21世紀の国産時計初のクロノメーター取得機誕生
2024年5月31日の夜、SNSに、これまであまり見かけなかったブランドの時計が大量に投稿され、時計マニアが沸き立った。ハッシュタグは#TAKANOや#タカノ。
1957~62年のわずか4年11ヵ月しか存在せず、幻ともいわれてきた国産時計ブランド〈タカノ〉がこの日、鮮やかに復活を遂げたのだ。ファーストモデル「シャトーヌーベル・クロノメーター」を製作したのは、2023年の本誌996号別冊でも紹介した独立時計師、浅岡肇が代表を務める〈東京時計精密〉である。
浅岡は、プロダクトデザイナーやCG制作者として活躍したのち、時計製作を独学で開始。今や選ばれし三十数名の精鋭だけが所属する国際組織〈アカデミー独立時計師協会〉(AHCI)会員の一人であり、ほぼすべてのパーツを自作する稀有な時計師として世界的に名が知られた存在。
2016年、〈東京時計精密〉を設立し、個人名義の作品製作と並行して、デザイナーに立ち返った量産品の製造にも乗り出した。19年に立ち上げたグローバルブランド〈クロノ ブンキョウ トウキョウ〉の時計は、浅岡の知名度もあって最初から反響が大きく、これまで発表すれば即完売というほど人気を博してきた。

量産ブランドを起こした理由を浅岡は、2023年の本誌インタビューで「注文に追われて、自分が着ける時計が作れないから」と、語っていた。しかしその裏には、ほかのアジア諸国との価格競争のために活躍の場を奪われてきた日本の工業技術を、高級商材である時計に注ぐことで地位を向上させ、またその優秀さを世界にアピールしたい、との思いがあった。
だから〈クロノ ブンキョウ トウキョウ〉のケースやダイヤルは、浅岡が信頼する国内専門メーカーに注文し、ムーブメントにはシチズンのグループ会社が製造する〈ミヨタ〉を採用してきた。そんな日本の技術を海外にアピールする次の矢が、この幻の国産時計ブランドの復活劇だ。
名古屋に本社があった〈タカノ〉は、いち早くスイス製の優れた工作機械を導入しつつ、また当時の〈ハミルトン〉と技術提携して高性能なムーブメントを製作していた。しかし拠点を伊勢湾台風が直撃。甚大な被害から立ち直れず、1962年当時、理研光学や西銀座デパートを展開する三愛グループに買収され、リコー時計(現リコーエレメックス)として再出発することとなった。
機械をチューンナップし、難関の精度試験に挑む
浅岡はこの〈リコーエレメックス〉と交渉して商標を借り受け、また当時の技術者にインタビューして、復活の準備を進める。そして〈タカノ〉が掲げていた“世界的高級時計”というコンセプトを受け継いだ。そのための手段として、公的機関が検査して高精度を認証する「クロノメーター」の取得を目指す。
その検査機関は、広く知られるスイスのCOSCに加え、ジュネーヴのタイムラボ、ドイツのグラスヒュッテ天文台、フランスのブザンソン天文台があり、どこも検査方法と合格の基準値はおおむね同じだ。その中で他国製の時計の検査を受け付けるのは、ブザンソン天文台だけ。
かつ合格するのはCOSCよりもはるかに難しい。なぜならCOSCはムーブメントのみで検査するため、精度が得やすい軽い仮針が使えるが、ブザンソン天文台では製品として完成した状態で検査を行うからだ。
浅岡の指示の下、〈東京時計精密〉の技術者たちは〈クロノ ブンキョウ トウキョウ〉で扱い慣れ、性格やクセを熟知したミヨタムーブメントを調整しつつ、一部のパーツをチューンナップし、ブザンソン天文台に挑んだ。輸送には特注の耐磁ボックスを用い、万全を期したが、最初に送った10本の中で、合格は3本だけ。現在はコツをつかみ、合格率は上がったが、それでも6割ほどだという。
「シャトーヌーベル・クロノメーター」の自動巻きローターの左上に刻まれる“テット・ドゥ・ヴィペール”(蛇の頭)と、ダイヤルにも掲げる“CHRONOMETER”の表記は、平均日差がマイナス4~プラス6秒という高精度であることの証し。
円と4つの直線とで区切ったボンベ状のセクターダイヤル、スカイスクレーパー形の針、ドーム形風防といったレトロモダンなデザインは、いかにも浅岡らしい。そのファーストロットの発売が予告されるや、いきなり販売予定数の10倍を超える申し込みがあったという。〈タカノ〉は“世界的高級時計”として、新しく順調な船出を切った。