文・髙田興平
ある日のこと、5歳になる息子が言った。
「ボクね、パパのポルシェよりママのゴルフがすきなんだ。だってね、パパのポルシェってさ、せまくってウルサいんだもん」
これには凹んだ。かなり凹んだ。
愛するひとり息子に愛するポルシェのことを全否定されたのである。何よりポルシェがワーゲンに負けたのである。親バカでありクルマバカでもある自分にとって、ともあれこれは由々しき問題だ。なぜなら、ボクはすでに生産から31年の歳月を経たこの旧式のポルシェ911(1993年式のタイプ964カレラ2)に出来ることなら生涯乗り続け、その先は息子へと委ねられたらどれほど素敵だろうかと、日々考えているのだから。
我が家に964のカレラ2がやってきたのは息子が生まれるのとほぼ同じタイミングだった。今どきの常識で捉えれば子供が生まれるのに旧(ふる)いポルシェを買うなんて……と、白い目を向けられたとしても文句は言えまい。でも、ボクには確固たる信念があった。
「息子が生まれるのだからこそ、幾つになっても好きを諦めずに、とことん好きなものと向き合う親父の背中を見せてやるんだ」と。
言うまでもなく妻には呆れられた。その顔にはっきり「バカ?」と書かれていたように思う。けれど、「大丈夫、911にはリヤシートだってあるんだぜ。専用のチャイルドシートも手に入れてあるから問題なし」と半ば強引に押し切った。
そう言って911の狭いリヤシートに嬉々として専用チャイルドシートを取り付けるクルマバカの背中にさらなる呆れ顔を向けつつ、最後はどうにか受け容れてくれた。そう、所帯もちがクルマバカを貫くには妻の寛容な理解は不可欠なのである。
小さな赤ん坊と理解ある妻を乗せて964では幾度か旅にも出た。この世代の911の車内は想像以上にタイトで、しかもボディ剛性が驚くほどある(まるで金庫のようだと揶揄されるほど)から家族との距離がギュッと濃密に感じられてドライブしていてシアワセな気持ちになる。今どきのミニバンみたいに広く快適ではないけれど、個々に独立した空間よりも、この狭くてもカチッと守られた一体感ある空間の方がボクは断然好きだ。
911というスポーツカーは唯一無二のシャシーレイアウトをもっている。空冷式の水平対向6気筒(通称フラット6)エンジンを後輪駆動軸のさらに後ろ側に搭載するのがその象徴的要素。1964年にタイプ901としてデビュー以降、空冷世代の911はタイプ930、タイプ964と時代に合わせた進化を遂げながらも基本骨格やスタイリングを変えることなく、最終進化型のタイプ993が1998年に生産終了となるまで実に34年にもわたって生き続けることになった。
空冷フラット6特有の乾いたサウンドには、低速ではパタパタと、速度を上げればシャーンっとリズミカルに変化する独特な回転フィールもあって、リヤシートに座る赤ん坊の耳と体にはそれが子守唄のように心地よく響くのだろう、走るたび息子がいつもスヤスヤと気持ちよさそうに眠っていたことが印象に残る。
あの感覚は彼の原体験として小さな体の奥底に刷り込まれているはずだ。三つ子の魂なんとやら。空冷ポルシェのエンジン音がウルサいだなんて、だから絶対コイツの本心などではないと父ちゃんは信じているのだ。
一方でひとりの純粋なクルマバカとしては、空冷世代の911の、それもほぼ最終型に近い進化を遂げたタイプ964のカレラ2には、まず何より乗り手がしっかりとクルマとの対話ができるところに魅力があると感じる。
スポーツドライビングの醍醐味はクルマを通して自分自身と向き合うこと。そう、それはまさにスポーツの精神。ボクの964は5速マニュアルミッション。この世代からポルシェはティプトロニックというオートマチック機構を911にも与え乗り手の間口を一気に広げたが、純粋にクルマの運転と向き合うのであれば、やはりマニュアルに限るとボクは頑なに信じている。自分の手足を駆使してよりダイレクトにポルシェ911というスポーツカーを操る歓びといったら、まさにクルマバカ冥利に尽きるものだから。
走るときはストイック。余計なことは考えずとことんクルマと向き合う。油断すると己の運転の下手さが如実に映し出されてしまうのも911の面白さ。だから、乗れば乗るほどクルマを超えたくなる。ときにサーキットも走れば、プロの手ほどきを受けにレッスンにも参加する。結果、家族と乗る機会は減り、最近はひとり964と向き合ってばかりいる。
「うしろよりヨコのほうがたのしいね。パパのうんてんがみれてたのしいの」
先日、久々にドライブに出かけ、初めて助手席に座った5歳の息子からの言葉。なるほど、背中からではなく、横に並んで同じ目線で走った方が楽しいのだね。現代にはない唯一無二の世界観が詰まったこの不世出のスポーツカーをいつかコイツに受け継いでもらえたら、父ちゃんやっぱシアワセだな。