ジャズが“風景”として流れる映画
『白鍵と黒鍵の間に』には、池松壮亮さん演じるピアニストの南と、松丸契さん演じるサックスプレーヤーのK助が路上でセッションするシーンがあります。これは舞台となる銀座を歩きながら想像を膨らませて書いたんですが、僕はそういう、登場人物たちの目や耳にはほとんど届いてないけど、その映画の観客の印象には強く残る、“風景としてのジャズシーン”に心が惹かれるんです。
例えば、『カンバセーション…盗聴…』。盗聴のプロである主人公はサックスが趣味で、家でよく練習しているんですね。ただ、サックスなしで成立しているジャズのレコードに、無理やり自分の音を重ねているので、邪魔なんですが。それはともかく興味深いのは、彼が街を歩く場面の背景に、路上のジャズミュージシャンが映ること。彼は盗聴中なのでそちらに耳を傾けられないという状況が示されてもいるんですが、この名もなきミュージシャンがなんか記憶に残るんですよね。
監督:フランシス・フォード・コッポラ/通信傍受を生業(なりわい)とするハリーは、あるカップルの会話を盗聴する依頼を受けたことで窮地に陥る。すべてを失ったハリーが孤独にサックスを吹くラストが印象的。音楽を務めたのは、監督の義弟デヴィッド・シャイア。
同じようなシーンでも、より音として強烈なのが『インランド・エンパイア』。主人公がバーのようなところに入ると、ダンサーが踊る横でピアノレスのトリオが演奏しているんですが、サックスの音も、ガンマイクで録ったような音質も、汚くて最高なんですよ。
劇伴も重なっているので、このシーンでデヴィッド・リンチが彼らの音楽を聴かせる気がないのは明らかですが、それなのに、ラストでは女性たちがニーナ・シモンの「シナーマン」のライブ音源に合わせて踊りだし、とんでもないジャズ映画に変貌するんだから驚くしかない。今思えば、『白鍵と黒鍵の間に』のみんなでセッションするシーンは、このラストの感じを目指していたような気がします。
実際に名のあるジャズミュージシャンが登場する映画として印象に残っているのは、ミケランジェロ・アントニオーニの『夜』。作品自体の劇伴も務めているピアニストのジョルジオ・ガスリーニが、大富豪宅のガーデンパーティのシーンで、バンドと一緒に演奏しています。パーティ参列者は談笑しているので、これも“風景”と言えると思いますが、都市部のインテリ層が好みそうな音楽として、記号的にジャズを使っていて、うまいなと。
でもだからといって、アントニオーニがジャズを好きかといえば、たぶんそうじゃないと思うんですよ。5年後の『欲望』では劇伴にハービー・ハンコックを起用していますが、当時流行っていたジャズロックをまんまやらせている感じですし。劇中でヤードバーズの演奏シーンがあることも含め、たぶんアントニオーニはそのときどきでホットな音楽を自作に取り入れているだけなんでしょう。そのジャズとの微妙な距離感が、彼の面白さなのかもしれません。
日本映画でいえば、黒澤明の『天国と地獄』に大好きなシーンがあります。仲代達矢さんたちに尾行される山㟢努さんが、食堂のようでもありクラブのようでもある謎のお店に入ると、ビッグバンドによるラテンっぽいジャズが流れるんですよ。劇伴なのかお店の中で誰かが演奏しているって設定なのかはよくわからないんだけど、この音がまた汚くて。
監督:黒澤明/製靴会社に勤める権藤の元に、「息子をさらった」と電話が入る。身代金目的のその犯人が間違えて誘拐していたのは、権藤ではなく彼の運転手の息子だった……。原作はエド・マクベインの小説『キングの身代金』。
音楽を手がけたのは佐藤勝ですが、『天国と地獄』をはじめ60年代の日本映画では、現代音楽家にジャズを作らせるパターンが結構あって。同時代のホットな風俗として求められたんでしょうけど、ことごとく“間違ったジャズ”って感じで、面白いんですよ。“風景”って話からは少し逸れますが、佐藤勝と武満徹が連名でクレジットされた『狂った果実』の冒頭なんてすごいですよ。
監督:中平康/戦後日本において、大人のモラルに反抗する若者を題材にした“太陽族映画”の一つ。美しい人妻をめぐる、若い兄弟の苛烈な争いが描かれる。石原慎太郎の同名小説が原作であり、彼の弟、裕次郎の実質的なデビュー作。
バックはビッグバンドなんだけど、手前では酔っ払いがサックスを吹いているみたいな感じですから。「こんなもんだろ?」っていう不実さがあって、たぶんライブで聴いても面白くありません。でも逆に言うと、ライブでも楽しめるジャズをそのまま映画に使っても、馴染まないんですよ。単体で成立しているから。その意味で、『天国と地獄』や『狂った果実』は、映画と音楽が挑発し合うような、理想的な関係が築けていると思います。
ジャズのすごいところは、雑踏の中でプレーヤーの顔が見えないまま耳にしても、ジャズだとわかるところ。だから、これらの映画のようにうまく使うと、“風景”であっても観客に違和感やインパクトを残すことができるんだと思います。
