——サザンは目下、全国13ヵ所26公演のツアー『LIVE TOUR 2025「THANK YOU SO MUCH!!」』の真っ最中です。まずはツアー序盤を終えられていかがですか?
おかげさまで楽しく回らせてもらっています。メンバー一同、テンション高くライブに向き合えていると思います。
——ニューアルバムに収録される「桜、ひらり」は能登半島地震からちょうど1年を迎えた今年の元日に配信リリースされました。石川公演の会場では、地元の方々の飲食店や『輪島朝市』への出店、能登地震の様子を伝える写真展といった取り組みも行われていました。
特に石川はそうなりましたね。やっぱり、ライブに来るお客さんそれぞれに生活があって、サザンのライブに来る道中もすごく大事にしてくれている。その道中でもより多くの何かを感じていただけたらと、うちの若いスタッフたちが演出してくれました。でもね、僕、石川の初日はすごく緊張しちゃって。過呼吸になりそうだったもん。
——やっぱり初日は特別なものですか?
何年やっていてもそうですね。例えば会場それぞれで天井の高さも、楽屋も、客席との距離も、お客さんの雰囲気も違うでしょ?リハーサルをやっていた気持ちのまま入ろうと思うんだけど、最初の曲とかは、目を開けると目の前が真っ暗だし。(取材日の時点では)6公演やりましたけど、1曲目は毎回過呼吸になりそうです。むしろ、去年のロッキン(ROCK IN JAPAN FESTIVAL2024 in HITACHINAKA)の方がリラックスしてやれたかもしれない。
——サザンの“最後の夏フェス出演”でしたね。
一昨年の茅ヶ崎ライブと去年のロッキンで弾みがついたところでアルバムを仕上げつつ、ツアーに臨めたおかげで、良いコンディションにさせてもらえました。今回は久しぶりのツアーというだけじゃなく、新鮮に感じられる部分も多いんです。
——ニューアルバムの新曲をリリースに先駆けてツアーで披露するというスタイルは、サザンとしても異例ですね。
実はもうちょっと前倒しのスケジュールでツアーを始めるようなプランを考えたこともあったんです。でも、やっぱり是が非でもオリジナルアルバムを作りたかったし、こうしてツアーの中で初めて聴いてもらうのも悪くないんじゃないかなって。新曲がお客さんにどう響くのか、僕らも楽しみにしながら各地を回れていますね。
——アルバム全体のコンセプトとも言える『THANK YOU SO MUCH』というタイトルについては?
タイトルは結構悩みましたね。でも、「結局、僕は今何が一番したいんだ?」と考えた時、“お礼参り”だったんですよ。だって、僕、最近、「ありがとう」しか言わないんですよ(笑)。ライブでも、自然と「ありがとう」ばかり言っちゃう。
ふと、スマホで、「心より感謝します」って、英語で何て言うんだろう?と思って検索したら、「THANK YOUSO MUCH」だった。そりゃそうですよね。「じゃあ、これでいこう」と思って。当時、学生気分でデビューしたバンドが47年もやってこられているというのは、もうほとんど偶然だし、奇跡ですからね。
無論、そこにはスタッフをはじめ、これまでサザンに関わってくれた多くの人たちの支えがあったからなんだけど、やっぱり何が一番かと言ったら、ファンの皆さん、ライブに足を運んでくださるお客さんへのありがたみですよ。それを今になって、ことさらに嚙み締めているというか。ようやく本当の意味で身に沁しみてわかってきた。若い頃は、ちゃんとわかってなかった(笑)。
サザンがお客さんと会えるライブという唯一の機会に、ありったけの思いを込めた新曲をぶら下げていく。それが最も大きくて、わかりやすい「ありがとう」の形じゃないかと思ったんですよね。それに、お客さんのノスタルジーに訴えかけるような曲だけでツアーに臨むのは、こっちからしたら丸腰みたいで、ちょっと怖いんですよ。
——“怖い”という言葉に、現役選手の矜持(きょうじ)を感じます。
いや、本当に気が気じゃないんですよ。茅ヶ崎では「盆ギリ恋歌」と「歌えニッポンの空」、ロッキンでは「恋のブギウギナイト」と「ジャンヌ・ダルクによろしく」といった新曲があったし、そうそういろんな局面を「勝手にシンドバッド」や「マンピーのG★SPOT」だけで乗り越えられるわけじゃないですからね(笑)。
