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ジャズとオーディオの聖地〈BASIE〉、51年目のちょっと長い小休止

世界のジャズファンやオーディオマニアが憧れ、カウント・ベイシーはじめ多くのジャズジャイアンツも訪れた岩手・一関のジャズ喫茶〈BASIE〉が、その扉を閉ざしてからはや1年9ヵ月が過ぎようとしている(2021年12月時点)。コロナ禍から始まったちょっと長い小休止(フェルマータ)。ドキュメンタリー映画『ジャズ喫茶ベイシー Swiftyの譚詩(Ballad)』を撮った星野哲也さんは、その意味を確かめるために一関へと向かった。

初出:BRUTUS特別編集 完本「音楽と酒。」(2022年2月15日発売)

photo: Masanori Kaneshita / text: Kaz Yuzawa

菅原さんが自己流を貫いたから、〈BASIE〉は〈BASIE〉になった

岩手・一関のジャズ喫茶〈BASIE〉のオーナーマスター・菅原正二さんは、東京でバー〈酒肆ガランス〉を営む星野哲也さんが師と仰ぐ人。〈BASIE〉のドキュメンタリー映画を撮影していた時期には毎月のように訪れていた星野さんだが、コロナ禍もあり今回はほぼ1年ぶりの再訪となる。

〈BASIE〉の分厚い二重扉を開けると、カウント・ベイシー・オーケストラのサウンドが以前と変わらないものすごい音圧で、大柄な星野さんの全身に音魂のようにぶつかってくる。菅原さんが1年9ヵ月ぶりに店を開けてくれたのだ。

岩手〈ジャズ喫茶 BASIE〉店内
米JBL社の社長が全役員を引き連れて、その音を傾聴しにきたスピーカーシステム。菅原さんによるレコード演奏が始まると、目の前にあたかもジャズメンが立ち現れたかのように、音像がクッキリと浮かび上がる。

星野哲也

お店を休業してから、もう1年9ヵ月も経つんですね。

菅原正二

そうだよ。だから今日は久しぶりにお客が来るっていうんで、どのくらい鳴るか、テストの意味もあってドンパチやってたところ。

星野

道理で大人げなくって言っては失礼ですが、ビッグバンドがドカドカかかっていたんですね。

菅原

今日は大人げなくかけてやろうと思ってたからな。店を休んでる間は独りしみじみかけてるから、今日は派手にいくことにした。

星野

閉めている間も、菅原さんはお店に来ているんですよね。

菅原

ここで駄文を書いてるよ。

星野

お客さんが入っている時と独りで聴く時では何か違いますか。

菅原

そりゃ通常営業とは違うよ。独りでばかげた音量で聴いて何が面白いんだって。独りの時はまともな音量で聴いてますよ。

星野

通常営業の場合はある意味、お客さんのためにドーンと鳴らしてたということですね。

菅原さんが考えるジャズ喫茶のあり方

星野

最近、東京でも再びジャズ喫茶が増えているんですが、そもそもジャズ喫茶とはどこまでがジャズ喫茶なんでしょうね。ジャズが流れていて酒やコーヒーが飲めればジャズ喫茶というわけはないですよね?

菅原

それは必要条件だな。十分条件は、ジャズが主役であるということ。あくまで主役はジャズであって、ジャズを聴いていたら酒やコーヒーが飲みたくなるのがジャズ喫茶。

星野

ああ、それは腑に落ちます。

菅原

タバコが喫えたらもっといい。でも、これからは逆の店が主流になっていくんだろうな。石山さん(修武/菅原さんと親交の深い建築家)に言わせれば、俺や〈BASIE〉はもはや化石らしいし(笑)。

星野

いや、みんな憧れてますから。

菅原

俺なんかSP盤みたいなもんだよ。ただSP盤にはSP盤の魅力があって、例えば当時のグレン・ミラー楽団なんかは、SP盤で聴くとホントに素晴らしい。

星野

当時のボーカリストは広いホールで歌う歌い方をしていると、あるミュージシャンが言っていました。現代ではコンサートホールの音響が整備されているから、ボーカリストはホールを選ぶんだって。

