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鎌倉〈トップスショップス〉。行きつけの店を持つということ

町に溶け込み、何十年も商いを続ける名店がありました。頑なにスタイルを守り、自らの目利きで揃えた商品を並べ、深い知識と愛情を持って物語る店主。ちょっと癖があってもご愛嬌。この人のオススメだから欲しくなる。

Photo: Kento Mori / Edit: Takuhito Kawashima

客の入店を断る店が、鎌倉駅近くにある。国内ではここだけが取り扱っているジェームス・ロックの装飾品やヴィンテージのボルサリーノのハットなど、店主・安斎利春さんの眼鏡にかなった、確かなものだけが店内に揃う。その名店がトップスショップスなのである。

お客だってお店を選ぶ権利はあるけど、俺だって選ぶ権利あるからね。金儲けでやってるんじゃないからさ。このカウンターに立ってるとね、「すいません、ちょっと見てもいいですか?」って来る人がいるけど、別にここは美術館でも国宝館でもないんだからさ。

俺はもう73歳なんだから商売なんてイヤだよ。少しでも長生きするために嫌なヤツは入れないで、気に入ったお客さんだけを入れるんだ。商売で儲けようなんて思ったことないから。ただ、どっか世の中にいいものはねぇかなぁって、いつもいつも考えてるね。

鎌倉〈トップスショップス〉店内
ボルサリーノやジェームス・ロックは数多く展開。ここでしかお目にかかれないヴィンテージも取り扱っている。

でもね、いいものが売れるっていうなら、みんないいもの売ってるんだよな。だけどな、いいものは売れないんだよ、あんまり。日本人がみんな喜んで買うのはやはり、商業主義なものだよね。猫には小判よりもカツオ節の方がいいんだよ。悲しいね。
ものの値打ちを知らないから。何が真実で、何が嘘で、何が尊いのかがわからない。でも頭のいい人は、この店主が言うなら間違いないかもしれない、と思って買うんだよ。

ロジェ・ケンプの言葉を知ってるか?ダンディズムを説いたドイツの哲学者だよ。「画一と平均に反抗して、差異の存在を好む」。差異ってのは、お母さん手作りのような、この世の中に一つしかないもの。そしてさっき俺が言った、「商業主義に背を向ける」。売るために作ったものだったら、いらないって言う姿勢。

そして、「品位を重んじろ」というのは、堂々としてろってこと。どんな格好をしてもいいけど、違和感のある格好はするな。いいねとか、上品だねって思われるようになれと言ってる。最後に「何よりも無意味さと単純さを好む」。これはきっと英国人を指したんだろうね。

戦時中の英国人ってのは、敵が目の前にいても、「今からティータイムなんだ!」って戦車の前でも、お茶しちゃうわけだ。これがものに動じないってことだな。紳士とはそういうもんだってことさ。

英国紳士の象徴的なアイテムのケイン
英国紳士の象徴的なアイテムのケイン(杖)。フラスコ入りステッキ¥38,000、ウサギ形のステッキ¥29,000、シルバーハンドルのステッキ¥48,000(以上ジェームス・ロック/トップスショップス)

本当にいいものってのはな、店に1点か2点ぐらいしかないんだ。何が言いたいかって?プロがいる店に出入りをしとけってこと。そうすると、良品に出会うチャンスがある。お店だって、人を選ぶんだよ。差別はしないけど、区別はする。いいものってのは、お店に並ぶことはないわけ。

でも、そういうのを買えるチャンスっていうのは、来るわけ。この前まで、純金のポケットウォッチをカウンターの近くに飾ってたんだけど、そこに飾っちゃったばっかりに、買われちゃってね。
カチャッて開けると、純金が光ってるオメガの懐中時計。裏には、“パリ・グランプリ1900年”と、シリアルナンバーが刻印されていてね。70個ぐらいしか作られてないものなんだ。

それを売るか売らないかで、お客さんとケンカになったもん。俺の宝モノだからって断ったの。2回断ったな。でも3度目に来た時に、その人が、「どうして売るつもりのないものを、ディスプレイするんですか?それを見たら、誰だって欲しくなるでしょ。いいものは売らないのか?自分のものにするんですか?」って。

鎌倉〈トップスショップス〉安斎利春

この人の言ってることは間違ってないと思って、売っちゃったよ。その人が、「絶対にあんたに損させないよ」って言ったんだけど、結果損したよね。でも俺はね、あの時計が俺にふさわしくなかったんじゃないかって思うんだ。だから俺の懐から離れていっちゃったの。結局俺ではなく、その人がふさわしかったんだよ。

本当に俺が大事にしていたら、こんなところに出さなかったかもしれない。もしかすると、時計が俺を嫌ったんだ。そう思って俺はあきらめた。時計の方が俺から逃げたんだよ。