目的地に着くまでの“遊び”から、人は変容するきっかけを得る
「私にとって、あらゆることの原動力は“遊び”です。アーティストとして手を動かすうえでも、日常の様々な場面でも、いかに周りの環境や対象と遊べるかを大事にしています」
そう話すのは、現代アーティストの鴻池朋子さん。動物をモチーフにした作品や森の中でのインスタレーションなど、「自然」と密接に関わる作品を多く発表している。彼女が時折山に足を踏み入れるのもまた、“遊び”の一環からだ。
「仕事柄、地方で展覧会を行うことがよくあります。普通なら、拠点を置いている東京から、飛行機や新幹線で一気に目的地の美術館に行くものですが、現地で決まった仕事をこなすだけになってしまうのがつまらなくて、自分なりのルートで道草を食いながら向かうのが長年の習慣になっているんです。その過程で山道を歩くこともあって。
急に思い立つもんだから、軽装のまま入って寒さに凍えたり、霧が立ち込めて怖い思いをしたり、“熊出没注意”の看板を見て歌を口ずさみながら歩いたりしたこともありました(笑)。極めて些細な出来事ですが、そうしたたまたま出くわす体験の中から、自分が変容したり、新しい気づきを得られたりしている気がしています」
想定し得ない過程を楽しむスタンスは、屋外に展示される彼女のサイトスペシフィックな作品にも表れる。例えば2019年に瀬戸内国際芸術祭で発表した《高松皮トンビ》もその一つ。牛革をつぎはぎし、そこに絵を描くことで生まれた巨大なトンビは、1年近く森の中に掲げられ、雨風に晒されたり、クモの巣が張られたりといった外的要因をも内包しながら作品として成熟していった。
「美術館は、虫や動物もやってこないし天候の変化にも左右されません。極めて守られた空間なので、ある程度の予算とアイデアさえあれば大体のことは実現できてしまうんですよね。経験を重ねるごとに展示を作ることが頭でコントロールして指示を出すような単調な作業になって、自分がやわになってしまう感覚があったんです。
山道を歩くときのように、外的な要因に振り回されてこそ自分は手応えを得られるもの。野生の生き物や天候など、人間以外のものにも協力してもらって自分が想像し得ない方向へ転がる作品に向き合うことに、今は面白みを感じています」
“遊び”を通じ自らの展示のあり方を問い直してきた鴻池さん。来年の青森県立美術館での個展にも、新たな仕掛けを取り入れようとしている。
「東京と青森の間にも、作品を配置するいくつかの拠点を作れないかと構想しています。鑑賞者はそれらを自らのルートで辿りながら美術館へと向かう。中心となる美術館はいわば頂上。美しい光景を見ることができるし一服もできるけれど、そこはあくまでも折り返し地点として、家と美術館を往来する過程から手応えを感じてもらえたらいいですね」
圧倒的に守られた場所からあえて距離を置き、予定調和が通用しない環境に身を置くこと。そして目的地をひたすら目指すよりも、その過程を楽しむこと。鴻池さんが追い求めるこうした“遊び”は、今の私たちが山を歩くことから受け取る豊かさともどこか通じる部分がある。ただそれらを享受するうえで「忘れてはいけないことがある」という。
「“頂上”を目指さないといけない時代があったことです。いかに一番に新大陸を見つけるか、いかに早く山の頂に辿り着くか、いかに鉄道を速くするか。先人たちの頂上志向が多くの進歩と破壊を生み出してきました。過程を楽しめる私たちの余裕とは、そうした複雑な地盤の上に乗っています。前の時代を安易に否定するのではなく、いかにバトンを受け継いでいくか。柔軟に、自分の足元から遊びつつ摸索することが、これからも山を歩き続ける私たちに求められることだと思います」