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町田康『家事にかまけて』第13回:家屋の倒壊に怯えつつ

作家・町田康が綴る家事、則ち家の中の細々した、炊事や洗濯、清掃といったようなこと。

illustration: Machiko Kaede / text: Kou Machida

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柱の腐朽による家屋の倒壊に怯えつつ、二週間が過ぎた頃、俺はついに決断した。業者に電話を掛け、これを修繕して貰おうと思ったのである。という正確でない。それをさらに正確に言うと、業者に電話を掛けて修繕して貰おうと思おうと思った、ということになる。

思おうと思う、というは、どういうことかと言うと、これから思おうかなー、という思いの準備段階ということである。

と言うと、多くの人が、「なんで思うのに準備が必要なんだ。思うくらいすぐ思えばよいぢゃねぇか。愚図なのか?こいつは愚図なのか?もしそうならそんな愚図が生きていても意味がない。腐ったツブ貝を食べて死んだらいいのかも」と思うことだろう。

だが、そんなこと言わないでくんろ。一寸の虫にも五分の魂、俺がすぐ思うのに決意が要ったのにはそれ相応の事情がある。それがどんな事情だったかを一言で申し上げまするゥと、「気鬱だったから」である。

そしてなぜ気鬱だったかというと、そういう業者とかに電話をして、もし邪慳な対応をされたら心が傷つく、と思うからである。

そしてそれがある程度大きな会社組織だった場合、専門の受付の人が整備された対応マニュアルに則って、丁寧な対応をする場合が多いが、小規模な会社だった場合、叩き上げの社長みたいな人が自分で電話に出る場合が多く、しかも俺が住んでいるような田舎の場合、悪気はないのだが言葉が乱暴で、こっちが遜って鄭重に話せば話すほど、なにを言ってるかわからない、みたいな感じになり、ついには、

「わりーけどさー、お宅の言ってることわかんねーんだわー。今、忙しいから、後で掛け直すわ」

と言われて電話を切られ、二度と掛かってこない、なんてことが間間あるのである。

そこで、こちらもそういう口調、つまり飾らない口調で話せばよいのだと、俺にとってもっとも飾らない口調であるところの大阪の地の言葉、それも泉州堺あたりの口調で、

「あのやー、家の柱、腐ってもてやー……」

などと言ってみたこともあるが、その際も同じくというか、もっと話が伝わらず、最後の方はまるで怒っているみたいな口調になってガチャ切りされるという苦い経験をして、迚も嫌だった。

そんなことが度重なるうち、俺は業者に電話するのが気鬱になり、それをしようと思うことすらせず、生きてきた。その結果が網戸の崩壊であり、家屋の倒壊なのである。

しかしそんな懦弱な俺もついに思おうと思うところにまできた。そんなことではなにも始まらないのか、そこらしか物事始まらないのか、それは判らない。つまり、

a明日から働く→明日から働こうと思う→明日から働こうと思おうと思う→明日が今日になったが働かない

は退嬰的であるが、

b明日から働こうと思おうと思う→明日から働こうと思う→明日が今日になったので働く

は行動的であるからである。それはどちらかということはなくaからbに至るということが現実では起こる。と言うのは、かくいう俺がそうだからで、二週間、aの状態であった俺が、bの、「思おうと思う」状態を経て、今般、「業者に連絡をする/した」状態に至ったからである。

と言うと、俺が施工業者に電話したように聞こえるけれどもそうではない。じゃあ如何したか。結論から言うと、俺は電話ではなく、フォームを送った。という言い方は多分、間違っており、正確に言うと、特に業者に心当たりがある訳ではない俺は、ネット検索をして見つけた業者のホームページの問い合わせフォームに記入するという方法で問い合わせのメールを送ったのである。

これは俺にとって最上の方法であった。なぜなら電話を掛けて邪慳な扱いを受けて心が傷つく心配がないからである。ところが。

二日経ち、三日経ってもその業者から連絡はなかった。理由はおそらく俺が嫌われたからに違いなく、それが判って俺は、「フォームにして本当によかった」と思った。これが電話ならどれほど邪慳に扱われたか知れたものではない。

とは言うものの肝心の、業者への連絡/依頼、が果たせた訳ではなく、これまた多くの人が辿る、すなわち、b→a(の真ン中のところ)→b、という回路にばまり込んでいきそうになった。

だけどそうすると家屋が倒壊して、それはそれで迚も嫌だし、フォームという気楽な方法論を用いれば心もあまり傷つかないことを知ったので、心の駒に鞭打って、再び検索して、新たなる業者を選定、これのフォームに記入をして連絡をしたのである。そうしたところ。

その業者からは当日のうちに連絡があり、数度の遣り取りを経て、現場=腐朽した柱、を実地に見分調査して貰えることになった。

すばらしいことだ。と思ううち、その日が来て、約束の時間通りにやってきた、その業者の顔を見て俺は、「どこかで見た顔だ」と思ったら、向こうが、「実は僕、前にこの家に伺ったことがあって……」

と言った。それがどういうことかと言うと、

そう、その男は二十五年前、俺がボロ屋を安値で購入した際、なんとか人が住めるくらいにはリフォームしようということで、周旋屋に紹介して貰った工務店から派遣された現場監督であったのである。

それから幾星霜、俺は老い耄れ、家は腐朽したが、彼は見事、独立を果たし、会社を立ち上げて、一国一城の主となっていたのである。

縁は異なもの味なもの。そういうことなら此方も気楽にいろいろ相談ができ、きっと倒壊を免れることができるだろう、と、ずっと暗かった俺の心が、バアッ、と明るくなったのである。

現場を見た彼、仮の名前を名尾心太郞としておこう、名尾は、じゃあ、いついっかに大工さんを連れてきます、と素早く日程を決めて素早く帰っていった。

私は久しぶりに平穏な気持ちになり、その日はチャーハンを拵えて食べ、早寝をした。眠りに落ちる直前、「いい年をしてこんなに傷つきやすくていいのだろうか。こんなことで人生をやっていけるのだろうか」と不安な気持ちになったが、業者が決まった安心が勝って眠ってしまった。それについては今、考えないでもないが、やっていけるもなにも、もう、やってきてしまった分の方が長く、やっていけなくなったとしても死ぬだけだからマア仕方ない、と自分の中で決着をつけようと思う。これについて思おうと思わず、既に思っている。それは、それだけは間違いのないことなのだ。

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