——今回のツアーでは、新曲がものすごくサザンをサザンたらしめています。つまり新曲がライブの根幹を担っていて、サザンが現役であることを体現している。率直にすごみを感じました。
そう感じてもらえるのはうれしいです。たまたま作れた曲もあれば、セッションから生まれた曲もあった。茅ヶ崎やロッキンで受けた刺激も仕上がりに影響しました。本当にこのアルバムを作れてよかったと思うし、その実感を持ってツアーに出られたことも本当によかった。
日本人の芸能やお祭りの面白さがわかるように
——このキャリアのバンドがニューアルバムのほとんどの曲をライブで演奏するというのは、世界的にもレアケースかもしれない。ローリング・ストーンズだって、新作を出しても数曲しかやりませんよね。
ストーンズと日本ローカルの我々とでは、マーケットの大きさも違いますけど、日本ローカルだとしてもそれなりにすごいことでね。我々はその中で生きてきているし、日本ローカルならではの可能性がいっぱいあると思うんですよ。海外を目指そうかと考えたこともあるし、それも最近は一つの考え方だと思うんだけど、あくまで国内で、いろんな世代に向けて発信する良さもあると思うんですよ。
例えば歌舞伎とかお相撲とか花火とか、そういう日本の情緒感を持った、日本人が日本人のためにやる芸能やお祭り事の面白さがわかるようになったのも、お客さんやスタッフのおかげです。昔はロックやポップスというのはアメリカやイギリスに通じなきゃダメだと思っていたんだけど、我々は日本ローカルの重要性に気づけてから、少し気が楽になりましたね。
——この47年で音楽の聴かれ方も大きく変わりました。
我々が若い頃は、メディアといえばテレビとラジオと有線放送しかなかったからね。今はストリーミングであらゆる音楽が聴けるし、ちょっと前に起こった日本のシティポップ再発見ブームみたいに、突然、海外で(竹内)まりやさんの「プラスティック・ラブ」が聴かれたりして。面白いよね。僕もストリーミングで何か聴きたいな、と思うと、アルゴリズムで「こんなチルはいかが?」なんて薦められるし。
——よくチルを聴かれているんですか?
お茶を飲む時間とかね(笑)。まあ、これはこれでいい時代だなと思うんです。その中で、じゃあサザンがサザンとしてやれることは狭くなったのか?といえば、むしろより広がったと感じるし。
——どう広がったのでしょうか?
情報がたくさん飛び交うようになった分だけ、選択肢が増えた気がしますね。80年代、とあるミュージシャンが女子高生の話を聞きたくてファミレスまで出かけて会話を録音していた、なんて話も耳にしましたけど、今は良くも悪くもスマホがあれば何とかなっちゃうでしょ?見たい情報から見たくないものまで出て、そうかと思うと、「今日はネットでCD買おうかな」と思ったり。
日常とか、スタジオへ向かう車の中に限らず、狭いスタジオの中にいながらも、どこかで今の世の中を気にしてアンテナを立てているのだと思うし、自分なりに、日本の音楽界も海外の音楽界もそれなりに気にしているんだと思うんです。
温故知新的なことでも、星野源くんが細野晴臣さんを好きだという話がネットで伝われば、新たにはっぴいえんどに興味を持つ若い人がいるわけじゃないですか。僕もここ数年、改めて浅川マキさんを聴いたら、すごくハマっちゃってね。写真のテイストとか、声とか、彼女の成り立ちみたいなものに、すごく惹かれちゃったり。

——ニューアルバムの「暮れゆく街のふたり」からも、浅川マキさんのエッセンスを感じました。
本当?そこまで意識はしていなかったけど、うれしいですね。昔のコアな音楽の魅力も、多少は今日のリスナーに向けたエッセンスやパッケージを意識しながら取り入れたりしています。昔の音楽、今売れている音楽、あまり注目されていない音楽がグラデーションみたいに混在している今日の音楽環境って、決して悪くないんじゃないかと思うんですよ。我々のような年齢でも新曲が作れたり、歌詞で何か話題が作れたりするのもね。
——若い世代の間で“バズる”ヒット曲については、どう感じますか?
