Visit

鹿児島県・上甑島。島の小さな集落で、幻の楽器の音色に浸る

鹿児島県の西部、東シナ海に浮かぶ甑島列島。この島で、南九州に古くから伝わる民族楽器「ゴッタン」がいま、復活を遂げようとしている。その背後には、島で暮らす子供たちの成長と旅立ちの物語があった。

photo: Koh Akazawa / text: Kosuke Ide, Keiko Kamijo

眠りから醒めた弦楽器、
幻のゴッタンが奏でる切ない「島立ち」の音

「えっ、ゴッタン?う〜ん、そういえばウチにあったなあ」「子供の頃は床の間に飾ってあったけど」「友達のおばあさんが持ってるって言ってた」「あんなもの探して、どうすんの?」

鹿児島県、東シナ海に浮かぶ甑島列島の上甑島。日本三大トンボロ(砂が堆積し陸地と陸地とが繋がった地形を指す)としても有名な里集落で観光コーディネーターとして働く齊藤純子さんと、島唯一の豆腐屋兼セレクトショップ〈山下商店〉を営む山下賢太さん。同じ島に生まれた親戚でもある2人が、周囲の人々に「家に“ゴッタン”が眠っていませんか」と尋ねて回った6年ほど前、返ってきたのはそんな声だったという。

上甑島〈甑大明神〉
上甑島と中甑島の間のヘタノ串にある、甑(せいろ)の形に似た大岩を御神体とする甑大明神。「甑島」地名の発祥地とされる。

ゴッタンはその別名である「箱三味線」の通り、通常は犬や猫などの革を張る三味線の胴の部分を杉板で箱形に仕上げた木製の弦楽器である。南九州に伝わるゴッタンは、高価かつ管理の難しい皮革を使った三味線の安価で簡易な代用品として、甑の人々の間で親しまれてきた。

かつては「一家に一本」というほど普及した存在だっただけに、齊藤さんらがいくつかの家に声をかけ始めると、すぐに数本のゴッタンが集まった……までは良かったが、問題はその先にあった。これらを所有していた人々の誰一人、この楽器を実際に弾くことができなかったのだ。島においてゴッタンを演奏する習慣は、この数十年の間に完全に途絶えてしまっていた。

2人がゴッタンの存在に注目し始めたのにはきっかけがあった。甑島で2004年に始まった滞在制作型アートプロジェクトの運営に携わった彼らが音楽イベントを企画するにあたり、郷土史を記した本の中に見つけた「ハコジャミセン」の小さな写真。「自分たちの島にも音楽の文化があったんだ」と改めて気づいた2人は、「何とか復興させることはできないか」と考え始めた。

ゴッタンをかき集めると「ドミソもわからないまま」独学で数人の仲間と練習を始めた。数ヵ月間、闇雲に練習して、唱歌を一曲だけ弾けるようになったが、先に進めない日々が続く。一方で、人前で披露する機会ができると、本格的に始めたいと希望する人も現れた。齊藤さんは公民館を借りてゴッタン教室をやろうと考えたが指導者もいない。方々を訪ね回る中で、埼玉在住の津軽三味線奏者、福居一大さんに出会い、月に1度の来島による指導を手弁当で引き受けてもらえることになった。

素朴な音色に乗せて唄う
「送り出す」親の心情

教室を始めるにあたり、福居さんとともに、一度は途絶えたゴッタンの音楽そのものを改めて考え直す必要があった。「どんな“撥”で弾くのか。楽譜はどうするのか。そして、何を唄うのか」。結果、老若男女が気軽に参加できるようピックでの演奏とし、独自の楽譜を制作して、唄は沖縄民謡からアニメの主題歌までを福居さんがアレンジすることになった。 

3年前に始まった教室は全員でともに演奏する楽しさがクチコミで広がり、現在は多くの子供たちを含め、生徒数は約20名に上るが、その中に15〜20歳の生徒は皆無である。その理由は、人口3000人にも満たない甑島列島には高校がなく、島の子供たちはみな、中学を卒業すると実家を出て、鹿児島など本土で暮らしながら高校に通い始めることにあった。

「15の島立ち」と呼ばれるこの別れは、甑の人々の誰もが通る巣立ちの儀式である。そしていま、甑を離れた若者たちの多くが、その後も島に戻ることなく、島外での暮らしを選択している。

「最後のゴッタン伝承者」故・荒武タミのゴッタン
ゴッタン教室に通う山下洋子さんは「最後のゴッタン伝承者」故・荒武タミさんの使ったゴッタンを受け継いだ。

ゴッタン教室で演奏されている曲に、この「島立ち」の風習をテーマにした「島立ちの歌」という曲がある。成長し独り立つ子を送り出す親の切ない心と愛情をゴッタンの素朴で美しい響きに乗せて唄うこの曲を、数年後には「島立ち」をするだろう子たちが懸命に歌い、練習している。

「島立ちの日に海に落とした/涙の色は/陽に染まり行く/強くなれ 強くなれよと/過ぎし季節は心に染まる」
齊藤さんも山下さんも「島立ち」を経験しながら、10年以上の時を経て甑へ戻り、島の活性化に携わる数少ない若年世代だ。

上甑島〈山下商店〉の家族
〈山下商店〉山下賢太・麻由さん夫妻と娘の小稲ちゃん。

「昔はずっと、沖縄や奄美大島の人たちが地元を誇りに思うことのできる島唄のような音楽の文化を持っていることに、どこかで劣等感を感じていた」と山下さんは言う。齊藤さんも「甑の人々自身が、“ゴッタンなんて代用品のおもちゃみたいなものだ”と考えていて、そのことが残念だった」と話す。

「だけど、今は違う。色々な催しでゴッタンの演奏をすることで、島の人々の意識も少しずつ変わってきた。それに、子供たちが“島立ち”をして甑を離れても、島のことを思い出して口ずさめる唄がある。ずっと忘れないでいてくれたらいいなと思いますね」

上甑島・里集落で訪れたいスポット

島の名物が集まるショップ。

築100年を超える古民家を改築し、こだわりの自家製豆腐と地元産の土産品を販売。

御歳93歳、
島のアーティスト!

ガワシロー(河童)を見たと語る平嶺時彦さんの作品を展示するディープスポット。

travel information

甑島へは、まず東京から鹿児島空港まで飛行機で約2時間、空港から川内駅までバスで70分。さらに川内駅からフェリーなら串木野新港(バスで35分)、高速船なら川内港(バスで25分)へ向かう。上甑島の里港まではフェリーで75分、高速船で50分。

観光なら断崖クルーズが人気だ。食事は〈寿し膳 かのこ〉など、宿泊は〈山下商店〉が営む〈island Hostel 藤や〉など数軒。