菅原

当時のボーカリストは広いホールで歌う歌い方をしていると、あるミュージシャンが言っていました。現代ではコンサートホールの音響が整備されているから、ボーカリストはホールを選ぶんだって。

星野

あわわ、すみません(汗)。

菅原

星野が撮った映画でもひどい目に遭ったからな。あれは星野が撮りたいように撮った映画で、俺が伝えたいようにはなってないんだよ。

星野

すみません、でも僕の中には菅原さんにはこうあってほしいという像がちゃんとあって、その像を彫刻刀で一彫りずつ、魂込めて彫っていったようなものなんですよ。

菅原

だから、その像が間違ってるんだって(笑)。俺は星野が思ってるようなものじゃないんだよ、もっとアホ。俺はここでジャズ喫茶をやってきただけ。星野は自分の思い込みで描いたけど、でも、肝心のカウント・ベイシーや野口久光先生のことが抜け落ちてる。あの映画を観てると、〈BASIE〉がまるで前衛の店みたいに感じるんだよ。

星野

うっ、それはたしかに。ジャズ喫茶というよりライブハウスみたいに感じちゃうかも。

菅原

ライブで誰が来たとか言っても、それはニューヨークのライブハウスに敵わないだろ。ここはレコードを聴く店で、ライブはたまのお祭りでやってたわけ。それにしてはすごいメンツが来てたっていうのはあるけれど、ここの本質はレコード、ジャズ喫茶なんだよ。ジャズ喫茶としてなら本場ニューヨークとだって闘える。ジャズ喫茶は世界に誇れる日本の文化なんだから。

星野

最近スウェーデンや台湾、韓国あたりにチラホラできてますが、ホントに海外にはないようですね。

菅原

コロナ前には世界中からうちに見学に来てたから、そのうち抜かれかねないゾ。

星野

でも今、なぜジャズ喫茶なんでしょう。

菅原

それは時代の都合で、生のテンションが下がってるからじゃないのか。昔のジャズは生演奏が圧倒的だったから、生の代替としてレコードを聴いていた。それが今は逆転してしまって、レコードにジャズの醍醐味を求める人が増えているということだと思うよ。

星野

たしかにヒリヒリするような生演奏は少ないかもしれない。

菅原さんが独り静かにかけるレコードとは

星野

独りの時にはどんなレコードをかけているんですか?

菅原

どんなって、いろいろかけてるよ。でも星野は俺のことを知りすぎてるから、俺のインタビュアーには向いてないんだよ(笑)。

星野

いやいや、そうおっしゃらずにお願いしますよ。1年9ヵ月ですからそれはいろいろだと思いますけど、そこを伺いたいんですよ。やっぱりジャズなんですよね?

菅原

ジャズもかけるし、聴きたければ何でもかけるさ。

星野

じゃあジャズ以外だと?

菅原

例えば(アルトゥーロ・)トスカニーニ。俺に言わせればあれもジャズだけどな。テンポがいいだろ。

星野

トスカニーニは“精密機械”といわれた名指揮者ですね。

トスカニーニ指揮NBC交響楽団『Otello』レコードジャケット
トスカニーニ指揮NBC交響楽団のヴェルディのオペラ『Otello』全曲。大迫力。

菅原

昔よく聴いてたけど、今聴くとまたすごくいいんだ。

星野

でも交響楽団ですから、どちらかというと大音量向きですよね。菅原さんが独り静かに聴くジャズも知りたいんですけど。

菅原

そんなこと知りたがるのは星野ぐらいだよ(笑)。

星野

そんなことありませんって。以前、菅原さんには毎日必ずかけるレコードがあるという話を聞いたことがあるんですが、それは閉めている間も変わらずですか?

菅原

それは変わらない。店を開けていた時から、俺はその日かけたいレコードは最初にはかけない。

星野

それはまたなぜですか?

