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黒川紀章設計の〈カプセルハウスK〉。まるで山に降り立った宇宙船、メタボリズムの名建築がホテルに

惜しくも解体が決定した東京・銀座の〈中銀カプセルタワービル〉は、黒川紀章1972年の代表作にしてメタボリズムの記念碑的作品で、建築好きに愛された作品だ。一方翌73年の〈カプセルハウスK〉は、黒川の原体験の場・茶室が設えられた別荘で、わずかな人の目にしか触れてこなかったのだが……。

Photo: Moe Kurita / Text: Akio Mitomi

未来の都市と建築は新陳代謝すると考えた当時26歳の黒川紀章(1934〜2007)が中心となり、60年に提唱した「メタボリズム」。その象徴であり、世界で初めて着脱可能なカプセルにより実用化された集合住宅〈中銀カプセルタワー〉の、弟分にあたるのが〈カプセルハウスK〉だ。

この兄弟は同じカプセル「BC-25型」を採用、1基あたりのコストは当時のトヨタ カローラ1台分より安かった。黒川が自身の別荘兼モデルハウスとして設計する際に、銀座では耐火のため平面ガラスとした窓をアクリルドームに、また塩害対策で鉄板塗装とした外装をコールテン鋼に変更。共に基本設計に忠実な仕様となり、結果として宇宙ステーションのような外観がより際立った。

内部は幹にあたるRC造2層のコアシャフト上階に玄関とリビング、下階に寝室を配置し、上階の3方に4つのカプセルが取り付けられている。そのうち2つは寝室、残りは茶室と四角いガラス窓の厨房である。それぞれのカプセルは広さ7畳半。中でも茶室は4畳半に仕切られており、黒川の空間感覚を追体験できる。

「実家の茶室を勉強部屋として使っていた父にとって、これが一番落ち着く空間のサイズでした」と説明するのは、長男の黒川未来夫さん。クラウドファンディングによる建築の保存と、民泊による活用を推進中だ。

茶室から発想された小さなカプセルは、メタボリズムの象徴となり多くの人々に愛されてきた。また79年には世界初のカプセルホテル〈カプセル・イン大阪〉が派生した。元の構想に最も近い〈カプセルハウスK〉は、今や貴重な建築遺産なのだ。

長野県〈カプセルハウスK〉外観
急斜面に建てたコアシャフトの周りに、左から茶室、寝室、寝室、厨房の各カプセルが取り付けられた。出入りは屋上からの外階段で。