年を取るにつけ、と書いて、最近は、年齢を重ねる、って言い回しする人、多いよナー、と語尾カタカナで思う。そして、なーにが、年齢を重ねる、じゃ、ボケ、もって回った言い方すな、アホンダラ。素直に、年を取る、って書け、ボケナス。と罵倒語もカタカナで思う。
と、そんな事を思うのは俺が、年齢を重ね、頭脳が老化して時代の変化についていけなくなった証左であろう。
で、話を戻すと、年を取る(年齢を重ねる)につけ、昔の日本人の生き方についての思いが強まるのを感じる。その際の生き方と云うは、なにも哲学的観念的なことを指すのではなく、日々の生活・暮らし(この「暮らし」という語は「年齢を重ねる」を使う人が好んで使う印象がある)の問題である。
それを最近思ったのは、例えば、夏が終わって、秋らしくなった頃で、となると丁字襯衣(ティーシャツ)や短袴(ショートパンツ)、といった夏物を洗濯屋に出し、或いは自宅で洗い、長袖襯衣(ロンT)、長洋袴(ズボン)、といった秋冬物に変換しなければならず、しかしまるで夏のように暑い日もあるので、折角、洗って畳んだ夏物を又候、引張り出して着用に及ぶ、なんてことが何度かあった。
その時、思い出したのが、そう言えば昔は、衣更え、ってのがあったなあ、という事で、俺が子供の頃は、そのシーズンの服は箪笥にしまってあり、それ以外の服は、ブリキ又は紙製の衣裳ケースに入れ、「冬服」「夏服」「合服」と書いた札を貼った上で、押し入れの下段に蔵われてあった。紙の衣裳ケースには雲のような模様が描かれて在った。父親の背広やなんかは別の、それ専用の洋服箪笥に吊してあった。
つまり季節ごとに服を入れ替えていた。つまり衣更えというのは、単に普段に着る服を替えるだけではなく、それを洗って畳んでケースに入れて蔵う、というところまでを含んでいた。マア、今でもそうしている家庭はあるかも知れないが、昔と比べれば、個々人の行動範囲が広がり、それにより所有する衣服の種類も数も増えた昨今、又、個人の美意識が伸張して、各人の好みがより尊重されるようになった昨今は、主婦がその家庭内のすべての衣服を一元的に管理するということも難しく、昔のように、「はい、今日から秋服です」という感じで、パキッ、と衣更えをすることないのではないのかナー、と俺なんかは愚考する。

現に、行く場所も少なく、大礼服もボンデージ服も持ってない俺ですら、そういう意味での衣更えということは殆どせず、なんとなくそこいらに吊したり、畳んで突っ込んである服を、適宜、取り出して着たり脱いだりして、季節の終わりに洗濯して蔵う、なんてことをしないまま、何十年も経過した外套も何着かある(ような気がする)。
なんでそうなってしまったか、と云うと右に言ったように、個人の意識や権利が伸張したからだと俺は思う。それはつまり、昔の人はマメであったが、現代の人間はずぼらだ、と云う事もできなくもないが、昔はずぼらな人も一応、衣更え、をやっていたと思われるので、一概にそうとも言えない。
じゃあなぜ昔はみんな衣更えをやっていたかと言うと、俺はそれが、行事、であったからではないか、と思う。どういうことかと言うと、みんな正月に初詣行きますよね? 夏はどっか旅行に行きますよね? ハロインに仮装しますよね。クリスマスはなんでか知らんけどチキン食べますよね? だけどそれってなんでそうしてるんでしょうか。寒い中、雑踏の中、歩いて順番待って小銭投げて何がおもしろいのでしょうか。何十キロもの道路渋滞に耐え、ヘトヘトになって辿り着いて、炎天下、どこに行っても大して代わり映えのしない観光地を歩き回って、信じられない価格の、その割にうまくもない、いやどちらかと云うと不味な料理を食して楽しいのでしょうか。なんでメリーなのか、そもそもメリーってなになのかわからないまま、「メリークリスマス!」と喝叫、空虚な盛り上がりを演出して、粉くさい揚げ鶏食って、愉快なのでしょうか。
おそらくなにもおもしろくないし、楽しくない。
にもかかわらずそれをやるのはなぜか。それはそれが、行事、であるからである。行事には楽しみはない。だけど苦しみもない。悲しみもない。ではなにが在るのかというと、それは、
世間の全員がやっていることに自分も参加して、自分が世間の一員であり、もし仮になにか大変なことが起こったとしても死ぬのは自分だけではなく、みんな一緒だ。自分だけが孤独に死んでいく訳ではない。また仮に慶賀すべきことがあった場合は、自分もその一部を分け与えられる。自分だけが除け者にされる訳ではない。
という、安心感、である。それは社会的動物と言われる人間の中に残存する動物としての生存本能のようなものである。
つまりかつて生活の節目節目に行事があったのである。
と同時にそれは合理的なことでもあった。なぜなら皆が一斉に、衣更え、を行ったり、畳上げ、を行ったり、土用干し、を行ったりする際の気温や湿度の変化はみなに均しく訪れ、それを行事としてなすことにより、衣服や畳の虫損、黴の繁殖を禦ぎ、家族の健康を守る、という実際的な利得もあったからである。しかーし。
或る時、賢人、出で来たりて白さく。
「お前らそんな因襲的な行事にとらわれてたらあかんど。もっと個人になれ。欧米を見習え。欧米はみな個人や。個人の意志を持ってるんや。そやからお前らも個人の意志を持て。みんながするからといって盲目的にしたごうたらあかん。その日、自分のやりたいことがあんにゃったらそっちを優先せぇ。映画見に行け。デート行け。正月にピザ食え。着たかったら夏に毛皮着てもええんやで。真冬に花火してもええんやで」と。
これを聞いて民衆は驚き、口々に言った。
「ええねや!」
それ以降、生活の行事は面倒事として敬遠され、生活の行事がどんどん廃れていき、その代わり、という訳ではないが、商売人が宣伝・喧伝する、実質を伴わない、晴れの行事。が増えて、しかしそれは個人が選択するから、結果的に「行事」ではなく細分化、個人的イベントに堕し、衣服に関しても、人々は不順な天候に合わせて服を出したり蔵ったりして、家庭内に散乱する衣服の山を見て苦悩している。
もちろん俺も同様で納豆臭のする様々の季節の衣服が散乱、どこになにがあるかわからぬ中、衣服の山からテキトーなのを引張り出して、外出先で大汗をかいたり、寒さに震えるなどしている。
そんな日々、俺が思っていたのは雨樋の修繕やなんかもいっそ行事にしてしまえば楽なのかな、ということ。もはや晩秋なんだけど。うくく。