
映画監督・黒沢清はキノコが怖い
私が映画『マタンゴ』を観たのは、小学校低学年の頃でした。キノコ怪獣が襲ってくるというような映画をイメージしていそいそと観に行ったのですが、実際にはそういうものでは全くなかった。本当に恐ろしい映画でした。
今でもキノコや、キノコ状のもの、例えばカリフラワーなんかを見ると、「あ、これは『マタンゴ』だな……」と脳のどこかがぴりぴりと反応します。本当に、どうして子供向けにあんな怖い映画を、と思います。
ある程度大人になってから観返して、この作品がホラー映画として実によくできていて、その結果としてキノコが怖いということがわかりました。船で旅に出た日本人たちが、南方の島に漂流する。そこは難破船がたくさん流れ着いている死の島だった。
島はキノコだらけで、かつては船の乗組員だった人間がどうやらキノコ化しているらしい。それで、難破船の中で何とか生きようとサバイバル生活をして、東京に戻ろうとしている人々の前に次々と出現してきます。このキノコ人間の出現が、めちゃ怖いわけです。
例えば、廊下の角の向こうから何かがやってくる。廊下の角は、怖い。ドアが少しだけ開いていて、向こうから何かがやってくる気配がある。それだけでもう、怖い。中にいる人は慌ててドアを閉めてしまうのだけれど、閉めると今度は情報が完全に遮断されるので、閉めたらほっとするかと思いきや、閉めた方が、怖い。そしてゆっくりとドアノブが回り始める。怖い。ギーとドアが開くと、キノコ人間が立っている。
ほかにも、不自然な高さにある窓が、怖い。なんかあの窓気になるなと思っていると、誰もいないはずの無人島で、窓から一瞬誰かが覗いている。そういうホラー映画のセオリーがふんだんにちりばめられていることで、怖いんです。
しかし、この映画の一番怖いところは実は後半の部分でした。キノコ人間というのはキノコを食べるとなってしまうものであり、つまりキノコを食べてはいけないんですね。でも食べるとすごくおいしいらしい。無人島では人々はだんだん空腹状態になっていく。キノコにこっそり手を伸ばしては、つい食べてしまう。すると「あ、おいしい」って目を輝かせるんですよ。もうやめられなくなる。
こっそり人目を忍んでキノコをぼりぼり食べていて、ふっとその人が振り返ると、顔面が半分キノコ化している。「おいしいわ」と言って食べている。つまり、人間が人間でないものに変化していく過程が描かれているんです。
しかも、ここが本当に怖いのですけど、人間がだんだん人間でないものになることを望み始める。この閉ざされた無人島で生きていくには、人間を捨てるしかないんだなということがだんだん広まっていく。一度食べると「ああ、おいしい」って、体が次第にキノコ化していく。この人だけは絶対冷静で大丈夫と思っていた人も、あるときふと見ると、ぽりぽりとキノコを食べていて、もう人間でない道を進み始めている。
最終的には、登場人物のほぼ全員がキノコ化してしまうという物語なんです。この後半が本当に怖い。人間って、あるとき人間じゃないものを求め始めるんだな。そうすると、もうやめられなくなるんだなって。小学校低学年の者が観ても、人間が、やっぱり怖い。その怖さの象徴としてキノコというものがフィーチャーされている。今観ても非常にハイレベルなホラー映画です。
映画における怖さと現実の世界での怖さは、全く別物だと思っています。でも地続きではあるんです。例えば、これは身近な人に調査したことがあるのですが、「暗い廊下があって、奥にぼんやり光が灯って、何かがいそうだったら怖いですか?」と聞くと、ほとんどの人が怖いと答える。
じゃあなぜ怖いのか、何がいるから怖いのかと聞くと、それはお岩さんだったり、貞子だったり、ゾンビだったり、殺人鬼だったり。エクソシストと答えた人もいました。エクソシストは別に悪者でも何でもないんですが。つまり、明らかにこれまでに触れたホラー作品に影響を受けているんですね。
幽霊なんて全く信じていないフランス人もホラー映画は本当に怖がりますし、随分前にアメリカ人に中川信夫監督の『東海道四谷怪談』を観てもらったら、めちゃめちゃ怖がっていました。世代や生まれた国や経験によって具体的に怖いものは違っても、「これ、怖い」と瞬間的に感じるものは、人類が共通して持っているのではないでしょうか。
ホラーのセオリーみたいなものはたしかにあるのですが、理屈だけではホラー映画はできなくて、どこか人間の普遍的な怖さみたいなものにふっと触れた瞬間がある映画だけが、本当に怖いものになる。私はそう信じています。

これを観て、怖くなった

監督:本多猪四郎/日/1963年/『ゴジラ』の本多猪四郎監督と円谷英二特技監督のコンビが製作した恐怖映画。原案は星新一、福島正実。ヨットで海の旅に出た若い男女7人が遭難し無人島に漂流。錯乱していく彼らの前に、やがてキノコ状の怪物マタンゴが現れる。