大自然に飛び込んだことで出会えたクルマと暮らし
3月下旬の北海道・知床。流氷で埋め尽くされたオホーツク海の沿岸を白い日産「エクストレイル」が颯爽と走る。知床はアイヌ語でシリエトク、「地の果て」とも呼ばれる。川村喜一さんが暮らす町・ウトロはまさにその言葉が似合う場所。手つかずの自然が残る知床国立公園の玄関口にあり、シマフクロウやヒグマなどに出くわすことも珍しくないワイルドな土地だ。
「クルマが汚くて、すみません。ここ数日気温が高くて、雪道がドロドロで……」と苦笑いの川村さん。積もっては解け、解けては凍り、また積もる。冬と春を行き来する3月の知床では、ピカピカのクルマなんて走っていなくて、あるとしたらそれは旅人が乗るレンタカー。車体を茶色く染める泥ハネは、厳しい自然の中でサバイブしているクルマだけが持つ、堂々たる勲章のようなものだ。
川村さんは東京育ち。写真家として活動していた2017年に知床に移住した。当時27歳だった彼を縁もゆかりもない「地の果て」へと連れてきたのは、「知らないことを、知りたい」という強い思いだった。
「表面的な良い写真を撮りたいと思ったら、それが撮れそうな場所に行けばいい。でも、例えばそこに写っている一本の木について、自分はどれだけのことを知っているだろうか。その土地の風土や歴史などについても同じで、そういうことを全然知らずに写真を撮るとは、果たしてどういうことなのだろう。知床に移住する少し前から、そんな自問自答を繰り返していました」
答えを探してバイクで旅した北海道の最終地点が知床だった。
「当たり前ですが、人も動物も、いい写真に納まるために生きているわけじゃない。この場所で彼らと同じ空気を吸って季節を過ごし、生きる時間の中で、改めて表現するとはどういうことなのか、納得できるまでやってみたいと思ったんです」
写真を撮るために暮らすのではなく、暮らす中で何が自然と写ってくるのかを知りたい。移住後間もなく狩猟免許を取得したのも、エゾシカやヒグマという身近な野生動物のことをきちんと知りたいと思ったからだ。原野で生まれて、どんな場所でどのように生き、命を終えるのか。自分の体を通して知りたかった。
「自然の中の暮らしには不確かなことばかりです。天気も動物も、生きることや死ぬことだってそう。人間がコントロールできるものではないから、写真も生活も、安易に“目的化”しないというか、そもそもすることができない(笑)。そうやって暮らしていると、いろいろな巡り合いが訪れて、思いもよらないことが起こる。それが面白いんです」
自然の中で共に生きるタフで頼もしい相棒
愛車のエクストレイルもまた、思いがけずやってきたものの一つだ。移住に際して人生初の愛車を買った川村さん。ファーストカーは中古のいすゞ「ビッグホーン」だった。
「いすゞのディーゼル車といえば“働くクルマ”の代名詞で、これぞ男のクルマだ!って、テンションが上がってしまって(笑)。四駆でデザインもかっこいいし、これしかないと、探しに探して買いました」
ところが移住5年目の冬、アイスバーンの道路でスリップ。帰らぬクルマとなってしまった。そのすぐ後、知人から格安で譲ってもらったのが、今のエクストレイルだった。
「ビッグホーンには未練がありますが、ここで暮らすうち、クルマ=生活の足、徹底的な道具というふうに考え方が変化してきたこともあって、デザインどうこうよりも、まずは厳しい環境の中で必要十分に走れるかどうかが第一と思うようになりました。四駆でまずまず車高が高いので除雪が甘い道も走れますし、燃費はビッグホーンの倍くらい良くなりました。移動距離が尋常ではない北海道では、ガソリン代が安く済むディーゼルエンジンはありがたい。あと寒冷地仕様でシートヒーターが付いているのが最高ですね。12月から2月はほぼ毎日氷点下なので」
ラゲッジルームも比較的広く、狩猟期には猟銃や、雪の上を歩くスノーシューやスキーシューを積んで出かける。
雪の山道もぐんぐん登っていく。そして忘れてはいけないのが、いつも一緒にこのクルマに乗る相棒の存在。5年前、これまた偶然譲り受け、家族になったアイヌ犬・ウパシは、共に森に入ってシカを追い、時に人間には見えないヒグマの気配を知らせてくれる心強い存在だ。
「東京ではバイクに乗っていたのですが、ウパシが家族になってからはほとんどクルマにしか乗らなくなりましたね。計画したわけじゃない、たまたま起きたことが今の生活を作り、知らなかった感じ方を与えてくれたのかもしれません。意図しないことで、以前とは違ったふうに心が開いていく。それがここでの暮らしで得られた最も大きなもので、その先に何があるのか、どんな形で表れてくるのか、これから確かめていきたいと思っているところです」