ジャズと映画の100年を駆け足で総ざらい
1927
『ジャズ・シンガー』が公開され、世界初の長編有声映画として話題を集める。
1930
エックスフレーム』にルイ・アームストロングが本人役として初の映画出演を果たす。以後、『グレン・ミラー物語』('54)、『上流社会』('56)など、彼は晩年に至るまで数々の映画に出演。『ニューオリンズ』('47)ではビリー・ホリデイとも共演している。
1954
グレン・ミラーの伝記映画『グレン・ミラー物語』が公開。ミラーは俳優としても活躍し、スウィングジャズ全盛期のコルネット奏者レッド・ニコルズの半生を描いた『5つの銅貨』('59)などに出演している。
1957
モダン・ジャズ・カルテット(MJQ)が音楽を務めた『大運河』公開。のちに、同音楽はMJQによって『たそがれのヴェニス』としてリリースもされた。
1958
マイルス・デイヴィスが即興で音楽をつけた『死刑台のエレベーター』が公開される。
1959
『危険な関係』でセロニアス・モンクやアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズの音楽が採用される。
1961
『パリの旅愁』の音楽をデューク・エリントンが担当。同年、ジャン=リュック・ゴダール監督の『女は女である』の音楽をミシェル・ルグランが務める。ルグランはこの後、ジャック・ドゥミをはじめヌーベルバーグの監督たちとのコラボレーションを多く行った。
1962
ポーランドジャズ界を代表するクシシュトフ・コメダが『水の中のナイフ』の音楽を手がける。本作の脚本を務め、のちに映画監督デビューするイエジー・スコリモフスキも元はジャズドラマーだった。
1966
ソニー・ロリンズが音楽を担当した『アルフィー』が公開。
1970
日野皓正クインテットが『白昼の襲撃』の音楽を担当。監督を務めた西村潔は、モダンジャズ愛好家として知られ、同年の『豹は走った』では佐藤允彦、『ヘアピン・サーカス』('72)では菊地雅章を起用している。
1974
異色のジャズミュージシャン、サン・ラーが、監督・脚本と音楽を務めた『サン・ラーのスペース・イズ・ザ・プレイス』を発表。
1986
筒井康隆の同名小説に基づく『ジャズ大名』の音楽を、山下洋輔が手がける。山下は同じく筒井原作の『ウィークエンド・シャッフル』('82)でも音楽を担当。同音楽では筒井がクラリネットで参加。
1987
『ラウンド・ミッドナイト』('86)の音楽を手がけたハービー・ハンコックがアカデミー賞作曲賞を受賞。ハンコックはほかに、『狼よさらば』('74)など数多くの映画音楽を手がけている。
1988
チャーリー・パーカーの伝記映画『バード』公開。監督はジャズピアニストとしても活動するクリント・イーストウッド。同年、イーストウッドはセロニアス・モンクのドキュメンタリー『セロニアス・モンク ストレート・ノー・チェイサー』で製作総指揮を務めている。
1989
写真家のブルース・ウェーバーが監督を務めた、チェット・ベイカーのドキュメンタリー『レッツ・ゲット・ロスト』が公開。ベイカーには伝記映画『ブルーに生まれついて』('15)もある。
1990
スパイク・リーが架空のジャズミュージシャンを主人公に据えた『モ'・ベター・ブルース』を監督。音楽はビル・リーとブランフォード・マルサリスが手がけた。
1991
ビックス・バイダーベックの伝記映画『ジャズ・ミー・ブルース』が公開。音楽監修はボブ・ウィルバーが担当。ウィルバーはジャズミュージシャンをめぐるサスペンス『コットンクラブ』('84)でも音楽を監修している。
ウィリアム・バロウズの同名小説を原作にした『裸のランチ』の劇伴にオーネット・コールマンが参加。
2005
菊地成孔が『大停電の夜に』で初めて映画音楽を手がける。
2014
ジャズドラマーを題材にした『セッション』が公開。自身もジャズドラマーを目指していたデイミアン・チャゼル監督は、その後も『ラ・ラ・ランド』('16)、『バビロン』('22)など、ジャズをテーマにした作品を作っている。
2016
ジョン・コルトレーンのドキュメンタリー『ジョン・コルトレーン チェイシング・トレーン』が公開。
2019
『マザーレス・ブルックリン』の音楽にジャズ・アット・リンカーン・センターの芸術監督を務めるウィントン・マルサリスが参加。
2020
ジョン・バティステが音楽監督を務めたピクサーアニメ『ソウルフル・ワールド』が配信開始。同年、バティステと同じく新世代のジャズプレーヤーを代表するカマシ・ワシントンはミシェル・オバマに密着したドキュメンタリー『マイ・ストーリー』、ロバート・グラスパーは『フォトグラフ』の音楽をそれぞれ手がけた。