にデートに行く話でしたけど、水田(信二)さんが、浴衣を着て現れた女の子役の川西さんに対して「すごく可愛い浴衣」と言ったら、川西さんが「浴衣すがた~まで言った方がいいよ」って返す。あの「た~」の語尾の上げ方ですね。あれだけでイラつきがしっかり伝わる。あんな表現、ほかの人の口からは聞いたことないです。
楢原
〈和牛〉さんの漫才はもう音楽なんだよ。
くるま
まさに超絶技巧。まあ〈和牛〉さんは特例中の特例として、通常はしゃべる人の人間性が出てないと、漫才をするうえでは弱くなってしまいますよね。自分に合ってない芸風だと、やっぱり伝わりにくいと思います。
楢原
一番は、自分がやりたいことをやれればいいんだけどね。でも、それがその人に似合うか似合わないかはめちゃくちゃ大事。僕だって本当は〈ブラマヨ〉さんみたいな漫才をしたいけど、似合わないからやらない。似合う人には勝てないから。
くるま
ただ、そこが合っていなくても、やり続けると奇跡的に面白くなって浸透することもありますよね。その例が〈トム・ブラウン〉さん。ネタの中で2人が演じてるクレイジーな人間って、現実社会にはいないわけじゃないですか。みちおさんは普段も変な人だけど(笑)、ネタ中のみちおさんとも実際はまた違うわけで。でも、やり続けることで、見た目も含めてあの形がサマになっていくというレアなケースですよね。
楢原
前人未到すぎるけどね。先人がいないから、あれが2人に合っているかどうかすら誰もわからないんだけど(笑)。
![高比良くるまがホワイトボードに書いた文字](https://media.brutus.jp/wp-content/uploads/2025/02/ca089ad30fd411453f37cf68d978f22d-1.jpg)
くるま
俺がもし昔マネージャーや先生として〈トム・ブラウン〉さんに出会ってたら、違う形を勧めていたかもしれません。例えば2人はもともと柔道部の先輩後輩だから、その設定で布川(ひろき)さんがみちおさんをイジるとか。それはそれで絶対面白いじゃないですか。みちおさんが何やらせてもできない奴、みたいな。その方が2人のリアルな人間性は出ると思うんです。
でも今の〈トム・ブラウン〉さんは、あの型を守りながら、本来の人間性がちょっとにじみ出ているという不思議な次元にいるから、すごく面白い。24年の『M-1』決勝でも、みちおさんがネタの途中でぜえぜえ言ってるのに、布川さんが何も触れずにもう一周同じことをさせるというくだりがあったじゃないですか。個人的にはあれが、実際の〈トム・ブラウン〉さんの「人」が出ている一番面白い瞬間だったんです。布川さんが「お前、何休んでるんだよ!」と言った時、暫定ボックスにいた人たち皆、めちゃくちゃ笑ってました。
でもそういう部分は、もしかしたら観覧のお客さんまで伝わり切らなかったのかもしれません。俺は「あれ?ここはもっとウケていいはずなのに」と思いました。でも〈トム・ブラウン〉さんは、そういうところが普通と違っていいですよね。
楢原
あそこは僕も、事前にネタを見せてもらって好きな部分だった。〈トム・ブラウン〉って本当に特殊だから、すごいところを説明するのが難しいんだよな。
くるま
やりたいことをやるというネタの方向性は曲げないんだけど、別のベクトルで観客に伝えるための努力をしているのは確かですよね。ウケたいと思うからこそ、お2人の衣装も今ああなっているのかなって。
楢原
そうだね。昔は布川さん、帽子被ってたからね。
くるま
みちおさんも絶対的にスーツじゃない方がいいですもんね。ガワ(外から見た姿)はすごく理にかなってるんですよ。
楢原
そういえばこの前の『M-1』では、くるまは「嫌な老害」をやってたよね。
くるま
「嫌な奴像」を作りました。1日スケジュールをおさえて、表参道や銀座のハイブランド店を全部回って、あの衣装を手に入れました。マジでほぼ全ブランドの店員さんの名刺もらいましたからね。
楢原
最近の芸人は賢いよね。衣装やビジュアル面まで自分の芸に合わせてちゃんと考えてる。我々世代は皆、「面白かったらなんでもええやん」っていう考えだったけど、くるまくらいの人たちは意識が違う。そのうえでちゃんと才能もあるってなったら、もう上の世代は勝てないよ。
くるま
むしろ若手芸人こそ、ガワなのかナカなのか、どちらかには伝える力や工夫が必要だなと思ってます。そうしないと熟練の方々相手に向かっていけないですからね。
![髙比良くるまと楢原真樹](https://media.brutus.jp/wp-content/uploads/2025/02/IMG_5066.jpg)