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スイス時計産業の中枢で活躍する、ある一人の日本人の話

世界最大の新作時計見本市『ウォッチズ・アンド・ワンダーズ』。60もの名だたるブランドがひしめき合う会場に、とある日本人の姿が。どうやら世界のバイヤーや関係者を集めるこの祭典でも、専門家たちからひときわ注目を浴びる存在のようで……。

photo: BRUTUS

〈ジャガー・ルクルト〉のブース前で静かに微笑む彼、浜口尚大さんの肩書は、同ブランド開発部門ディレクター。スイスの時計メゾンで組み立てや修復を担う日本人は、いる。しかし名門の中枢で設計に携わる例は、自身も「僕以外は、知りません」という唯一の存在だ。

正確にはスイスに移住し、既にその国籍を取得した身である彼は、山口・下関で育った。漠然ともの作りと職人に憧れていた高校生の頃、雑誌でスイスの時計師という存在を知る。

「同じページに時計学校のパンフレットの写真が掲載されていたんです。それを見てスイスに渡りました」

当時、19歳。まずヌーシャテルの語学学校に2年通った後、ジュウ渓谷の技術学校で時計を学ぶ。次にル・ロックルの学校で修復を学んでいた時期に、運命の出会いが訪れた。

大手メゾン傘下の高級ムーブメント会社〈ルノー・エ・パピ〉で6週間の卒業研修を終えた際、スカウトされたのだ。同社はさまざまなブランドに複雑機構を提供しており、現社名は〈オーデマ ピゲ ル・ロックル〉。そのトップであるジュリオ・パピは、今の時計界を代表する設計者の一人でもある。彼は、この青年の才能をいち早く見抜いた。

「ジュリオさんが、僕にとっての設計の師匠。多くのことを学びました」

4年後に大手メゾンに移り、やはり4年勤めた次に選んだのは、ムーブメント会社〈ヴォーシェ・マニュファクチュール・フルリエ〉だった。プロトタイプの研究から関われることに惹かれたという。同社では7年間を過ごし、最終的に開発部門のトップ兼副社長に昇進。

ここまでの実績を買われ、いよいよ〈ジャガー・ルクルト〉から声がかかった。「ムーブメントだけでなく最後の完成品まで関わってみたい」との思いからその誘いに応えるが、入社前は、この名門が備えている本当の力を知らなかった、という。

綺羅星のようにトップメゾンが並ぶこの会場でも、専門家たちからひときわ注目を浴びる存在だ。

「同じ敷地に180以上の職種が集結していて、時計に関するほぼすべてが社内で賄える。人材も設備も潤沢で、開発力は群を抜いています。新しいムーブメントを年に複数リリースするなんてこともほかでは難しいでしょう。デザイナーの権限が強く、彼らが望むデザインが叶うよう、ムーブメントや外装の設計変更も何度も繰り返します」

これまであまり経験がなかった外装設計も新たに担当するようになった。新作「レベルソ・トリビュート・ジオグラフィーク」では、背面のワールドタイマーにいかに違和感なくサファイアクリスタルを取り付けるか苦労したそう。

働く地としてスイスはどうだろう?

「移民を多く受け入れてきた国だから異文化に対しても寛容ですね。日本人でも馴染みやすい環境と思います」と話しつつ、今やフランス語の方が日本語より堪能なほど馴染んでいる彼は、サッカーなら欧州トップリーグの名門クラブで司令塔を担っているようなもの。日本人初となる、その道は拓(ひら)かれた。夢を持って次の世代も後に続け!

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