菅原

まず、俺自身の気持ちをシャンと調えるためにほぼ毎日同じレコードをかける。例えば、マイルス(・デイヴィス)の『Someday My Prince Will Come』のA面。演奏もいいし録音もまともだから、その日のオーディオの調子を見る意味もあってかける。

星野

なるほど。

菅原

このレコードは俺が学生時代に買ったレコードで、50年以上ほぼ毎日かけているけど、一向にヘタらない。正しくかけていればレコードはもつんだよ。「すり減るほど聴いた」というのはSP盤時代の名残であって、これでLPレコードの溝が摩耗するというのは迷信だと立証できたと思ってる。あと、実はもう一つ、言えない理由もあるんだけどな。

星野

言ってください(笑)。

菅原

しょうがないな。星野だからバラすか。店を開けているとどうしたって埃や塵が舞うだろ。それは客が帰った後も静かに降り積もる。当然ターンテーブルにも落ちているから、翌日1枚目にかけるレコードの裏面の静電気を利用して、ターンテーブルの掃除をするんだ。だからその『Someday My Prince Will Come』は、絶対にA面しかかけない。B面は積年の埃でバリバリだから。

星野

B面のリクエストが入ったらどうするんですか?

菅原

うちには同じレコードが何枚もあるからダイジョーブ。B面用のレコードは別にある。

星野

そうか、失礼しました。

菅原

言ってしまえば、世の中に同じものなんて一つもないんだよ。レコードだってプレスの違いだけじゃなくて、同じプレスでも最初にプレスされた一枚と最後の一枚では溝の状態が違ってくる。レコードをプレスするために使うスタンパーは、一枚プレスするごとに少しずつ摩耗していくんだから。だから俺は、何枚も聴き比べてベストを選ぶ。

星野

はい。

菅原

それはレコードに限らず、レコード針もカートリッジもターンテーブルもアンプもスピーカーも、工業製品すべてに言えること。だから俺は一回試していいとかダメだとか、合うとか合わないとか判断しない。レコード針を100本試して使えるのが4、5本しかなかったなんて経験もあるくらいだから。

星野

そうやって〈BASIE〉の音を守ってきたわけですね。

菅原

ただそれは俺が細部にこだわりすぎるせいなので、人に勧めたりはしない。“神は細部に宿る”というだろ。その一方で豪放磊落さも同時に必要だと俺は思ってる。でもそこはもはや個人の問題。ただ、世の中に同じものなんてないということは、知っておいた方がいい。

星野

ありがとうございます。

菅原

話を戻すと、(ジョン・)コルトレーンの『Settin’ The Pace』のA面なども同じ理由でよくかける。

ジョン・コルトレーン『Settin’ The Pace』レコードジャケット
コルトレーンの『Settin’ The Pace』は名盤『Soultrane』と同じメンバーで。

菅原さんが考える音楽の楽しみ方

星野

ジャズ喫茶復活とともに、レコードも見直されてますね。

菅原

残念なことだ。俺は自分なりのスタイルで聴けばいいと思ってるんだよ。スマホからワイヤレススピーカーに飛ばして鳴らすのもいいじゃない。どこでも聴けるしさ。今どき、こんな大袈裟な装置で聴けっていう方に無理がある。俺だって面倒くさいと思ってるくらいだから(笑)。

星野

CDが台頭してきた頃はどうだったんですか?

菅原

あれは悪い冗談だと思って目もくれなかったな。コンパクト・ディスクという名前からして、プアだと思った。

星野

まったく興味がなかった?

菅原

そう、いまだに興味がない。よくレコードの音は温かいとか優しいとか言うけれど、そんな甘っちょろいもんじゃないんだよ。うちの音を聴けばわかるけど、レコードの音は過激で乱暴な音。それにLP片面の20分前後という録音時間がジャズにはちょうどいい。A面もB面もCDにはない。

星野

アハハ、なるほど。

菅原

でも、俺は自分の音以外には無責任なほど寛容だから、基本的にみんな自己流でいいと思ってる。好きな音楽を好きに聴けばいいじゃない。その自己流を貫けばそれがその人のスタイルになるわけだから。

星野

その自己流を貫くというのが難しいんです。

菅原

自分が心地いい状態にすればいいだけのこと。そのためには失敗する度胸と撤退する勇気。やりすぎだと思ったら素直に撤退すればいい。そうやっているうちに気づくんだよ、完成形なんてないってことに。

岩手〈ジャズ喫茶 BASIE〉外観
「いつまた開くかだって?世界が決めてくれるよ」──菅原正二