“好き”を形にした、唯一無二の片山ワールド
10年前には、誰も予想だにしなかったはずだ。東京の小さな工房で作られた腕時計が、スイス・国際時計博物館に所蔵される日が来ることを。2023年、その栄誉に輝いたのは〈大塚ローテック〉の「7.5号」だ。また今年は世界的に有名な「iFデザイン賞」にも輝いた。
そのデザインは、ご覧の通りいかにもユニークである。ゴールドやプラチナは使われずダイヤなどの宝石に彩られることもない。一般的な腕時計のようなダイヤルはなく、3つの丸窓で時・分・秒を示す仕組み。

ケースの前面から突き出た各窓は、大きさと高さがそれぞれ異なり、プレートで繋げたような造作は、古いムービーカメラにあったレンズを切り替えるターレットを想起させる。左上の拡大鏡がはめ込まれた窓は、毎正時にカチリと数字が切り替わるジャンピングアワー、ほかの2つの窓はディスク式の分・秒の各表示と、メカニズムもかなり凝っている。
機構もデザインも独創性に富んでいることこそが、スイスの博物館、そして国際的なデザイン賞に選ばれたゆえんである。時・分ダブルレトログラードの「6号」もまた、昔のオーディオやテスターのメーターのようで「7.5号」の世界観に相通じるだけでなく、メカニズム的にもマニア好みだ。
グーグル先生を頼りに、独学で時計製作に着手
その作り手は、関東自動車工業のデザイナーを経て、フリーのプロダクトデザイナーとして活躍していた片山次朗。彼は、たまたまヤフオクで卓上旋盤を落札したことをきっかけに、「自分でも作れるかも」と、時計製作に着手した。
まずは自分好みのケースを削り出しで作り、やがてメカニズムにも興味が湧き、必要な工作機械を次々と中古で購入していった。機構の設計やパーツ製作の教本となったのは、なんとグーグル。
そして2012年、自身でも満足できる、スモールセコンドの上下にディスク式の時・分の各表示窓を並べた「5号」(現在は生産終了)が完成したことを機に〈大塚ローテック〉を設立し、ネットでの販売をスタートした。
そして15年、「6号」を発表すると、ダブルレトログラード機構とやや荒々しい計器然とした外観、そして漢字表記によるレトロな昭和感が、時計マニアの目に留まった。ブランド名にある通り、大塚の小さな工房で、一人手作りしていた腕時計は、年を追うごとに人気が高まり、ウェイティングリストができるほど、注文が殺到するようになった。
20年にはジャンピングアワー+ディスク式分表示の「7号」が、それにディスク式秒表示を追加した「7.5号」が翌年に完成。これまた評判を呼び、片山はひたすら製作に追われる日々を送ることとなる。
「時計で食べていけるのだから、このままでもいいか」──そんな思いを抱いていた23年、後述する〈東京時計精密〉を率いる独立時計師の浅岡肇(はじめ)が、救いの手を差し伸べた。彼のスタッフが「7.5号」を購入し、それをきっかけに同社を訪れた際、浅岡は「うちに一部、製造を任せてみない?」と片山に声をかけたのだ。
さらに「そうしたら設計に時間を割けるよ」とも。片山はこれを快諾。〈東京時計精密〉の技術者たちと協業で、組み立てを行うようになった。結果、過去10年間の総計で約400本だった生産数が、月産25本ほどまで増えた。また個人規模では少量すぎて注文できなかったケース用の高級ステンレスSUS316Lやサファイアクリスタルが〈東京時計精密〉を通じて買えるようになり、外装素材がアップデートできた。
さらに創作の時間が取れるようになった片山は、「6号」と「7.5号」をより信頼性が高まるよう、改良。新たな機構の開発にも着手し、25年には国産時計にはかつてなかった仕組みを持つ「5号改」を発表予定だ。
唯一無二な片山ワールドの源泉は、彼が好む日本の高度成長期を支えた工作機械や工具、メーター類。一部屋だけの小さな工房は、そんな片山の“好き”に満ち溢れている。

「使い道がない工作機械も、見た目がカッコいいと、つい買っちゃうんですよね」と話す笑顔は、まるで少年のよう。好きなものに囲まれ、それらに刺激されて自分好みの時計を生み出す。その時間が取れるようになった片山は、浅岡から背中を押され、完全オリジナルのムーブメント開発にも、取り掛かろうとしている。
新機構のアイデアは既にある。〈JIRO KATAYAMA〉銘の作品が世界デビューを果たす日は近い。
