この連載も早くも第5回ですが、今まではある種前書きみたいなもので、リアリティが人によって異なるということを、長々と言い訳として陳述していたのだと思います。
どこかで高名な小説家が、前書きは言い訳or自慢に偏るということを書いていたことを思い出します。僕の場合は前者に偏ったものになりました。
少々今更だけど、この連載が始まった経緯を説明したいと思います。ほとんどの読者にとって、それは関心がないことだろうし、なんでそんなことを聞かなければいけないのか、そんな気持ちになるかと思いますが、この連載に関しては始まり方自体が重要な意味を持つ、そんな予感がします。
繰り返しにはなってしまいますが、何にリアリティがあって何にリアリティがないのか判断するとき、現実をより丁寧に確かめる作業が必要になります。
そして、「記憶の遺影」が成立した過程に関しては、倫理にわずかに触れる(あるいは踏み越えてしまうかもしれない)事柄への、予防線のようなものにもなると感じています。
つまり、結局のところ僕は、まだ言い訳を続けようとしているのです。言い訳を続けることでしか、先に進めないような気もします。
そのこと自体が、連載の主題と奇妙に絡み合っているのかもしれません。

マガジンハウスの編集者の水野さんから連絡をもらったのは、昨年の秋ごろだ。
彼女からメールが届いたとき、新幹線に乗っていた。名古屋から東京に帰るところで、席はあいにくのB席で、AにもCにも乗客はいた。
A(便宜上A席に座っていた男性をそう呼ぶ)は神経質そうな細い銀のフレームの眼鏡をかけていて、グレーのストライプのスーツで、胸元には何かしらの権威を証明するバッジがついていた。
CもAの双生児(一卵性)のようで、僕が見分けられる違いといえば、左胸のボタン穴に取り付けられているのがSDGsバッジである、ということくらいだった。
まだ10月だというのに暖房がぼんやりとつけられていて、脇の下には嫌な汗をかいて、肌着として着ていたエアリズムが湿っていることがわかった。
つまり、なかなか不愉快な状況で水野さんからのメールを読んだということだ。
水野さんは、どうやら僕がこれまで制作してきた番組を見てくれていたらしい。メールの中には、いくつかの短い感想が、淡々と、しかし妙に整った文体で並んでいた。
何度か繰り返し推敲されていることがうかがえた。「フィクションだとわかっているのに現実なのではないかと錯覚し没入する体験が非常に魅力的」「その世界観の作り込み方に、ものづくりに携わる立場としてたくさん学びもあった」などの言葉が並んでいた。
一つ一つの文は、社交辞令のようでもあり、磨かれた石みたいに率直な文章にも読めた。
本題は、僕になにか文章の仕事の相談をしたい、ということのようだった。2つ提案があった。
①エッセイの連載
②ドキュメンタリーをフェイクにする試みを書籍という媒体で行う
エッセイを書くとき、いつも僕の頭の中には、リスがせっせとこしらえた巣穴を頭に思い浮かべる。冬の巣穴だ。
暗く湿った土の奥に、クルミやドングリが、重なり合うようにして幾何学的な模様を形成しながら、詰め込まれている。
崩れかけた円環のようでもあり、誰に見せるわけでもないのに、ひそやかな秩序を保っている。
ひとつひとつはただの木の実にすぎないのに、長い時間をかけて運び入れられ、積み重なり、ようやく貯蔵という状態になる。
木の実みたいに、僕は極めてパーソナルな記憶・感情・事象を集めている。
フィクションをこしらえるには、それらが必要になる。
登場人物とフリとオチだけでは(残念ながら)完成することはない。けれど、エッセイを書くときには、その実を巣穴から取り出し、割ってしまうような、そんな感覚がある。
パーソナルな記憶を組み替えて文章にするたび、巣穴はほんの少しずつ痩せ細っていく。掘り返してクルミがひとつ減る。サラサラとその部分に土が流れ込む。
冬のひんやりとした空気が流れこみ、数値で測れないくらいに、湿度が失われる。
そのうち、木の実がひとつも残らなくなったらどうするのだろう。
僕はまだ、その答えを持っていない。
つまり、エッセイを連載として持つことはできないと思った(と言いつつ、SFマガジンで連載させていただいているわけだけど、だから余計に。2つ目の連載は問題外だ)。
「ドキュメンタリーをフェイクにする試みを書籍という媒体で行う」
編集者というのは、意味と文脈を紡ぐ職業だ。
