前にも申しあげた通り、俺は仕事が行き詰まると……、というか、なにも仕事をしないうちから家事に逃避して、目の前の困難から目を背ける癖があるのだけれども、家事というのはどこまでを家事というのだろうか。マア、昔からサシスセソと言って裁縫躾炊事洗濯掃除あたりを言うのであろうが、例えば、修理、なんて言うのは家事に当たるのだろうか。
俺の子供時代、則ち昭和四十年代は、まだ男の仕事と女の仕事が峻別されていて、家事は女がするものという社会的な合意があった。なので、そんな中、母親は数年に一度、障子の張り替えをやっていたが、これは家事の部類に属すると考えることができる。その一方で棚を吊ったり、本棚を作ったり、なんてなことは父親がしていた。
ということは表具屋の仕事は家事で大工の仕事は、その範疇に非ず、ってことになるのだろうか。確かに材木を切ったり、切り口を鉋で削ったり、というのを家事というのは無理がある気がする。
しかしそれにつけても、今は男女が融合して、男女に仕事の別がない訳だから、昔、母親がしていたから、という理由でそれによって家事を定義するのはチト無理があるだろう。
じゃあ、どうやって分けるのか。そりゃあもう料理でも大工仕事でも同じで、家以外の処で、他人にカネを貰ってやれば、フツーに仕事、家の中でカネを貰わずにやれば家事、ということになるのかも知れない。
そういう風に考えると、家の保守・点検・営繕修理、なんてのはマア立派な家事で、となれば俺は仕事をしない口実を家の中にいくらでも見出すことができる。なんとなれば住み荒らした陋屋は至るところにガタが来て、至るところ修理が必要だからである。
例えば、窓を開け放った際、蚊やなんかが家の中に入ってくるのを防止するため、網戸、というものが大抵の家には設置せられてあると思うが、俺方の網戸は長年、風雨、紫外線に曝されて劣化、ボロボロに破れて垂れ下がり、風が吹くとヒラヒラ舞う、という情けない状態になり果てている。
これは見た目が情けないばかりではなく、盛夏に窓を開けられない、という不具合もあるので早急になんとかしなければならないのだが、どういう訳かこれに関しては気が進まず、網戸が垂れ下がっているのを見る度に嫌な気持ちになって、「仕方ない。仕事でもするか」と呟いて仕事に取り掛かる。
なぜ嫌な気持ちになるのか。それは現時点で俺が網戸の修理法に精通しておらず、それを修理するためにはネットを検索して解説動画を視聴するなど、学び、というものがどうしても必要になってくるからである。それが俺は面倒くさくてならない。
そもそも頭脳を削るようにして仕事をするのが嫌で、無心でできる家事をして楽しく生きているのに、なぜその家事で頭脳を使わなければならないのか。ふざけるな。という、一体、誰に対して、何に対して怒っているのかまったくわからない怒りがこみ上げてくる。
という事で仕事に取り掛かるのだけれども、そうして怒っているからうまく行かない。そこで、「こんな気持ちで仕事なんてできないよ。できる訳ないじゃん」と棒読みながら一応、言い、コンピュータの蓋を閉めて立ち上がる。

そうして歩き回る家の中は、いつの間にこんなことになってしまったのだろう、不具合だらけで、冷蔵庫が一年くらい前から製氷機が完全に壊れて始終、ゴトッゴトッゴトッゴトッ、というポルターガイスト的な音を断続的に立てている。
廊下の電球がいくつか切れていて、交換をしなければならない。雪見障子のガラスの部分が汚れて見苦しい。エアコンのフィルター掃除を百年くらいしていない。というか、普通の掃除を数日間やっていないため、床の至るところに嫌らしい綿埃が蟠っている。床そのものも汚らしい。特に流し台の前には水跳ねの跡、得体の知れない汚れが甚だしいばかりか、よく見ると飯粒や白ゴマ、虫の死骸なども落ちているのである。
あゝ、なんたる、なんたる……、
僕は嘯いて(いつの間にか俺は僕になっていた)玄関から庭に出た(その際、履いたサンダルは二十五年前に六本木のドン・キホーテで買った、甲のところに鮮やかな縞模様のある、数分、履いているだけで教養がなくなりそうなシロモノで、もう十年くらい「買い替えたい……」と思い続けているものだった)。
久しぶりにじっくり見た庭には、ところどころ花が見えたが、それらの枝や葉っぱは、ヨモギ、ツルニチニチソウ、ヘクソカズラ、ヤブカラシ、クマザサ、メヒシバなどに覆いつくされて、ほぼ見えなくなっていた。
「あかんやんけじゃん」
呟き、物置から鎌や刈り込み鋏を持ってきて、それらを刈り、また毟り始めた。もちろんこんなことは児戯に等しく、本来であれば刈り払い機という専用の機械を使ってやらないと埒があくものではない。
だが、目的が仕事からの逃避なので無心でやれさえすればいい。お酒はぬるめの燗がいい。時を忘れ、気がつくと二十分くらい没頭しており、刈った草が山になっている。これをなんとかせんといけないが、それは面倒くさいので後日のこととして、今日はもう仕事は諦めて、電球でも買いに行って、その序でにかき揚げでも買って来ようかな。
そしてそれをアホみたいな顔をして食べようかな、と思って、玄関の方へ向かったところ、玄関先へ張り出した屋根、と言うか、玄関がへっこんでいて、そのへっこんだ分が、玄関ポーチになっているところ、と言えばよいのか、そのポーチの隅に落ち葉が堆積している。これを放置すればダンゴムシ、ヤスデ、ムカデといった虫が湧く、と思い、これに近づいて、アッ、と声を上げた。
虫が居たのではない。ではなにがあったのか。あろうことか、その脇の柱、ということは屋根を支える大切な柱、の根元部分が、虫損なのか腐朽なのか、とにかく蝕まれてスカスカになり、まったく柱の役目を果たしていないことが判明したのである。
これを放置するとどうなるか。勿論、家が倒壊する。しかしこれを修理するのはもはや家事ではない。俺の日常は、家事そして仕事、この二つの事で成り立っている。しかしここにその埒外の大問題が惹起したのである。
あゝ、なんたる、なんたる……
二度、呟いて俺は、「こんな大変なことに向き合うくらいなら仕事をした方がよほどマシ」と考え、コンピュータの蓋を開いた。ということで仕事相手の皆さん、これより暫くは仕事に精出しますので宜しくお願いします。家が倒壊して押し潰れて死んだらその時は御免な。もはや盛夏だ。