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糸井重里が紐解き。元・任天堂社長、岩田聡の仕事とことば

数多くの名作ゲームを生み出した天才プログラマー、任天堂の代表取締役社長に42歳で就任……。岩田聡という男は、紛うことなき傑人だった。しかし、やる方ないことに、彼は2015年に急逝してしまう。それから4年。岩田さんが遺したことばを丁寧にすくい上げた一冊の本『岩田さん』が刊行された。この『岩田さん』をビジネス書として捉え、「一番長い時間一緒にいた友達」と言わしめるほどの懇親を結ばれた糸井さんに、紐解きを仰いだ。

初出:BRUTUS No.900真似のできない仕事術』(2019年9月1日発売)

photo: Kaori Ouchi (Book) / text: Tomonari Cotani

岩田さんは、ちょっとしたことでも疑問に感じると、「どうしてそうなるのか」を解決しようとする人でした。そして、まったく考えたことのない新しい疑問にぶつかると黙ってしまうんです。会話の途中でも「聞こえてないのかな?」っていうくらい、ふっと黙って考え始めます。

「自分が知っていること」と「その時の疑問」がつながるかどうかを、一生懸命確かめて整理していたのだと思います。そうやって因果関係を突き詰めるところはいかにも理系っぽいといえるし、棋士に近いといえるかもしれません。手はいくつもあって、それを探しているともいえるので。

本当にわからないことはぐるぐる歩きながら考える

その場で答えが出ないような大事なことやまったくわからないことは、家に持ち帰って考えることもあったそうです。宮本茂さん(現・任天堂代表取締役)から聞いたのですが、話をしていると、腑に落ちない感じのまま帰ってしまうことも時々あったそうです。黙ったまま「ちょっと怒ったのかな?」という感じで帰ってしまい、週明けに「わかったんですよ!」と言ってくるという(笑)。

僕との話は雑談程度なのでちょっと黙るくらいでしたが、会社の経営をしていると、週末、家でじっくり考えなければならないほどの「大きな問い」に、たびたび遭遇したのだと思います。そこは、規模こそ違えど同じ経営者として理解できます。

ちなみに岩田さんの奥さんが言うには、本当にわからないことを考えている時は家の中を熊みたいにぐるぐる歩き回るそうで、そうなると、「また始まった」ってことで放っておくのだとか。おかしいのは、そのクセが息子さんにも遺伝して、2人でぐるぐる家の中を歩くことがあったそうです。このエピソード、大好きなんです(笑)。

現在から仮説を立てて未来を見ていた

僕と岩田さんの違いをあえて挙げるなら、僕はなにかに共感したら、その未来から現在を見る傾向があるのに対し、岩田さんは、今いる現在から仮説を立てて、未来を見ていた気がします。『岩田さん』の中でも、「自分がなにかにハマっていくときに、なぜハマったかがちゃんとわかると、そのプロセスを、別の機会に共感を呼ぶ手法として活かすことができますよね」ということばを取り上げています。

僕自身、とてもいいものに触れた時は、ただ大喜びしている自分と「なんで喜んでるの?」という自分が暴れ回るのですが、岩田さんは、とりわけ後者が強かったのだと思います。「わー、いいですね!」なんて言いながら、「それはこういうことですか?」ってすぐに始まりましたからね。

現在と未来ということでさらに言うと、わからなくても先へ進み、振り返るとわかっている時が僕にはあるのですが、岩田さんにもそういう面がありました。理系の人はモックを作りますからね。そのアイデアが世界に投入された時に、どういう影響があるかをつかみきらずに進む。そうした部分は似ているなぁと思っていました。

そういえば、「プログラマーはノーと言ってはいけない」という以前の発言が、独り歩きしてしまったことをずっと気にしていました。本来は、プログラマーができないと言ったら、せっかくのアイデアがかたちにならないし、次の新しいアイデアも出しにくくなる、という意味合いだったのに、「プログラマーはノーと言うな!」というふうになってしまいましたから。でも、ことばは独り歩きするんです。一つ言ったらその分の「面積」を、言わなかったことばは取られちゃうわけですから、必ずそうなるんです。

だから社長になってからは、自分のことばが「会社のことば」として出回るとあってすごく慎重になっていましたね。「その発言が過去の発言と矛盾しないか」みたいな照らし合わせもしていたと思います。そういえば、社長に就任して最初の株主総会が終わったあと、どういう話があったかという報告をしてくれました。「こういう質問があった時に、こんなふうに答えたんですよ」と、すごく嬉しそうに話してくれたのですが、それこそ仮説と検証を積み重ねて修練していったんだろうなと感じました。

経営者というのは、漏らしちゃいけない秘密と、自分が言いたいことの両方があるじゃないですか。そのルールを守りながら楽しくいろいろな考えをやりとりすることを、おそらく、社長になる前から練習していたのかもしれません。

自分が理解しきれないことにも興味を持つ

岩田さんは非常に優秀なプログラマーであり、同時に優れた経営者でもありましたが、友達付き合いをしていてとても助かったのは、自分が理解し切れないことについても興味を持ってくれる点でした。言い方を換えると、わからない人の気持ちが、いつも考えの範囲にあったんです。

