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兵庫県〈カトリック宝塚教会〉。街のシンボルとしても、 長く愛される小さな教会

1965年に竣工した〈カトリック宝塚教会〉。村野藤吾が手がけたこの教会を筆頭に、日本中には、名建築家が手がけた小さな教会がある。信徒、そして町の人たちが慈しむように手入れを続け、今なお美しい姿で人々を受け入れる教会を巡る。

Photo: Kiyoshi Nishioka / Text: Mari Matsubara

陸に打ち寄せられた白鯨の
体内を思わせる祈りの空間。

阪急電鉄の線路が間近に迫る住宅街を、目当ての教会を目指して歩くと、架線が走る空に突如、尖塔が見えてくる。

高い防音壁に阻まれて見えない建物は、線路下の歩行者用トンネルをくぐり抜けて初めてその全体像を現す。端がめくれ上がるような、なだらかな曲線を描く屋根が急激に垂直上昇して尖塔となり、先端に小さな十字架が光る。設計した村野藤吾はハイヒールを伏せた形から着想したそうだが、その形は鯨にも見える。

中に入ると、板張りの天井が波打っているのに驚かされる。厚さ5mm、幅50mmのラワン材を音響効果を考えて曲面に張ったもので、同じく村野が設計した傑作〈日生劇場〉のうねる天井を連想させる。熟練の職人が張った何千枚もの薄板は、阪神・淡路大震災の時でさえ一枚も剥がれ落ちなかったという。

鯨の姿を思わせる建築には理由があった。旧約聖書の一つである『ヨナ書』に、海に投げ出された預言者ヨナが大魚に呑み込まれ、その腹の中で3日3晩悔い改め地上に戻されたという話がある。晩年にカトリックの洗礼を受け、聖書にも造詣が深かった村野はこの話を知っていただろう。

祈りを捧げる内部空間は鯨の腹の中であり、だからこそ天井が有機的な曲面なのだとも言える。また竣工当時、祭壇脇には岩田藤七によるステンドグラスが設置されたが、茶褐色で暗すぎたため、12年後に作野旦平による現在のものに替えられた。

全体の雰囲気の簡素さと素朴さを心がけた村野は、イグサを編んだ座面を持つ、直線だけで構成された木の椅子をデザインした。これもまた50年以上を経てほとんどガタつかないという堅牢さを誇る。

周囲を住宅に囲まれた線路脇の三角形の敷地という厳しい制約にもかかわらず、村野はずいぶん意欲的に取り組んだものだ。外観は一見、ル・コルビュジエのロンシャン礼拝堂に影響を受けたかと思わせるが、本当のところはどうだろうか。

村野は竣工時「建物が地面に建っているというより、『はえ』ているようにしたいと思った」(『建築と社会』1967年2月号)と記している。その言葉通り、モルタル吹き付けの白壁は地面から斜めに傾いて出て、緩やかに立ち上がる。まるで樹木のように。

「そんなもので宗教的な気持を表せたかどうか」(同)と謙遜しているが、設計の巧みさと職人の技がなし得たこの教会は自然災害にびくともせず、「鯨の教会」と呼ばれて今も地元の信者たちに愛されている。

兵庫県〈カトリック宝塚教会〉外観
路地を挟んで線路脇に立つ教会の東側の壁。塔から下りてきた屋根の末端を支える壁の裏側に入口がある。建物の周りを歩き回ると角度によって塔の見え方が劇的に変わる。