正直、そこまで詳しくないし、どんどんわからなくなってきましたよ。「今の若い人は何やってるかわからない」というのは昔から言われ続けていることだし、僕らも言われてきたと思うんだけど。
AdoでもMrs. GREEN APPLEでも、世界でバズったCreepy NutsでもYOASOBIでも、つまんなくないから売れているわけでね。僕の中では、「売れるものには必ず意味がある」「だから絶対に侮ってはいけない」という思いは、昔も今も変わっていません。
ただ、時々テレビの歌番組に出ている若い人たちを同業者目線で見ると、批評精神なのかジジイの戯言なのかわからないけど、「この見せ方には違うアプローチもありそうだな」とか「もっと日本人の器や技量に見合った音楽を追求するアーティストがいてもいいんじゃないかな」と感じることもある。それが、「じゃあ僕らはこっちに向かおうか」と、詞曲のモチベーションにつながる場合もあります。
この年になると、「日本人的なもの」の偉大さがよくわかるんです。もっとも、僕も若い頃はテレビで歌謡曲や民謡歌手の皆さんを観てもあまり何も感じなかったし、「日本人っぽさ」を否定しながら欧米の音楽やカルチャーに憧れていたんですけどね。今ならK-POPがそういう対象なのかな。まあ、いつの時代も同じなのかもしれないけどね(笑)。
30年後の「奇跡の地球(ほし)」はもっとシリアスに
——「神様からの贈り物」では、桑田さんがかつてのポップスから受け取った感動とともに、日本でポップスを広めた先人たちへの称賛や謝意が歌われています。
我々はテレビ番組の『シャボン玉ホリデー』とか、海外のジャズやポップスを日本人が一生懸命日本語に直して歌ったりしていた音楽に洗礼を受けた世代ですから。昔の『NHK紅白歌合戦』なんかも、三波春夫さんや三橋美智也さんのような民謡出身の歌手から、北島三郎さんのように流しの歌手からデビューされた方や、歌謡曲なら尾崎紀世彦さんや西城秀樹さんと多彩なラインナップだった。そうした皆さんに、多大な恩恵を受けたんですよね。
その一方で、60年代のビートルズやローリング・ストーンズから、サイケデリックロック、グラムロック、パンクロック、アメリカンロックだとかあって、80年代のMTV誕生期から90年代初頭のニルヴァーナぐらいまでは、割と体に入っているんですけど、そうした洋楽を体現する時も、どこかで日本の歌謡曲が媒介になっていたのだと思うんです。例えばラップミュージックだって、その根幹にはJAZZやR&Bやブルースがあって、グラミー賞なんかでは世代を超えてその人たちがパフォーマンスしますよね。そのあたりのリスペクトの仕方が、あちらは羨ましいと思いますね。
——一方、「史上最恐のモンスター」は、気候変動や戦争など、地球が抱えるさまざまな課題への警鐘のようです。ふと気づいたのですが、『アクト・アゲインスト・エイズ』の活動の一環でリリースされたチャリティシングル「奇跡の地球(ほし)」(桑田佳祐&Mr.Children)から、今年でちょうど30年なんです。
そうだ、1995年だったね。あの頃は89年に天安門事件やベルリンの壁の崩壊、冷戦終結なんかがあって、僕らもどきどきしていた時代でしたね。「音楽で何ができるだろうか?」と、桜井(和寿)くんなんかと話していましたね。突き動かされた力のベクトルが、まだポジティブだった気がする。
その頃と比べると、我々はちょっとネガティブになったかもしれない。ニューヨークの9・11では現地の映像がどんどん送られてくるようになったし、東日本大震災は「2度目の敗戦だ」なんて言う人がいたくらいショックが大きかった。日本人はそういう時に、割と右往左往してしまう。誰かが「放射能が来るぞ」と言えば、集団パニックみたいにうわーって騒いで、他人のことなんて考えられなくなって、しばらくして落ち着くと、潮が引くように何事もなかったようになっちゃって。そこに今度はコロナ禍もあって。
——そうですね。
そういう社会のネガティブなあり方は、日本人や日本のマスメディアの本質で、ずっと変わらないと思うし、我々は震災やパンデミックのダメージからまだ脱却しきれていないんだと思うんです。ちょっと打たれ弱くなったし、警戒しすぎるし、自信を失っているんだろうなと。
かく言う僕自身もね。サザンはドメスティックで、と言ったけど、ネガティブで気が小さいところはまさに日本人的な部分なのかもしれない。我々はバブルもバブル以前も経験していて、その頃は本当に軽薄だった。「面白けりゃいいんだよ」といった具合で。しばらくその癖が抜けなかったんですけど、時代とともにそのうちそうもしていられないんだということに気づかされてね。だから、「史上最恐のモンスター」は「奇跡の地球(ほし)」のSFティックな感じと比べて、よりシリアスですよね。信じていた安全神話がいろんな意味で揺らいでしまったことも、この曲に落とし込まれています。
高齢化、少子化、人口の東京一極集中なんかもそうですけど、僕らはますますいびつで不安な立ち位置に置かれているような気がする。皆さんも心のどこかでそう感じているんじゃないかな。そんなことを歌った曲になりましたね。
