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水辺の魚をつぶさに観察する。イラストレーター・横山寛多の、終わらない夏休み

そこに泳ぐ魚たちをどうしても間近に見たい。イラストレーターの横山寛多さんと、鎌倉の市街地を流れる二級河川の滑川(なめりがわ)と夏の海へ。


本記事は、BRUTUS「釣りの入口。」(2025年9月1日発売)から特別公開中。詳しくはこちら

photo: Taro Hirano / text: Toshiya Muraoka / special thanks: DAIWA

浪人時代に知った魚の繊細な色使いは、自分の大切なもの

イラストレーターの横山寛多さんが地元・鎌倉の市街地を流れる二級河川ので釣りをするようになったのは、そこに泳ぐ魚たちをどうしても間近に見たかったからだ。網では捕まえるのが難しく、しっかりと観察するためには釣るしかない。毎年、夏になるとウェーダーを穿いて川に立ち込み、テンカラ釣り用の延べ竿に糸を結んだミニマルな仕掛けで、オイカワなどの小さな川魚を狙っている。

「僕は虫捕りも大好きで、春から夏にかけては毎日のように山を歩いて、鎌倉のどこにどんな虫がいるのか、なんとなく把握しているんですね。同じように魚も見たいと思ったんです。どちらも家に持ち帰ることはほとんどないですが、描くことで、ちょっとだけ自分のものになると思っている気がしますね。描くことは、どこか盗む行為に近いから。欲しいから描くっていうところがあるんじゃないかな」

釣ったオイカワのメス、ヨシノボリ、ウキゴリ。観察ボックスを光にかざすと魚の淡い色彩の美しさがよくわかる。透き通るよう。

横山さんは、今日釣ったオイカワやヨシノボリも写真に撮ったら、すぐに逃してしまう。魚がそこに暮らしていることを知り、その形に見惚れながら色の美しさを愛(め)で、泳いで帰る姿に安堵する。「見たい」という欲求に付き合ってもらった感謝と少しの罪悪感を覚えつつ、観察する。それが横山さんにとっての釣りだった。

「今でもヌードクロッキーを続けているんですが、女性の体の線はすごくきれいだから、そのまま描けば“絶対にいい線が引ける”という感覚なんですね。絵を描きながら、モチーフに連れていってもらう感じ。魚もすごく近いんです。良いお手本を見て描いたら、絵も良くなるに決まってる。虫も魚も両方好きですが、絵に描くなら絶対に魚ですね」

なぜなら虫を描く際にはきれいなラインの途中で「脚が生えている」ために、「どうしても途中で邪魔が入る」から。際限なくディテールを突き詰めたくなってしまう虫よりも、どこかで適切な距離を保つことのできる魚の方が描きやすい。それは手に持って触ることができる虫と、水中を泳ぐ魚との違いでもあるという。

浪人生の時には、釣りが逃げ場所だったという。毎日のように美大予備校に通い、ひたすら絵を描かなければならない生活の中で、時折「絵を描きたくない日」もあった。パチンコで時間を潰す金もなく、家にいるわけにもいかない。決まって向かうのは、誰もいない海の堤防だった。

「海に行って、別に釣れても釣れなくてもいいけれど、釣れたらやっぱり魚はきれいで、その色を見て勉強しているんだと自分に言い聞かせていた気がします」

海釣りする様子
人が多いために「夏の海にはあまり近づかない」という、魚介類柄のシャツを着た横山さん。それでも竿を出せば、この真剣な表情に。

釣ったカサゴの絵をスケッチして、その日の罪滅ぼしのような気持ちになっていた。あるいは「どうして絵を描くのか?」という根本的な問いに自分を引き戻すために、釣りが必要だったのかもしれない。

「買った魚と釣った魚とでは、やっぱり色が違うんです。信じられないような色の組み合わせは、今も自分の中に残っていると思う。もう20年以上も前だけど、あの日々に釣りがあったことは、とても大事だった気がしますね」

人生の機微と結びついているほど、釣りは記憶に深く刻まれていく。それは魚の大小や稀少性には関係がなく、「あの一匹の魚に救われた」という経験が一度でもあれば、きっと一生、釣りを続けることができる。

釣りと絵の入口付近で、ずっと考え続けている

横山さんが釣りを始めたのは小学1年生の時。今では上流域で釣りをすることが多い、同じ滑川の河口で、当時は豊富にいたバカガイを壁にぶつけて割ってエサにすると、面白いように釣れたという。バカガイとは、寿司ネタのアオヤギのこと。ほんの40年前までは、鎌倉の海にはもっと生き物がいた。

最初の釣り以来、多少の変化はありつつも、鎌倉近郊での小物釣りをずっと楽しんでいる。ともすると追究し、深く入り込んでしまう行為をずっと「入口」にとどまったまま続けている。

「僕も深く掘って、探究していく方に憧れるんですよ。でも憧れている時点で、違うんだろうな、と(笑)。“大人なんだから、ちゃんとした釣りをしなさいよ”みたいに言われたりもするんです。確かに、そう言いたくなる気持ちはわかる。“大人なんだから”って。でも、そんなにちゃんとしなくてもいいんじゃないかな(笑)。釣りも虫捕りも、小学生の時に好きだったことをみんなやめちゃう。絵でも同じようにずっと基礎をやっているところがあるんですね。でも、考えるきっかけはまだまだあるから」

鎌倉からほとんど遠征もせずに釣りをしているのは、まだ見たことのない魚や虫や生き物がいて、それを見尽くすことなどできないと知っているから。むしろ大人になるほどに、「自分は今、遊べている!」という思いが強くなる。

「幼い頃には、“こんな生き物は鎌倉になんていないんだ”って勝手に思い込んでいたんですよね。でも、大人になって熱心に探したら、いるんですよ。カブトムシを捕るために夜の山にも行き放題だし、川釣りから帰ってきて昼間からビールまで飲めちゃう(笑)。絶対、大人になった方がいい」

虫捕りも魚釣りも、一番面白いのは、何が起こるかわからないところ。生まれてからずっと暮らしている地元にも知らないことは山ほどある。そして、環境が流転していくのと同じように、自分自身も少しずつ変わっていく。

海から見える夕焼け
夕方、釣りをしながら暮れていく空を見た。この日は特に濃紺の海と橙の空とのコントラストが美しかった。これもまた夏の釣りの色。

人出の多い夏の海にはほとんど足を踏み入れることがないという横山さんと、夕方、海釣りをした。砂地の海底に沿って仕掛けを引きずる投げ釣りをするも、狙っていたキスのアタリはない。日没とともに空がオレンジに染まっていく。「夏休みみたいな一日でしたね」と笑う横山さん。ずっと終わらなければいいのに。釣りは、内なる子供を解放してくれる。

この日釣った魚のイラスト
この日に釣った魚を描いてもらった。婚姻色のカラフルなオイカワのオスは釣れなかったが、メスもとても美しい色合いをしている。
No.1038「釣りの入り口。」ポップアップバナー