手に取る人が現れ、読む人が現れる。その職業の人が書いたメールに、文脈が見当たらない。見当たらないのに、そこに確かに存在しているような手応えだけはある。
「エッセイ」のようにアウトプットがおおよそ想像つくものではないのに、文章からディテールが(おそらくは意図的に)剥ぎ取られている。読み手である僕の手に、奇妙な圧がかかる。
削ぎ落とされた文中の「まだ語られていないもの」は実体のない影で、僕はそこに意識を向ける。視線を感じる。
新幹線の気温はますます上がっているように思えた。
AもCも暑さを感じていないのか、それどころか何も考えていない顔をしている。新幹線の中全員、僕以外何も考えていない顔をしている。
テレビのプロデューサーと、出版社の編集者は、職業として似ているところがある。
単体では何も成立しない仕事だ。観念というには軽いが、物質的に何かを生み出すわけではない、編み物をぐいぐいと作るような仕事。
だからわかる。
この①は断られることを前提にしているということが。
水野さんは②に僕の視線を向けようとしたのだろう。
メールの文章の細部からもそれを読み取ることができた。
文末の「いかがでしょうか?」という問いかけも、①にではなく②にぶら下がっているように見える。①のほうは、すでに冬の風化した枝のように、そこにあるだけに見えた。
名古屋に滞在していたのはわずかな時間だった。
1杯のコーヒーと1杯のカフェオレをたっぷり時間かけて飲んだだけだ。
高校時代の先輩に会いに行ったのだ。彼に会うのはおよそ15年ぶりだった。
彼は僕の二個上の先輩で、つまり彼が卒業してから一回も会っていなかったということだ。
僕がフェイクドキュメンタリーについて話すインタビュー記事を読んだらしく、それをきっかけにXのDMで連絡をくれた。
LINEを知らないくらいの関係だったということだ。
「フィクションで陰謀論に抵抗したい」
僕がインタビューで軽く口にしたその一文を、彼は律儀に覚えてくれていた。
DMには、その言葉への反応(とても感銘を受けた)と極々簡単な近況報告、「久しぶりに話したい」という短い要望だけが書かれていた。
また、僕がプロデュースした番組への丁寧な感想をくれた。あまりに丁寧で、覚えていないような細かいカットへの言及もあった。
彼が医大に進んだことは知っていたが、そのまま精神科医になったらしい。
指定された喫茶店に入ると、彼は店奥にすでに座っていた。立ち上がろうとしなかった。
僕に気づいても、軽く片手を上げるだけで、椅子に腰を深く沈めたまま動かなかった。
笑顔はあの時のままだった。意外なほど、それは変わらない。
かつての彼なら、律儀に席を立って会釈してくれるような、そんなイメージがあった。
近づいていくと、テーブルの脇に黒茶色の杖が所在なさげに立てかけられていた。持ち手の部分がややすり減って、艶が失われていた。古い喫茶店の古いテーブルと地続きの色合いだった。
「ちょっと足を悪くしたんです」
彼は僕の視線に気づいたのか、先回りするように言った。説明し慣れているんだろう。
「歩けなくはないんだけど、長い距離は厳しくて」
そう言いながら、コーヒーカップを持ち上げる動作も、どこかぎこちない。
下半身の不自由さが、左足を庇うような動きが、上半身の運動に少し影を落としているのだろう。
隣の客がスプーンを落としたり、ドスドスと横を忙しなく通り過ぎる店員の足音が、その「不自由さ」を僕に意識させた。
彼が今、まっすぐ歩いて店を出ていく姿を、想像できなかった。
彼の近況や、病院の話や、高校時代の先輩の話、いろいろ話した。
久しぶりの再会なのだから、聞いておくべきことはたくさんあった。言葉は耳の奥から滑り落ちた。大した話はしていない。
自分が口にした問いをここに書き記しておく。なぜだろう、これは彼に聞いておきたいと思った。
「僕は嘘をこんなについて、なにか悪影響があったりするんですか?」
彼は杖の先をさすりながらしばらく逡巡していた。
「例えば健康を害するとか」
と僕は付け加えた。
「嘘をつく人のほうが、むしろ正直なのかもしれないです。そのほうがよっぽど人間らしいというか」
15年という月日は、先輩後輩という上下関係を溶かすのには十分で、初対面かのように話していた。最初は違和感があったが、すぐに慣れた。
メールの文章を一行目から、何かを点検する気持ちで、読みなおす。
水野さんに会ってみよう、そう思った。水野さんには会ってみたいと思えた。