歌詞を書くことはコックリさん
——一方、それとは異なる切り口で昨今の世相を想起させる曲に「ごめんね母さん」があって。
書き上がった歌詞を原さんに見せたら、「これ、闇バイトの話だよね?」と言われて、「何それ?」ってなっちゃって(笑)。彼女は僕より世の中のニュースをつぶさに見ているんですよね。闇の世界で何かの影を踏んじゃったような男の末路的な仕立ては、曲が先にあったので、アレンジの不穏な響きから引き寄せたんじゃないかな。あと何かの小説から影響を受けたのかな。
——「ジャンヌ・ダルクによろしく」の歌詞を書いている最中は、メリル・ストリープ主演の映画『幸せをつかむ歌』(2015年、ジョナサン・デミ監督)のワンシーンを思い出されたそうですね。
本とか映画なんかの影響を受けやすいんですよ。ポップスなんていうのは案外と不思議なものでね。映画じゃないけど、企画を立ててもらっても思い通り書けるわけじゃないし。何かの流れをアンテナがピャッと拾う時もあれば、偶然の思いつきが必然だったように聞こえる時もあってね。
「神様からの贈り物」も、スタジオで、エンジニアの谷田(茂)くんを見ながら「♫〜わたしゃ、しがないエンジニア〜」なんて適当に歌ってたんですよ。それが気づいたら、完成した歌詞では、「神様からの贈り物(Souvenir)」になっていた。エンジニアからスーベニアを思いついたんですね。和紙の上にポンと落とした墨がススーッと広がるような感じというか。そこはもう、「ひとりコックリさん」としか言いようがない(笑)。
——歌のコックリさん、ですか?
そう(笑)。「ごめんね母さん」の「ウスバカゲロウのような人生だったなんて」というフレーズも、歌のコックリさんに書かされた感じですよ。別に事前に取材して練ってもいないし、狙って出てくるもんじゃなくてね。もちろん最後は整えるし狙うんだろうけど、本当、スマホや鉛筆で書いていると、何かに突き動かされるように指や手がススッと動くんですよ。
——今回、桑田さんはこのアルバムについて、「“読み物”のようにしたい」とコメントされていました。桑田さんのリリックは09年にソロで発表した楽曲の「声に出して歌いたい日本文学〈Medley〉」(シングル「君にサヨナラを」収録)をターニングポイントに、より小説や文学作品のにおいを擁する方向性が加味された気がします。
あの曲はたしかに大きかったですね。若い頃はビートルズやリトル・フィートなんかを何とかコピーして、バンドを始めて、いつかアメリカ人みたいになりたいとか、英語をしゃべれるようになりたいなんて夢を見てね。だって、ビートルズだってブライアン・ウィルソンだって、みんな歌詞から曲を作るという。英語をしゃべっていれば発音された言葉がそのままメロディになっていくわけでしょ。外国人はいいなあって。
——桑田さんが学生時代にリトル・フィートを聴いていた頃、周囲でもそうしたスワンプロックやサザンロック、ブルースといったジャンルは広く聴かれていたんですか?
ブルースを聴いている人はあまりいなかったね。リトル・フィートはちょっとマニアックだったけど、西海岸の音楽は割と聴かれていたんじゃないかな。ミーターズとか、ニューオーリンズファンクとかも。どちらかと言えば、ラリー・カールトンとかスタッフとか、ジャズ/フュジョン、クロスオーバーなんかが聴かれ始めていた。あとはファンキなディスコサウンドとかね。
僕がリトル・フィートを好きになったのは、ちょっととっつきやすそうだったから。その頃、「ビートルズが好きなんだ」と言っても、「は?」って言われる感じだったので、変化球じゃないけど、背伸びして、ちょっと好きになってみたんですね。とにかく僕らにとっては欧米の音楽こそが最高で、それをわざわざ日本語でやるのはちょっと面倒くさいな、なんて思っていました。
でも、サザンはいわゆる洋楽風のメロディに日本語をあてて歌ういびつさによって「面白いね」と注目を受けた。それはそれでよかったのかもしれないけど、自分の中では、かなり長い間、どうしても洋楽風のメロディに縛られている感じも否めなかったんですよ。それが、もちろんすべての曲に当てはまるわけじゃないんだけど、いつしか「字余りでもいいんだ」と思えるようになってね。洋楽的なメロディから日本語が溢れ出ちゃっても、それをメロディと呼べばいいんだと、本当、ここ10年くらいで思えるようになってきたんです。
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ロングインタビューの続きは本誌にて。「もしかするとコレをみんなで録音するのも最後のチャンスかなと」「音楽のメッセージ性って、やっぱりあくまでも自由なものだから」「古希を目前にして、ようやく肩の力が抜けてきたのかもしれません」。アルバムにこめた思いからサザンの未来まで。今、桑田佳祐が考えることのすべてを、ぜひ本誌でお楽しみください。
