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「愛って、伝えるのではなく、届けるもの」。作家・安堂ホセが選ぶ、愛の映画『ディーバ』

愛の映画を語る時、その人が理想とする愛の形が見えてくる。作家・安堂ホセさんに聞いた、愛と映画の話。

text: Jose ando

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愛って、伝えるのではなく、届けるもの

黒人女性の32歳オペラ歌手(=ディーバ)と白人青年の組み合わせが、1981年当時どれほど挑戦的だったのかをまず考えさせられる。囲み取材の場で「なぜ歌を録音しないのか?」を問われた彼女は「音楽は流れるもの 留まりません」と答えるほど自信と頑固さを持っている一方で、いつかは老いていく才能に怯えてもいる。この映画を最初に観た自分が何歳だったかは思い出せないけど、いつの肉体であっても若さに驕ることは老いへのリミットに妄執することで、彼女の心理状況は痛切なぐらいにわかるし、そんな彼女へ白人青年がしたことの意味も興味深い。はじめ男は郵便配達員(=メッセンジャー)として楽屋に出入りし、彼女に何かを届けることを使命としている。誰かから預かった手紙、花束……そのうちに犯罪に巻き込まれ、そっちに本題が逸れ、最後、忘れた頃にまた届ける。

それは犯罪映画としてみれば「敵から奪い返したブツ」であり、恋愛映画でいえば「プレゼント」でもあるカセットテープで、記録されている「密録されたディーバの歌声」を聴かせる場面が特に好きだ。愛することは、相手の美しさを、相手にそのまま届け直すことであり、相手から相手へのメッセンジャーに徹することだと学ばせてもらった。セックスは登場しない。セックス自体がいけないのではなく、自己愛の循環をサポートする主人公の姿を、というより姿そのものの印象の薄さを、ただシンプルに提示するためだと思う。

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