そもそもドラマ『孤独のグルメ』は、バラエティーの制作チームが、手探りでつくりあげたのが最初。だからこそ、主人公を演じた松重豊も演じるだけに留まることなく、この作品全体のよりどころとなったのだ。主演でありつつ制作側の一員でもあり、ドラマシリーズでは企画立案者、映画では監督・脚本を務め、作品を支え続ける。松重豊にとっての「孤独のグルメ」とは。
この人たち、本当に素人集団だったんだ!
ドラマの『孤独のグルメ』が始まるころに、別のドラマの現場で感じていたのが、お芝居とかをどんどんベタに作っていく風潮なんだなあっていうことでした。テレビの制作側が、さんざん知恵を絞ってマーケティングして、どうすれば効果的に届けられるかを考えた結果じゃなかったかと思うんですが……。そのセオリーから外れたことをやるのが、僕にとっての挑戦であり、ドラマの世界での新しい試みになるだろうと想像したんです。
お話をいただいて『孤独のグルメ』の原作を見たら、ドラマチックなことは特になくて、淡々とした日常の中でごはんを食べてるだけじゃないですか。だから今にして思えば“新しいドラマ”なのは、当然のことでした。「チーム孤独」はそもそもバラエティー番組を作っていたスタッフの集まりで、ドラマづくりのノウハウはほぼゼロ。「ここはこうした方がもっとちゃんと撮れるのに」といったことを、なぜこの人たちは何も知らないんだろうと、そんな違和感と共にスタートし、「本当に素人集団なんだ!」って気づいたのは、シーズン3を迎えたころでした(笑)。
でも、だからこそ今の『孤独のグルメ』ができたと思うんです。ドラマの素人集団だから、現場で僕もいろいろ言うんですよ。「ここは編集点とかいらないんじゃないですか」とか「食べるところ、一発目からカメラ回していきましょうよ」とか。みんながこの『孤独のグルメ』っていうコンテンツを題材にして「ドラマとはこういうふうにつくっていくものなのか」って学びつつ制作してきたんです。
ドキュメンタリーにしか見えないのが最高のドラマ。
『孤独のグルメ』はリアリティしかないんです。リアルなお店で、リアルな店主とお店での日常が描かれて、リアルな美味しい食べ物が出てくる。それを最近よくあるドラマの手法で細かくカット割りすることもなく、「できたてをありのままに食べて撮ろう」といいながら、現場のライブ感とか、アイディアを盛り込んでつくっていく。
観た人が「ドキュメンタリーにしか見えなかった」って思えるのが、僕が思う最高のドラマの条件のひとつなんですが、『孤独のグルメ』はそれに近づけていこうという意識が常にありましたね。だからこそ演者でありながら、制作側にも踏み込んだような関わり方ができたんだと思います。
長く続けるうちに、1話からつくってこられた監督が亡くなり、スタッフがプロデューサーに昇格したりと世代交代もありました。そんななかで、私自身もこの作品を離れる可能性もゼロでは無かったんです。そんな流れを見てきた中で、若い人たちとのより幸せな制作環境作りをしたいとか、いろんな思いも出てきて『それぞれの孤独のグルメ』のプロデュースをやったり、『劇映画 孤独のグルメ』の脚本・監督をやったりということになるんですよね。
『劇映画 孤独のグルメ』で感じた「孤独」
映画に関しては、監督、脚本、主演っていう具体的なクレジットが増えました。ここまできたら中心となって背負うのは宿命ですね。それに関しては「孤独」だなあと思いました(笑)。とくに完成から公開に至るまでの宣伝活動が非常に孤独で過酷です。
「なるほど主役やってた俳優が、普通に監督やってんだな」って色眼鏡で見られるのはイヤだから、自分のキャリアで培ってきたことを惜しみなく出して、面白い作品として成立させました。そこを公開までにちゃんとアナウンスできるかどうかは、僕にかかっているわけです。
僕自身はグルメでも大食いでもないですが、この12年間で「食べること」に関しては、日本で非常によく知られる立場になりました。かつて「男はつらいよ」の寅さんを見て、観客のみなさんが渥美清って人は本当に幸せなのかを考えたことがあると思うんですよ。それと同じようなところに自分も差し掛かってると感じる瞬間があるんですよ。でも実は、井之頭五郎をやってからプライベートで飲食店に入りにくいったらありゃしない!(笑)
飲食店の皆さん頑張って。
ずっと好きな味が食べられますように
私自身も馴染みの店はありますし、世の中のあらゆる飲食店に、偉そうな言い方するつもりはないですが、エールを送りたいと思っています。だって、飲食店のみなさんのご協力あればこそ、『孤独のグルメ』はずっと続けてくることができたわけですから。今回の映画のシナリオづくりに際しても、お店探しは必死にやりました。パリや長崎の五島など、知らない土地ばかりでしたが、なんとなく五郎が入りそうな店はわかるんですね。いわゆる「孤独っぽい」店の基準は、外国や離島に行っても明確にあるものです。
そこで、「忘れられない味」を映画の起点にしました。コロナ禍や不況、経営者の高齢化などで、みなさんの馴染みの料理を出す店がいずれ畳まれることになるのは仕方がないことかもしれません。僕らに何ができるわけではないのですが、苦境に立たされているお店にも何かしらヒントがあって。もっというと、そこの常連さんもお店が続くとなれば幸せな気持ちになると思うんです。
各店の基本のスープは、とくにこだわりを謳っていなくても、誠実に出汁を取って、店の味を支えています。そんなスープづくりはすべての根底であり、僕らの作品作りにも共通するような一番大事なルールだと思っています。だからスープづくりと同じように丁寧な作業でつくった映画で見せられたらなと思っています。