専門的な話を聞かされている最中に、「例えば、個人用の古いパソコンを100万台つなげたら、大変なマシンになりますよね?」といったことを混ぜられると、僕らは「おおーっ」て思うじゃないですか。そういう視点を岩田さんはいつでも持っていました。それは、経営者として取り組んでいた「ゲーム人口の拡大」にも生かされていたと思います。ゲームをわかっていない人や、ゲームを嫌っている親のことを、岩田さんはずっと見ていたわけですから。

それが合理的なら難しくても自分がやる

「上司としての岩田さん」ということで言うと、一緒に「バス釣り№1」というソフトを作った時のことを思い出します。小さなプロジェクトだったのですが、岩田さんはポイントとなる会議には必ず出てきて、「こうしましたか?」とか「ここのところはやってありますか?」と、やるべきことを的確に指摘するんです。その一方で、一番難しいところは「そのままにしておいてください」と言って、休みの日に全部自分で仕上げてしまいました。

岩田さんは、「なにか問題が起こった時に、自分がやればきっとうまくいくし、答えが出せるだろうなと思った時に、やらないのは罪だ」といった考えの持ち主でしたが、この時も、チームに対してその都度アドバイスを出しつつ、「このチームには無理だな」という部分は自分で片づけてしまいました。それが一番合理的だと思ったからそうしているだけで、まったく諍(いさか)いは起きませんでしたね。

実際、部下になった人が「岩田さんがこんなめんどくさいことを言うからどうのこうの」と言っているのは見たことがありません。岩田さんは、ずいぶん人を育てたと思いますよ。

社員面談は、データをインプットするプロセス

そういえば、僕と岩田さんで異なっていることがまだありました。「全社員面談」についてです。岩田さんは、HAL研究所にいた時も、任天堂の社長になってからも、社員となるべく話す時間を設けていました。それに感化されたというか、僕もある時、社員全員と面談をしてみたんです。僕は自分の弱さをそのまま肯定したい面積が大きいので、おそらく面談しているうちに腹を立てるだろうなと予想しました。

で、一度やってみて、本当に落ち込みました(笑)。なんにも通じていないこととか、人ってこんなに違って、全部肯定しなきゃいけないんだということを知って、泣きたいほど辛かったんです。「岩田さんはこれをたびたびやっているのか」と思ったのですが、よく考えてみると、岩田さんは「今あるデータをください」という方向で面談をしているので、僕とは違うわけです。

その話を岩田さんにしたら、「糸井さんのやり方では辛いでしょうね」ってあっさり言われましたね。データをインプットして、「そうかそこが問題になるのか」と、「だったらここに至ればハッピーになるな」という思考のプロセスを、岩田さんは部下に対して常に繰り返していました。

「自分がハッピーじゃないと、周りもハッピーにできない。みんながハッピーでないと、さらにお客さんたちをハッピーにできない」といった、ハッピーハッピー教団みたいなことを出会った頃から言っていましたが、それを押し通したと思います。そうした考えに至った背景には、お父さんの存在が影響しているのではないかと思います。

岩田さんのお父さんは、室蘭の市長でした。行政というものは、世のため人のためにやったことでも、わかってもらえないことがあるものですが、岩田さんのお父さんは、人のために走り回っているのが日常的な姿だったそうです。そういう部分を子供ながらに見続けたことで、心底タフになったのだと思います。

「人がよろこんでくれる、というゴールさえあれば、どれだけ難しい問題であっても、当事者として取り組み、解決策を考えてやる」という岩田さんに対し、僕は「ある種の病だ」とからかいましたが、そのくらいの覚悟が奥底にあり、それは、お父さんの影響が大きかったのは間違いないと思います。

ちょっと野暮なところ、それが岩田さんの魅力

僕は、いろいろな種類の大好きな人たちがいっぱいいるのですが、一番長い時間一緒にいた友達は、岩田さんだと思います。岩田さんは僕にクリエイティブなことを聞きたがって、経営者の話になると僕が聞く、という往復がとにかく面白かった。岩田さんは言ってみれば「弟」なんですよ。その逆転が僕にはおかしいんです。僕にしてみれば、岩田さんは先生にしたいくらいの人なのですが、向こうはそれがつまらなくて、弟役をやるんです。こっそり質問を持って尋ねに来ることもしょっちゅうでした。

そうした軽い鈍さというか、野暮なところがいいんです。『岩田さん』を読んでくださった奥さんも、読んだ翌日に「野暮なんですよねぇ」って連絡をくれましたね。野暮っていうのが褒めことばになるケースは、あまりないと思います。そこがとっても岩田さんらしいと思います。


元任天堂社長・岩田聡、コピーライター・糸井重里
難航していた『MOTHER2 ギーグの逆襲』の開発を助けたり、ほぼ日の立ち上げに技術面で尽力したり。公私にわたって交友を結んだ2人。